第41話 若き日の戦い

 唐突な降伏を受け、エスメロードは眉をあげる。

「ニッツとか言ったわね。本当に私のもとで働きたい、と?」

「おう。魔法に関しちゃ、そこいらの連中に負けない自信はあるぜ」

 ニッツはマントを広げ、触媒やスクロールの数々を披露した。冒険家だけに実戦的な魔法を揃え、いつでも撃てるようにしている。

「急にどうしてかしら?」

「急も何も、なあ……どうせなら勝つほうに味方して、オイシイ思いをしたいじゃねえか。城下の連中には義理もねえんだしよ」

 あくまで自分は通りすがりの冒険者、くだらない正義感で儲け話をふいにするつもりはない。それがニッツの主張だった。

「おっと、ゾンビにはしないでくれよ? オレは自分が可愛いんだからさ」

 あえて私利私欲を曝け出し、要求を続ける。

「……まあいいわ。スカーレット隊も解散させたことだし」

 エスメロードは艶かしい唇を指でなぞりつつ、ニッツの降伏を認めた。しかしまだニッツの言葉を全部は信用しておらず、条件をつけてくる。

「ただし……あとのふたりをあなたが殺すことができたら、ね」

「ヘッ! お安い御用だ」

「待て、ニッツ!」

 交渉成立を目前としたところへ、セリアスがやってきた。

 ついさっきまで仲間だったはずのふたりが、真っ向から火花を散らす。

「ウォレンを見捨てて、自分だけ助かろうなんて……見損なったぞ」

「テメエにどう思われようが関係ねえ。それよか、捜す手間が省けたってもんだぜ」

 ニッツは右手に火球を浮かべ、ターゲットを見据えた。

「オレがエスメロードの部下になるには、テメエの命がいるんだ。覚悟しやがれ」

「ウフフッ! その子は顔を傷つけずに殺しなさい、ニッツ」

「へいへい。任せときなって!」

 セリアスに目掛け、火球が次々と飛び掛かってくる。

「させるかっ!」

 それをセリアスは剣で受け止め、霧散させた。修行中の『魔法剣』とはいえ、この程度の芸当はできる。

「やるじゃねえか。まだまだ行くぜっ!」

 しかしセリアスの剣は一本に対し、ニッツの火球はどんどん数を増やした。三方向、さらには四方向から同時に攻められては、捌ききれない。

「くっ!」

 前転で火球をくぐりつつ、セリアスは柱の傍へと位置を変えた。

「手出しすんじゃねえぞ、エスメロード! オレが引導を渡してやんだからよぉ!」

「好きになさい。……ウフフフ! なかなか面白くなってきたじゃないの」

 エスメロードは椅子に腰掛け、ふたりの戦いを悠々と眺めている。周囲のゾンビ兵は微動だにせず、次の指示を待っていた。

 セリアスはスクロールで氷の魔法を放つも、ニッツの火炎に阻まれる。

「いい筋してやがるぜ、テメエはよ。でも甘えッ!」

「……し、しまった?」

 真正面の撃ちあいに気を取られ、頭上の守りが疎かになっていた。いつの間にかニッツの炎は天井を駆け抜け、セリアスの真上まで来ている。

 かわす間もなくセリアスは炎に巻かれた。

「うわあああっ!」

 転げまわって火は消せたものの、もはや起きあがる力もない。

 やっとのことでウォレンが駆けつけた時には、すでに決着はついていた。

「セリアスっ? ニッツ、おまえというやつは……」

「悪く思わないでくれよ? オレだって生き残りたくて、必死なんだ」

 ニッツが勝利を確信してか、ずかずかと歩み寄ってくる。

「熱いだろぉ? 今、楽にしてやるぜ」

「……それはこっちの台詞だ!」

 次の瞬間、セリアスの剣が唸った。

「テ、テメエっ!」

 奇襲に狼狽しながらも、ニッツはエスメロードのもとまでさがる。

 セリアスの剣は彼を掠めるも、マントを引き裂いただけに終わった。ところがニッツの背中に『鏡』が現れ、エスメロードは驚愕する。

「なっ、なんですって?」

「かかりやがったな! こいつがお嫌いらしいじゃねえの、エスメロードさんは」

 ニッツがエスメロードに取り入ったのも、セリアスが憤ったのも、すべては演技。エスメロードに魔法を使わせず、隙を突くためのものだった。

 エスメロードは頬に爪を立て、もがき苦しむ。

「よくも! よくも、よくも……よくも私に鏡を見せたなあッ!」

 その美貌がみるみる歪んで、ヒキガエルのようになった。吹き出物も大量に浮き出て、膿さえ滲ませる。これこそが、エスメロードが悪魔の力と引き換えに失ったもの。

「犠牲となったのは、あなたの『美しさ』だったか」

「同情はしねえぞ!」

 すかさずニッツはエスメロードに魔法を浴びせた。セリアスには手加減もあったらしい火炎が、彼女を真っ赤に包み込む。

 エスメロードは半身を焼かれ、くずおれた。

「ハアッ、ハア……ち、力が……これくらいの炎で、こ、この私が……?」

 そこへ一匹の蛇――ロイが忍び寄る。蛇となっても怒りの感情は残っているのか、彼はエスメロードの身体に巻きつき、ぎりぎりと苛烈に締めあげた。

「はっ、放せ! 放し、な……ギャアアアアッ!」

 呪った相手に殺される。それは無惨な絵図となったが、外道の最期だけに、同情の念は込みあげてこなかった。

 ウォレンの背後から黒い影のようなものが剥がれていく。

「た、助かったのか? おれは」

 セリアスの火傷は大したこともなかった。

「本当に殺されるんじゃないかと思ったよ、ニッツ」

 演技派のニッツがはにかむ。

「テメエらに裏切られねえ限り、オレも絶対に裏切らねえ。そいつが……正当防衛とはいえ、ダチを殺しちまったオレなりの罪滅ぼしってやつなのさ」

 おかげで強敵をくだし、ウォレンを救うことができた。

 ウォレンはしげしげと鏡を覗き込む。

「バロンといい、エスメロードといい、悪魔の力には勝てなかったわけだ」

「まあ、女が顔をあんなにされちまってはなァ。ロイを蛇に変えたのも、腹いせのつもりだったんじゃねえ?」

 セリアスは剣を収めつつ、ある疑惑に駆られた。

(あの老人は一体……?)

 おそらく例の老人はスタルド4世が乱心したことも知っている。今回の助言はセリアスたちに有益なものとなったが、今後も彼に油断はできなかった。

 この塔にほかの四騎将はいないらしい。屋上まで昇れば、橋が使える。

「とりあえず一旦、下の街まで引き返すとして……うお?」

 しかし階段を使う間もなく、急に塔が揺れ始めた。

「まさか崩れるのか?」

「そこの窓から出ろ! おれのロープを使え!」

 エスメロードが頭をもたげ、不気味な笑い声を響かせる。

「おめおめと城へ行かせるものか! おまえたちはここで私と……グギャッ!」

 その顔面にウォレンのブーメランがめり込んだ。

「さっきの礼はさせてもらったぜ。急げ!」

 揺れに足を取られながらも、セリアスたちは塔の四階から飛び出す。

 間もなくして試練の塔は積み木のごとく崩れだした。六階が五階もろとも潰れ、城への橋はばらばらに落ちていく。

 揺れが止まった時には、四階のフロアが屋上となっていた。ゾンビ兵はことごとく瓦礫の下敷きとなったようで、もう敵はいない。

 昼過ぎの空は黒ずんだ雲に覆われ、冷たい雨が降っていた。

 下のほうではニッツが外壁の窪みに掴まり、必死の形相で慌てふためく。

「ややっやべえ! 落ちる、落ちる!」

「こいつに掴まれ!」

 ウォレンとセリアスは上からロープを投げ、ふたり掛かりでニッツを引きあげた。さしものニッツも九死に一生を得て、腰を抜かす。

「ゼエ、ゼエ……助かったぜ。ありがとうよ、ウォレン、セリアス」

「お互い様さ。おれもおまえたちには助けてもらったからな。……にしても、よく崩壊に巻き込まれずに済んだものだ」

「運がよかったんだよ。悪運ってやつがね」

 昨日今日会ったばかりにもかかわらず、自然と意志疎通ができた。ニッツをロープで引っ張りあげるにしても、ウォレンからセリアスに指示があったわけではない。

 ただ、このルートでは進めなくなってしまった。

「ガウェインさんに報告して、次の作戦を立てよう」

「ああ。エスメロードの結界も消えただろうし、さっさと降りるとするか」

 引き返そうとした矢先、瓦礫の隙間から蛇のロイが飛び出してくる。

 ニッツはあっけらかんと笑った。

「ハハハッ! コイツも悪運だけは強ぇみたいだなァ」

「この雨の中で置き去りにするのもね。連れてってやろう」

 セリアスたちはロイを回収し、塔の麓へ。

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