第25話

 男たちの宴をあとにして、イーニアはセリアス団の屋敷を訪れる。

 庭に干している白い帯は、さっき見たハインの下着らしい。それが『フンドシ』という名であることを、少女はまだ知らない。

 セリアスはベランダで読書に耽っていた。イーニアを見つけ、その本を閉じる。

「イーニアか。どうした」

「あ、いいえ……近くまで来たものですから」

 秘境の探索以外では会うこともないせいか、少し緊張してしまった。

「退屈してるなら入ってこい。お茶くらいは出そう」

「それじゃあ、お邪魔しますね」

 セリアスの言葉に甘え、イーニアは屋敷の中へ。

 グウェノやジュノーは出払っているようだった。ふたりには大きいテーブルを、イーニアとセリアスだけで囲む。

 紅茶が香りのよい湯気を昇らせた。セリアスがそれに口をつけ、一息つく。

「ふう……」

 普段はコーヒーのイーニアも真似をして、肩の力を抜いた。

「セリアスはお休みの日、何をしてるんですか?」

 マルグレーテの指示があったから聞いているのではない。ただ、彼の休日の過ごし方に興味があって、質問せずにいられなかっただけのこと。

 セリアスが仏頂面なりにはにかむ。

「武具の手入れか、本を読むか……あとは本屋に行くくらいだな」

「本が好きなんですね」

「意外か? 身体ばかり使ってると、頭を使いたくなるのさ」

 筋金入りの冒険者である彼のことだから、鍛錬でもしているのかと思っていた。しかし今日の彼は冒険者の性分も忘れ、穏やかに時間を過ごす。

「それに俺が素直に休んでいれば、お前も休む気になるだろう? イーニア」

「あ……はい」

 そんなセリアスを見ていると、午前中グウェノが言っていたことにも納得できた。

『マーケットの連中だって曜日別に休んでんだろ? 鳥や猿には必要ねえことでも、人間サマには欠かせねえのさ、休暇ってのは』

 気負ったところで、フランドールの大穴が一週間やそこらで攻略できるわけでもない。実際、イーニアも気持ちが急くばかりで、能率が下がっているのを感じていた。

「でも、私……これといった趣味がないんです。お勉強ばかりで……」

「やれやれ。マルグレーテが心配してるんじゃないのか」

 おもむろにセリアスが席を立つ。

「女子のほうが楽しめるか……上に来てみろ」

「え? はい」

 飲みかけの紅茶を残し、イーニアも彼とともに屋敷の二階へとあがった。

 玄関のほうを向いているのがセリアスの部屋らしい。荷物や着替えは一ヶ所にまとめられ、窓際のベッドに広々と空間が与えられていた。

 本棚は半分ほど小説で埋まっている。

「さっき読んでのはこれだ」

 セリアスが手に取ったのは、淡いピンク色の一冊だった。題名からして女性向けの恋愛小説だろう。ほかにも恋愛小説ならではのタイトルが目立つ。

「こういうのを読むんですか? セリアス。……なんというか、意外ですね……」

「似合わないか?」

 セリアスは自嘲の笑みを浮かべた。しかしイーニアにとって、セリアスという渋い男性と甘い恋愛小説は、なかなか繋がるものではない。

「いえ、そんなこと……ただ、あなたなら歴史物や戦史物のほうが」

「そういったジャンルは苦手なんだ。話のスケールがでかいのは」

 下の段も恋愛小説がほとんどだった。

「俺はもっと、ひとりひとりの関係や心理を掘りさげる作品のほうが……となれば、恋愛小説のほうが面白いというわけさ。もっとも俺自身、大した経験はないがな」

 そんな本棚を眺めつつ、イーニアは何気なしに尋ねる。

「……恋人とか、いないんですか?」

「昔はな。放ったらかしにしてたら、愛想を尽かれてしまった」

 それ以上は聞かずとも読めた。

「さては冒険ばっかりしてたから、ですね」

「そういうことさ。次に故郷に帰ったら、あいつの子どもを見せられるんだろう……」

 笑い声が響き渡る。

 イーニアが適当な本を開くと、セリアスが肩越しに覗き込んできた。

「気になるものがあったら、好きに持ちだしてくれて構わん。どうせグウェノもハインも読まないからな」

「じゃあ、何冊か……あ、これはシリーズ物なんですか」

「ああ。……っと、お茶が冷めてしまうな」

 彼と探索以外の話をしたのは初めてかもしれない。

 グウェノにしても、ハインにしても、イーニアは仲間のことを何も知らなかった。最初は後ろめたかったものの、マルグレーテのおかげで、少し彼らに近づけた気がする。

「グウェノが今度、私にホットケーキを教えてくれるそうです。甘いものなんですけど、セリアスは大丈夫ですか?」

「大歓迎だ。ホットケーキなら、酒も無理に飲まなくて済むしな」

 城塞都市グランツで過ごす、休日らしい休日。

 この日からイーニアはセリアス邸へと足しげく通うことに。セリアスには小説の感想を語りあい、グウェノにはお菓子作りを習い、ジュノーにも楽器を教わるのだった。


                  ☆


 同じ日曜の夜、マルグレーテはイーニアの報告書に目を通しながら、溜息をつく。

「これでは素行調査ではなく日記、ですわね……」

 彼女には難しい仕事だとは、わかっていた。無口にもほどがあるザザのフォローも最初から期待していない。問題のザザはデスクの向こうで黙々と膝をついている。

 もとより今回の依頼はセリアスたちを調べるためのものではなかった。そういった調査であれば、目の前の忍者がいる。

休日も勉強浸けでいるような少女に、気分を変えて欲しかったのだ。

 だから、報告書の出来はどうでもよい。しかしそれはそれとして、イーニアの報告書は主旨が理解できておらず、内容も短すぎた。


グウェノ

 市場でお買い物のコツを教えてもらいました。

ホットケーキは簡単だそうです。


ハイン

 男のひとたちと裸で踊ってました。


セリアス

 小説を貸してもらいました。昔の恋人とは別れたそうです。


 これが十五歳の作成したレポートかと思うと、眩暈がしてくる。セリアスの報告に至っては、大胆なまでにプライバシーを侵害していた。

「……まあ、セリアスさんやグウェノさんとは仲良くやってるようですし。あとはハイタウンの女子ともこれくらい打ち解けられたら、いいのですけど」

 イーニアには教えなければならないことが山とある。平然とすっぴんで出歩くことについても、そろそろ教育するつもりでいた。

 だが、その前に最優先でやるべきことがある。大事なイーニアの前で裸踊りなんぞをやらかした大男には、グレナーハ家の名のもと、鉄槌をくださなくてはならない。

「ハインさんを連れてきてちょうだい、ザザ。今すぐですわ」

「……………」

 ザザは頷き、姿を消した。

 その夜、ハインに何があったのか知る者はいない。

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