第33話
とはいえ、さっきのような敵意は感じられなかった。幹の人面は穏やかにも見える。
『ひとの子らよ、ありがとう。おかげでわしは忌まわしい呪縛から解放された』
「……あ、あんたがしゃべってるのか」
大樹は朗らかに笑った。
『はっはっは。木がしゃべるのが、そんなに珍しいかね』
折れた枝に小鳥がとまって、暢気に鳴く。
この大きな木こそ、徘徊の森の長老にほかならなかった。セリアスたちは武器を納め、ぼろぼろになってしまった大樹を不安げに見上げる。
『気にすることはない。何年かすれば、根も枝も生えてくるさ。シビトの災厄でも丸焼けになってしまったが、平気だったわい』
「シビトといったら五十年前の……爺さんらしいな、あんたは」
『いかにも。わしはこの大穴で生まれたのだ。……だからといって、すべてを知っておるわけではないが……』
おずおずとイーニアが前に出た。
「あの……どうしてあんなふうに暴れたんですか?」
『物事には順序があるのだよ、お嬢さん。さて、どこから話そうか……』
大樹はしわがれた声で真相を語り出す。
かつてフランドールの大穴では『シビト』と呼ばれる化け物が猛威を振るった。英雄らの活躍によって、それが殲滅されたのは、今より五十年ほど昔のこと。
『それから大穴では平和な時が続き……二十年が経った頃だ。わしのもとへ、ひとりの人間がやってきおった』
「……人間?」
『顔を隠しておったのでな。男か女か、若者か老人か、わからぬ』
大樹によって掘り返された地面の一部が光った。
『その者はわしに言った。これを預かってくれ、そして勇気ある者に渡して欲しいと』
眩い光とともに琥珀色のリングが現れる。それはハインの右腕へと吸い寄せられ、大きさを変えながら、ブレスレットのようにぴたりと嵌まった。
『おぬしら冒険者が探し求めておるもののひとつ。剛勇のタリスマンだ』
「な、なんと……ッ?」
セリアスたちは驚愕し、腕輪に目を見張る。
「ってことは、ジイさん、タリスマンは存在するのか?」
『うん? おぬしら、そのコンパスでタリスマンを探しておったのではないのか?』
この大樹の言っていることが本当ならば、イーニアの探している魔具こそタリスマンである可能性が高かった。
「ちょっと待ってくれ。さっき、これは『ひとつ』と言ったな?」
『察しの通りだ。剛勇、叡智、慈愛……そして無限。タリスマンはよっつある』
さらなる真実にセリアスたちは驚き、顔を見合わせる。
「タリスマンはよっつだってよ!」
「ひとつと限らぬとは聞いていたが、まことであったとは……なぜ、これを拙僧に?」
『わしが選んだのではない。タリスマンが選んだのだ』
イーニアは逸る調子で大樹に問いかけた。
「教えてください! タリスマンとは一体、何なのですか?」
『すまぬが……さっきも言ったように、わしもすべてを知っておるわけではない。それをおぬしらに託すのが正しいことかどうか、もな』
大樹は静かに目を閉じる。
『だが、心するがよい。タリスマンは災いをもたらすやもしれぬのだ』
ずっと黙っていたメルメダが、持ち前の洞察力を光らせた。
「さっきあんたが大暴れしてたことと関係がありそうね」
『聡明な魔導士だ。そう……タリスマンを託されてから、一年後のことだったか。わしの前に再び、あの者が現れた。……いや、似ているだけで、別人だったかもしれん』
セリアスたちは緊張感とともに耳を傾ける。
『その者はわしに聖杯とやらを見せつけ、言った。願いはないか、と……』
聖杯。その言葉には憶えがあった。
「カシュオンが探していた?」
大樹は恐ろしそうに語る。
『今にして思えば、あれは邪杯とでも呼ぶべき代物だった。そうとは知らず、わしは安易に答えてしまったのだ。……自由に歩いてみたい、と』
大地から根を離し、歩くことを望んだ大樹。そして徘徊の森。
この秘境の謎は解けつつあった。
「なら、木が歩くのは……」
『そなたが思った通りだ、剣士よ。わしは聖杯の力に飲まれ……いいや、飲まれたのはタリスマンだろうが……自我と引き換えに足を得た』
長老の樹が変異した余波を受け、森の木々も歩きまわるようになったのだ。ただし、その代償として大樹は暴虐に魅入られ、我を失ってしまったらしい。
『なんとかわしは自ら眠りにつくことで、事態の悪化を食い止めた。おぬしらに起こされるのがもう少し遅ければ、何をしたものか』
セリアスは腕を組み、考え込んだ。
(……どういうことだ?)
災厄のあと、大樹のもとにはふたりの人物が訪れた。ひとりめはおそらく善意でタリスマンを託し、ふたりめは悪意でもって大樹を惑わせている。そしてイーニアの求めているのはタリスマンだが、カシュオンの求めているのは聖杯。
「聖杯なあ……カシュオンのやつ、やばいモンを探してんじゃねえか」
グウェノと同じことはセリアスも思ったが、ハインは冷静さを保っていた。
「しかしカシュオン殿のコンパスもハクアを溜めるのであろう? 善行で資格を示した先に邪悪な杯があるとは、考えにくいのでは……」
「聖杯も調べたほうがよさそうですね」
聖杯とやらがタリスマンを暴走させたと結論づけるのは、早計かもしれない。また、タリスマンがこうして実在する以上、タブリス王国の真意も読めなくなってきた。
『タリスマンは大穴の外からもたらされたもの。……わしにわかるのは、それだけだ』
セリアスは前に歩み出て、言葉に期待を込める。
「もうひとつだけ教えてくれ。白金旅団というパーティーが壊滅したんだが、その原因に何か心当たりはないか?」
『……………』
理知的な大樹はすぐには答えなかった。
『わしに聞くとは、よほどの手練れが敗れたのだろう。ならば……それはタリスマンとは別件。フランドールの大穴そのものにある禁忌に触れたのだ』
さっきから抽象的な言いまわしばかりで、グウェノはやきもきする。
「はっきり言ってくれよ。気になるじゃねえか」
『わしが教えるべきことではない。……城の主に聞け』
それきり大樹の幹から人面は消えた。枝に残った葉がひらひらと落ちてくる。
「これからどうしましょう? セリアス」
「そうだな……」
とにもかくにも、徘徊の森での用件は片付いた。
蚊帳の外のメルメダがふてくされる。
「面倒なことになってるみたいね。わたしは付き合うつもりないわよ? セリアス」
「それでいいさ。魔法使いはイーニアがいるしな」
セリアスとしても、トラブルメーカーにもほどがあるメルメダを加入させるつもりはなかった。イーニアを理由にできて、助かる。
グウェノがハインに茶々を入れた。
「これでオッサンは任務達成じゃねえか。僧正サマに報告すんだろ?」
しかしハインは右腕の腕輪を見詰めながら、かぶりを振る。
「いや、まだ終わったわけではない。拙僧も最後まで付き合わせてもらうぞ」
タリスマンはまだみっつ残っているのだ。
剛勇、叡智、慈愛、無限。すべてを揃えるまで、この探求は終わらなかった。
「とりあえず帰ろう。グランツへ」
その日のうちにセリアス団は城塞都市グランツへと帰還する。
☆
週が明け、月曜日となった。
セリアス団はザザも加えて、出発の前にギルドへ立ち寄る。
「今日はついてくるのかよ、お前」
「……………」
そこでセリアスたちはカシュオンと鉢合わせになった。
「おはようございます、セリアスさん! そ……それから、イーニアさんも」
「ええ。……あら? そちらのかたは」
カシュオンの傍にゾルバが控えているのは、いつものこと。ところが今朝は新たに魔導士の女性が加わっていた。メルメダはカシュオンのパーティーに入ったらしい。
「悪いけど、わたしはこっちでやらせてもらうわよ? セリアス」
「ガハハッ! メルメダ殿はカシュオン様の器の大きさに大層、感服なさいましてなあ」
「そうか」
カシュオンの反応からして、タリスマンの情報はまだ彼に渡っていないようだった。大方、カシュオンとゾルバのコンビなら制御も容易いと踏んだのだろう。メルメダのライバル心を刺激しないよう、セリアスは淡々とやり過ごす。
「それからイーニア、だったわね。暇な時にでも、わたしが稽古をつけてあげるわ」
「え? でも、あの……」
「教えてもらうといい。調合以外はな」
カシュオンのパーティーに続いて、セリアス団も手続きを終えた。今日からは脈動せし坑道を探索するつもりで、照明になるものは全員が持つ。
朝日が眩しかった。
「前衛は拙僧に任せてくれ」
「坑道なら、オレも前のほうがいいか。セリアスはイーニアを守ってやれよ」
「ごめんなさい。メルメダさんのようにはできなくて……」
「気にするな。お前のことも頼りにしてるさ」
冒険者たちは今日もフランドールの大穴に挑む。
汝、タリスマンを求めよ。
富を欲すなら、その手を伸ばせ。名声を欲すなら、その手で掴め。
PART 1 ~END~
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