第92話

 やがてセリアス団は青空のもと、開けた場所に出た。真っ白な雪が均等に積もり、広々と照り返っている。

「ヒュウ! 中は氷漬けの死体だらけで、気が滅入るもんなあ」

「同感だわ。晴れてさえいれば、綺麗なところよねぇ」

 ハインが荷物を降ろした。

「ここいらで休憩にせんか? セリアス殿」

「そうだな」

 雪の広場にはキャンプの痕跡がある。ほかの冒険者もここで休息を取るらしい。

 そのつもりが、イーニアが声を張りあげた。

「何かが飛んできます!」

「っ!」

 セリアスたちは臨戦態勢を取り、眩しい青空に目を凝らす。

 それは三匹のモンスターだった。女性の裸体にワシを合わせたかのような異形で、羽根を広げ、自由自在に滑空する。

 脚部は異様なほど発達し、鋭利な鈎爪を有していた。

「ハーピーです!」

「面妖な魔物もおったもんだ」

 さしものハインも鼻の下を伸ばしたりせず、顔を引き締める。

「ちょっと待ってくれよ? ハーピーっつったら……」

「あとにしなさい! 面倒なやつが出てきたわね」

 ハーピーの群れは三方向からセリアス団を取り囲んだ。イーニアを庇いつつ、セリアスは愛用のシルバーソードを握り締める。

(ハーピーなら何度か戦ったことがあるが、こいつらは……?)

 熟練の勘が何かを悟った。

 女性のような見た目とは裏腹に、ハーピーは野生的なモンスターであり、一般的には猛禽類の一種とされる。知能も低く、獲物を狩ることしか頭にない。

 そのはずが、このハーピーたちはすぐには仕掛けてこなかった。セリアス団の周囲を旋回しつつ、ひたすら奇声をあげる。

 イーニアがはっとした。

「これは先生が言ってた……耳を塞いでください!」

 が、その言葉と同時にセリアスたちは怪音波に晒される。

「ぐおぉ? こ、これは」

「なんだ、足が……」

 俄かに平衡感覚が狂いだした。セリアスも軽い眩暈に襲われる。

「この声……いや、歌声のせいか……!」

 とめどなくハーピーの奇声が反響した。耳を塞ぐことで多少は楽になるが、これでは武器を振るえず、イーニアも触媒に手を伸ばせない。

「か、風よ我に……うっ?」

 そのうえ詠唱もハーピーの合唱によって妨げられた。

「セリアス、ここは逃げようぜ! 洞窟ん中に入りゃあ、こいつらも……」

「ああ。奥で一体ずつ仕留めるぞ」

 この場所では空が飛べるハーピーのほうが俄然、有利となる。おまけに包囲されているため、セリアスたちは分が悪かった。

 にもかかわらず、メルメダは平然としている。

「お、お前……なんで?」

「普通に耳栓よ。今、楽にしてあげるわ」

 彼女の手が魔道杖をかざした。ハーピーの歌に邪魔されない高速の詠唱を経て、空から凄まじい竜巻を呼び込む。

「トルネードッ!」

 それはセリアスたちを守るように包むだけで、ハーピーには届かなかった。

「メルメダさん? これで攻撃するんじゃ……」

「まあ見てなさい。魔法使いはね、こう戦うものなのよ」

 不意にハーピーの歌声が消える。

 メルメダのトルネードによって周囲の空気が巻きあげられ、一時的な真空を作り出したらしい。おかげでハーピーの奇声も遮断されたのだ。

 その真空へと急速に空気が戻り始める。

「……なるほど」

 空気とともにハーピーたちもみるみる引きずり込まれた。

 そこへメルメダがスクロールで火炎を注ぎ込む。

「相手が悪かったわね」

 瞬く間に三匹のハーピーは炎に巻かれ、真っ黒焦げになってしまった。メルメダの鮮やかな手並みに、セリアスたちは唖然とする。

「ひえぇ……理屈はてんでわからねえけど、すげえじゃねえの」

「才色兼備とは、まさにおぬしのことではないか」

 メルメダは得意げにやにさがった。

「でしょう? 伊達に『西のザルカン』の一番弟子は名乗ってないわよ」

 彼女の比類なき実力には、セリアスも一目置いている。

 ソール王国の地下迷宮でも、メルメダの魔導の才には大いに助けられた(罠を踏むなどもされたが)。利己的かつ高飛車なところがなければ、パーティーに誘っている。

 イーニアは放心しそうなくらいに驚いていた。

「ハーピーの群れを……簡単に……」

 その背中をメルメダが叩く。

「魔導書の通りに魔法を習得するだけじゃあね。応用力もつけていかないと」

「は、はい。頑張ります」

 セリアスの期待以上に、メルメダの同行はイーニアにとって刺激となった。セリアスは安堵しつつ、真っ白な氷壁を見渡す。

「まだ距離がありそうだな……」

 グウェノはハーピーの亡骸を見下ろし、何やら考え込んでいた。

「こいつはおかしいぜ……ハーピーなんて強ぇのが、こんな下まで降りてくるなんてよ。ギルドのモンスター分布図でもそうだったろ?」

「うん? 拙僧は憶えておらんなあ」

 同じ違和感をセリアスも拭いきれない。

「……イーニア、少しコンパスを見せてくれないか」

「どうぞ」

 コンパスは氷壁のさらに上のほうを指していた。しかしセリアスの関心は針の向きではなく、例の感知能力にある。

「近くに六大悪魔はいない、か……」

「六大悪魔? 何よ、それ」

「っと、メルメダは知らなかったんだっけ。大穴にはやばいのがいんだよ」

 デュラハンと遭遇した時も、周囲にほかのモンスターはいなかった。

モンスターさえも六大悪魔を恐れるとしたら――。

「こいつらは逃げてきたのかもしれんな」

 イーニアがはっと顔色を変える。

「逃げるって、ろ……六大悪魔から、ですか?」

「言ってみただけだ。が……氷壁には昔『コルドゲヘナ』とやらがいたんだろう?」

 六大悪魔については、シビトの城でお喋りな道化師が語ってくれた。

画廊の氷壁にコルドゲヘナ、竜骨の溶岩地帯にエクソダス。この二体もまた戦慄すべき悪魔として、災厄の時代に猛威を振るったという。

「エディンさんも言ってましたね。コルドゲヘナが目覚めてると……」

「ああ」

 デュラハンの恐怖は記憶に新しいだけに、セリアスとて今回は二の足を踏んだ。

 グウェノやハインは肩を竦める。

「まあ待てよ、ふたりとも。結論はもうちょい進んでからでもさ」

「この先もハーピー級のモンスターが出るようなら、六大悪魔の線も濃厚となろう。それに拙僧らには、そのコンパスがあるではないか」

 セリアスとイーニアは顔を見合わせて、口元を緩めた。

「……そうだな」

「慎重に進みましょう」

 強風が絶壁によって遮られ、動物の鳴き声のような音を響かせる。

 メルメダが青い空を仰いだ。

「六大悪魔……お師匠様が言ってた、最悪のシビト……ね」

 フランドールの大穴には不死身の悪魔が潜む。

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