第24話

 そう思っていた矢先、イーニアは果物屋の露店で彼を見かけた。

「へえー。農園のほうは変わらずに済んだのかい」

「今回のは肝が冷えたさぁ、こっちも。撤退しちまったのもいるからねえ」

 買い物のついでに探りを入れるところが、いかにもグウェノらしい。

 悪いと思いつつ、イーニアは彼から露店ひとつ分の距離を取った。グウェノはイーニアに気付かず、オレンジを買って次の店へと進む。

(……あら?)

 しかし路地の角を曲がったところで、早くも見失ってしまった。

「オレをつけようなんて甘いぜ? イーニア」

「ひゃっ!」

 逆に後ろを取られ、冷たいオレンジを頬に当てられる。イーニアの尾行にはとっくに勘付いていたようで、グウェノは得意満面にやにさがった。

「もしかして最初から、ですか?」

「まあね。声掛けてこねえから、なんかあるなーと思ったわけ」

 まだまだ冒険初心者のイーニアが、ベテランの彼に敵うはずもない。ところが、グウェノもまた別の誰かに背後を取られ、固まった。

「……う、うおっ?」

「……………」

 彼の肩を叩いたのは、忍者のザザ。

 グウェノは慌ててザザから飛び退き、オレンジを落っことす。

「ててっ、てめえ! また出やがったな?」

 今日もザザは何も語らなかった。

「……………」

「ネタはあがってんだぜ? お前がマルグレーテの部下だってことはよぉ」

 グウェノに人差し指を突きつけられても、動じない。身振り手振りさえせず、腕組みのポーズであたかも石像のごとく固まっている。

「休日までイーニアの護衛ったあ、ご苦労なこったぜ」

「え? 私の、ですか?」

「そうじゃねえなら、オレたちの様子でも見に来たんだろ。なあって……ハア」

 おしゃべりなグウェノも終始無言のザザには匙を投げた。

「こんなの相手するだけ無駄か。で? イーニア、オレに何か用?」

「えっと、それは……」

 相手が悪いのはイーニアにとっても同じこと。降参し、尾行の理由を打ち明ける。

「実はマルグレーテさんが、みなさんの休日の様子を調査しなさい、と……」

「ザザがいるのにか? ふぅん」

 グウェノは嫌な顔ひとつせず、むしろ気さくに笑った。

「お前が魔法の勉強ばっかで、心配したんじゃね? 休みの日くらい、タリスマンのことは忘れて、好きにしろってことだよ」

「そうでしょうか……」

 彼の言うことが気休めにしか聞こえなくて、イーニアは首を傾げる。

 できることなら週末も活用して、修行をするなり、探索を進めるなりしたかった。しかしグランツの冒険者たちは日曜の休息を徹底し、セリアス団もそれに倣っている。

「マーケットの連中だって曜日別に休んでんだろ? 鳥や猿には必要ねえことでも、人間サマには欠かせねえのさ、休暇ってのは」

 拾ったオレンジを、グウェノは指でくるくるとまわした。

「それに全員でサボりゃ、誰もサボったことにゃならねえってな」

 言い包められたような気もする。

「イーニアも友達とお茶でもしてりゃ、いいんだって」

「そういう予定は特に……」

「じゃあ、ちょいとマーケットでもまわってみるか? 買い物をコツを教えてやるよ」

 グウェノの誘いもあって、とりあえずイーニアは彼と一緒にマーケットを散策することにした。後ろからはザザが足音もなしについてくる。

「どんなツラしてんだろうな、あいつ」

「ひょっとしたら、マルグレーテさんの召喚獣だったりして……」

「へ? イーニア、お前、冗談言ったのか?」

 グウェノはぶらぶらと歩きつつ、どうやら夕食の献立を決めあぐねていた。

「魚ばっかだし、ポークジンジャーにでもすっかなあ……。イーニアはグレナーハ邸で飯作ったり、しねえの?」

「いえ。お手伝いはしたいですけど、私なんかじゃ、かえって邪魔に……」

「んなこと言ってたら、上達しねえぞ? たまには茶菓子のひとつでも作ってやりゃ、マルグレーテも喜んでくれるぜ、きっと」

 グウェノの隣でイーニアも食材を眺めるものの、どれを買うべきかわからない。肉や野菜ならまだしも、小麦粉やバターなどは用途が見当もつかなかった。

 グウェノが白い歯を覗かせ、茶化す。

「ホットケーキあたりは簡単でいいかもな。ジュノーにご馳走してやりゃ、いいアピールになるぜ? へっへっへ」

「どうして、ここでジュノーの名前が出てくるんですか?」

 しかしイーニアは平然として眉ひとつ動かさなかった。彼の意図がわからず、『眉も動かせなかった』といったほうが正しい。

「……つまんねえの。まっ、いつでも相談に乗るぜ」

 その後はグウェノと、ついでにザザも一緒にマーケットを巡り。おかげで魔法学のメモ帳には新たにホットケーキのレシピが加わった。触媒は小麦粉と卵である。


 グレナーハ邸で昼食を取ったら、再び街に出る。

 グウェノの話では、ハインは午後から何やら大会に参加するとのこと。ロータウンの西にある公園では、冒険者の戦士らが一同に会し、胸筋の厚さを競っている。

「……?」

 何の大会なのか、すぐにはわからなかった。イーニアは首を傾げつつ、男だらけのステージの成り行きを見守る。

 戦士たちはパンツ一丁で台を挟み、向かいあった。

「ファイトッ!」

「ぬぬぬぬぬ~っ!」

 審判の掛け声とともに力を込め、相手の腕を倒そうとする。

 これはアームレスリングのイベントだった。腕相撲らしいことにイーニアも気付く。

(腕相撲なのね。だけど……)

 ただ、パンツ一丁で対峙することの意味はわからない。

 屈強な男たちはビキニパンツをお尻に食い込ませながら、腕相撲で覇を競った。観客も男ばかりで、たったひとりのイーニアに真正面の特等席を譲ってくれる。

「誰かと思えば、イーニアちゃんじゃねえか! こっち、こっち!」

「は、はあ……」

 ギャラリーにイーニアが加わったことで、皆のボルテージもさらに高まった。

「こいつは面白ぇ! イーニアちゃんの前でハインをボロ雑巾にしてやろうぜえ!」

 いよいよステージにセリアス団のモンク僧、ハインが立つ。彼だけはビキニパンツではなくフンドシを巻き、威風を漂わせていた。

「笑止ッ! この拙僧に勝てるとでも?」

 それに対し、ゾルバも筋骨隆々とした老体で名乗りをあげた。

「手加減はしませんぞぉ、ハイン殿! この老兵を退けられますかな?」

「相手にとって不足なしとは、このこと! 参りますぞ!」

 しかしふたりともすぐには腕相撲の態勢を取らず、恍惚の表情で己の肉体美をまざまざと見せつける。上腕筋、背筋、そして腹筋……その雄々しさには観衆も見惚れた。

「ハ・イ・ン! ハ・イ・ン!」

「ゾ・ル・バ! ゾ・ル・バ!」

 ところが、そこへ第三の男がゆらりと巨体を持ち込む。

 ギャラリーの間でどよめきが走った。

「こ、今年も来やがったぞ! 大会二連覇のチャンピオン、アラハムキだーっ!」

「あのバーバリアン族の? すげえ……腹とか、熊みたいに毛深いぜ」

 豪傑アラハムキが両手をかざし、ハインらを挑発する。

「グッフッフ! 二連覇などというチャチな記録は、今からオレが三連覇に上書きしてやろう。さあ、掛かってくるがいい!」

「ほほお! このゾルバを相手に粋なやつよ。受けて立とうではないか!」

 今年のアームレスリング大会は異様なまでに盛りあがりつつあった。筋肉の祭典、敗者の背中には勝者のギャランドゥが襲い掛かる。

「ぎゃああああ~ッ!」

「……ん? イーニア殿は?」

「あれ? さっきまでいたんだけどなあー」

 すでにイーニアの姿はなかった。

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