第90話

 画廊の氷壁が朝日で真っ白に染まる。

 セリアス団はベースキャンプを出発し、いよいよ氷壁へと足を踏み入れた。厚手の防寒具を羽織り、靴には滑り止めのスパイクを巻いておく。

「なっ? マトックくらい、ベースキャンプにあるって言った通りだろ」

 麓のキャンプは大勢の冒険者が共用しているおかげで、手頃な道具も置いてあった。大きい荷物はハインがまとめて抱える。

「こっちはもう、あらかた探索されておるのだろう?」

「まあな。あんま期待しないほうがいいぜ」

 グウェノの吐息も白かった。

 セリアスは先行しつつイーニアを待つ。

「歩きにくくないか?」

「平気ですよ。これくらいでしたら、多分……」

「そいつがジワジワ痛くなってきたりするんだよなぁ。痛いときは正直に言えよ」

 それからもうひとり、今回の探索にはメルメダも参加していた。さすがにここでは脚線美を見せびらかしたりせず、防寒服で肌を覆っている。

「手伝ってあげるんだから、ちゃんと分け前は寄越しなさいよ? 三分の一」

「人数で言ったら五分の一じゃねえか」

「お前の働き次第だ」

 セリアスは内心、また何かやらかすのではと不安になる。

 カシュオンは風邪で倒れ、ゾルバが看病に当たっていた。そのためメルメダは暇を持て余し、セリアス団の儲け話に一枚噛もうと企んでいる。

 とはいえ、彼女の協力は心強かった。イーニアには不可能な『火属性』の魔法を使えるだけでも、画廊の氷壁ではアドバンテージが大きい。

 イーニアにとってもメルメダとの共闘は勉強になるだろう。高飛車な性格は別として、メルメダの魔導士としての実力は信用できる。

「あなたたちはやっぱりタリスマンに一直線なんでしょう?」

「ああ」

 しばらく進むと、断崖絶壁の中腹に出た。

 画廊の氷壁は『外部の絶壁』と『内部の洞窟』とで構成されている。氷壁の空は青々と晴れ、昨夜のうちに降り積もったらしい雪が輝いていた。

「絶景だのう~! さほど風も吹いておらんようだ」

「えぇと……しばらくは大丈夫みたいです」

 記憶地図で雲の動きを予測できることも、セリアス団の前進を後押しした。

 画廊の氷壁を難関たらしめているのが、まさしく『天候』なのだ。いかに屈強なパーティーであれ、吹雪に見舞われては、探索などできるはずもない。

 少し進んだ先でまた吹雪、といったパターンもありうる。

「晴れてるうちにルートを開拓するぞ」

「行きましょう」

 セリアス団は命綱を握り締め、慎重に坂道を登っていった。

 雪の塊が崖下へ落ちるのを見るだけで、腹の中の力が抜けそうになる。

「足を滑らせては一巻の終わりだのぉ。ハハハ」

「み、道連れは勘弁してくれよ?」

 そして絶壁の横穴から、内部の洞窟へ。

 その名の通り、こちらの氷壁も『画廊』の体を成していた。氷漬けにされ、犠牲者たちは苦悶の表情を浮かべている。

「悪趣味ねえ」

「イカれてやがるぜ。ひとを標本みてえにしやがって……」

 イーニアは立ち止まり、歪な『作品』に手を触れた。

「これも……聖杯の力なんでしょうか」

「そいつは俺も気になってたんだ」

 氷漬けの死者を眺め、セリアスは眉を顰める。

(ロッティの話では……)

 徘徊の森では三十年ほど前、老木が黒き使者に唆され、聖杯の魔力に飲まれた。しかし画廊の氷壁でも同じことが、と考えると、不自然な点が出てくる。

 三十年前のフランドールの大穴では、まだ開発が始まっていなかった。当時はフランドール王国が大穴への不干渉を主張し、タブリス王国も従っていたという。長らくシビトのテリトリーであった荒れた土地を、わざわざ開発したがる物好きもいなかった。

 つまり、三十年前の大穴に人間はいなかった、と推測できる。

 ところが、画廊の氷壁では数多の人間が氷漬けにされていた。それも事故によるものではなく、明確な意図(悪意)をもって、作品に仕上げられているのだ。

「白き使者と黒き使者が大穴へ来るより、もっと前の時代……災厄の産物だろうな」

「でしたら、災厄とはそれほどの……」

 氷の中の死者と目が合ったような気がして、ぞっとする。

(……夢に出そうだな)

 フランドールの大穴に立ち入る――それは地獄の蓋を開けることかもしれなかった。

「おしゃべりはそこまでになさい。お出ましよ」

 メルメダが魔道杖を振りかざす。

 回廊の向こうからモンスターの群れが近づいてきた。尖った氷塊が組みあわさり、ひとのような形を成している。

「アイシクルです!」

「俺とグウェノでやる! ハインは守りを固めてくれ」

「えっ、オレも前に出るのかよ?」

 攻撃力のうえではハインをぶつけるべきだが、彼は荷物が大きい。また、氷壁の洞窟は曲がりくねって狭いため、大柄なハインでは怪力を活かしづらかった。

 グウェノの弓が鋭く矢を放つ。

「この弓、売っ払うつもりだったのによぉ」

「もっとおびき寄せて、一箇所に固めてくれ。右は俺に任せろ」

 セリアスも剣は抜くものの、盾のほうを前面に出し、あくまでガードに徹した。アイシクルの単調な攻撃をいなしつつ、後ろへさがっていく。

「今だ、撃て!」

「はい! ウインド……」

 敵を射程範囲に捉え、イーニアが風の刃を放とうとした。

「ロックレイン!」

 しかし先にメルメダの魔法が発動する。

 大きな石つぶてがアイシクルの頭上に次々と降り注いだ。氷塊に過ぎないアイシクルは砕け、ばらばらになる。

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