第89話

カシュオン団はバルザックの一行とともに画廊の氷壁に来たそうで、とりわけリーダーの少年はあれこれ言われたようだった。

「イーニアさんは聞きましたか? 僕たち、秘境で試験を受けなきゃいけないんです」

「……何のことですか? グウェノ」

「あー、あれだよ。十代の冒険者は研修を受けることに決まったんだ」

 若手の冒険者が勇み足で秘境に挑むものの、経験不足のために命を落とすことは、前々から問題視されている。脈動せし坑道でも、十代のパーティーが遭難の末に餓死で全滅、などという悲惨な事故があった。

 そこで、バルザックは実技試験を提案。

これに合格しない限り、十代の冒険者は秘境に立ち入ることを許されない。

「まだ決まったわけじゃねえけどな。やるとしたら、風下の廃墟あたりかなあ……」

「イーニア殿が第一号になるかもしれんのう。ハッハッハ」

「試験ですか……まあ先生の課題よりは、多分……」

 秘境の探索に小慣れてきたイーニアはともかくとして、カシュオンのほうは心配になってきた。ゾルバやメルメダが懇切丁寧に彼を指導するとも思えない。

「……カシュオン。試験で困ったことがあったら、何でも俺に聞いてくれ」

「え? はい、ありがとうございます」

 河で釣りなどをするうち、やがて氷壁の陽も傾いてきた。セリアスたちは火を囲む。

「今夜はサービスだ! お前らの分も作ってやったからよ、ヘヘッ」

 セリアス団の料理長グウェノのおかげで、サバイバル料理も充実した。思いもよらないご馳走を前にして、カシュン団の面々は目を見張る。

「すごいわね……これ、あなたが?」

「おう。あったまるぜ~」

 山菜と茸のシチューは絶品だった。グウェノの腕前にはセリアスも舌を巻く。

「美味いな。イーニアもグウェノに教えてもらってるんだろう?」

「はい。今度はグラタンに挑戦するんです」

「イーニアさんのグラタン……」

 少年の願望を聞き流しつつ、グウェノは得意満面にはにかんだ。

「うちは実家が酒場でさ。ガキの頃から、こーいうのには慣れてんだ」

「愛想もよいわけだな。ハッハッハ」

 酒がなくとも、ハインとゾルバは笑い声をあげる。

「ガッハッハ! ……ところでセリアス団のほうはあれから、どうですかな?」

 セリアス団とカシュオン団は探求のうえで競合し、表向きは同盟を結んでいた。カシュオン団は『聖杯』とやらを探している。

「進展はあったりなかったりといった具合さ」

「聖杯の情報もなさそうね」

 食事がてら、イーニアがカシュオンに質問を投げかけた。

「カシュオン、その……聖杯って何なんですか?」

 片想いの相手に聞かれては、生真面目な少年の口もいくらか軽くなる。

「僕たちホルート族の秘宝なんです。もう何十年……いいえ、何百年もホルート族は聖杯を守ってきました。ホルート族でないと、聖杯の魔力をもろに受けてしまうので……」

 ゾルバも神妙な面持ちで語った。

「聖杯はひとの願いを聞き入れるのですが……大抵は恐ろしいことになりましてな。例えば、財宝を欲する者は、財宝と一体となってしまったりするのです」

 奇妙な話にセリアスたちは目を白黒させる。

「それって呪われてんじゃねえの? 本当に『聖杯』か?」

「欲望を戒めるようにも思えるのう」

 カシュオンは溜息とともに声を落とした。

「聖杯は危険なものですから、誰の手にも触れないように隠してあったのですが……いつの間にかなくなっていたんです」

「奪われたわけか」

 その犯人にセリアスたちは心当たりがある。

 黒き使者――彼は聖杯の力で老木を唆し、『徘徊の森』という秘境を作りあげた。ほかにも同じ手口で迷宮と化した秘境はあるだろう。聖杯は黒き使者が持っている。

 ただ、確証があるわけでもなかった。あくまでロッティの推察に過ぎず、今後まったく違った真実が出てくるかもしれない。

 セリアスたちは口を閉ざし、カシュオンの話に耳を傾けた。

「おそらく犯人は、聖杯の力を自分では引き出せない人物……それだけは確かです」

「聖杯で願いを叶えたんじゃねえのか? そいつは」

「それは考えられないんですよ。ひとたび聖杯の魔力に捕らわれれば、自我を失い、災いを振りまいてしまうんですから」

 メルメダが口を揃える。

「要するに、犯人は一種の『魔法不感症』だったのよ。たまにいるでしょう? 魔法の素質がないからこそ、ほかの魔法に掛かることもないっていう」

「私も先生に聞いたことがあります。不感症のひとには攻撃魔法以外、通用しないと」

 話の筋は通っており、グウェノやハインも納得した。

「そんなら容疑者は絞れるんじゃねえの? 魔法不感症のやつなんて、なあ」

「拙僧は初めて聞いたぞ。回復魔法も効かないとなっては、難儀だのう」

 聖杯を盗んだらしい犯人の特徴が、おぼろげに見えてくる。

 とはいえ、セリアス団にとって聖杯は二の次、三の次だった。協力はやぶさかではないものの、タリスマンよりも優先するほどではない。

 メルメダがメンバーを数えなおす。

「ところで……ザザは?」

「今日も誘ったんだが、忙しいらしいぞ」

城塞都市グランツは近々『グランツ学院』の開校を予定していた。ジュノーは音楽教師として声を掛けられ、準備に加わっているとのこと。

「セリアス、どうやってあいつとコンタクト取ってんだ?」

「……ちょっとな」

 その正体を知るのは、今のところセリアスだけ。

「あなたもよくあんな素性の知れないのと付き合ってるわねぇ」

「悪いやつじゃないさ」

 ただ、彼の目的はまだはっきりとしなかった。一応はイーニアの護衛に徹しているが、マルグレーテの指示でタリスマンを狙っている可能性は拭いきれない。

 目の前のカシュオンにしても、いつまでもタリスマンに無関心とは限らなかった。彼もまたコンパスを持ち、タリスマンを探し当てることはできる。

「聖杯のことでそれらしい手掛かりがあったら、カシュオン殿にも伝えるとしよう」

「ありがとうございます! 正直、まだまだ雲を掴むような状態でして……」

 ひとまず今夜のところは同盟の確認でお開きとなった。

 メルメダがイーニアを呼ぶ。

「後片付けは男連中にさせておけばいいのよ。お風呂に行きましょ」

「え……お風呂があるんですか?」

「温泉よ、温泉。たまにはこういう娯楽もないとね」

 女性に風呂と言われては、セリアスたちには引きとめようもない。

(やれやれ……イーニアまで影響されなければ、いいんだが)

 結局、メルメダは夕飯の支度から片付けまで何ひとつ手伝わなかった。後輩のイーニアを連れ、早々と温泉のほうへ消えていく。

「温泉とはのう。どれ、わしらもあとで一服せんか?」

「ガッハッハ! 男同士で裸の付き合いといきましょうぞ」

 少し時間を空けて、男性陣も温泉へ。

 画廊の氷壁の麓だけあり、まばらに雪が積もっていた。ところが、ベースキャンプの裏手では湯が沸いており、もうもうと白い湯気が立ち込める。

 セリアスは湯に肩まで浸かり、息をついた。

「ふう……」

 グウェノも上機嫌に湯をかき分ける。

「滋養強壮に健康増進……意外にいいとこじゃねえか、なあ? オッサン」

「うむ! 氷壁の探索中はこいつの世話になるか」

 大柄なハインやゾルバが一緒でも、スペースにはゆとりがあった。ほのかに硫黄のにおいが漂う中、気ままに一服する。

 男湯と女湯の間には申し訳程度に柵が張られていた。

「あっちはまだ入ってんのかねえ……」

「女性の風呂は長いからのう」

 ふとイーニアのことが気に掛かる。

 魔法使いの少女は今、冒険者として初めての『スランプ』に陥っていた。画廊の氷壁では得意の水魔法を使えず、不慣れな地形にも翻弄されている。

「あの手のタイプは何かと自分を責めるからな……」

 何気なしに呟くと、グウェノが頷いた。

「イーニアのことか? 確かに調子が上がらねえみたいだなぁ」

「拙僧らでは上手いアドバイスもできんしのぉ。元気づけてやるくらいしか……」

 年長者のハインもイーニアのことが心配らしい。

 一方、ゾルバは陽気に笑った。

「ワハハッ! なぁに、メルメダ殿がおりますゆえ。同じ魔法使いですし、男には話せんようなことも、メルメダ殿には話しやすいのでは?」

 楽天家の発想にしては具体的で、グウェノやハインも気を楽にする。

「それもそっか。オレたちの出る幕じゃねえかもな、こりゃ」

「気位の高い女丈夫だ。心構えなんぞも勉強できようて」

 だが、そこでセリアスは気付いた。

「……カシュオンは?」

 一緒に温泉に来たはずの少年が、どこにも見当たらない。

「さっきまでゾルバ殿の傍に……む?」

「カ、カシュオン様! まさか、お湯の中に沈んでおられるのではっ?」

 ハインとゾルバが手当たり次第に彼を捜す。

 セリアスとグウェノは察してしまった。

「……かもな」

「ああ」

 やがてカシュオンがびしょ濡れで、震えまくりながら戻ってくる。

「ぶるぶるぶる……! さっ、さささ、寒い……ッ!」

「カシュオン様? お風邪を召してしまいますぞ、早くお浸かりに」

 ゾルバは大きな図体でおたおたと慌てつつ、少年に湯を浴びせた。カシュオンは首まで深めに浸かるものの、盛大なくしゃみを噴く。

「ふえっくし!」

 グウェノは呆れ、片方の眉を上げた。

「んな恰好で雪ん中をほっつき歩くからだろ……」

「よいではないか、グウェノ殿。これも青春」

(十三歳で覗きか……先が思いやられるな、この子は)

 あえてセリアスは口には出さず、煩悩少年の業の深さを憂う。

 果たして今後、彼の気持ちがイーニアに届くことはあるのだろうか。

「ないない。イーニアも無関心だしさ」

「もっと男を上げんことにはのぅ」

「……賭けにならないな」

 翌日、カシュオンは風邪をひいた。

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