「サイ婆ちゃん」

十六夜

   サイ婆ちゃん


「綾子さん。今日は、何日でしたっけ?」

「お義母さま、25日ですよ」

「あー25日ね。ありがとう」

「ところで、綾子さん。今日は、何日でしたっけね?」

「お義母さま、にじゅう、ごにち。25日ですよ」

綾子は内心でため息をついた。

夫の母親の文子が、認知症を患ってから3年。

少しずつ症状が進行し、同じ事を何回も聞いてくる。

よく注意していないと、何もない所でつまずいて転んだりもする。

老人の骨は脆く、転んで足の骨でも折れてしまえば、寝たきりになってしまう。

綾子はその事態だけは避けたかった。

介護の負担が増えると思うとぞっとする。

「ただいまー」

明るい女の子の声がする。中学一年生になる娘の美琴が帰ってきたのだ。

綾子は少し救われた気がした。

義母の事は嫌いではないが、二人きりの時間が長くなるのは

多少なりとも気が滅入る。

「あら、美琴ちゃん。お帰りなさい。また少し大きくなったわね。今、何年生だっけ?」

「お祖母ちゃん。今朝も会ったじゃない。っていうか、毎日会ってるでしょ。あたしもう中一だよ」

「もう中学生!大きくなったねぇ」

「そうそう。あたし、中学生、中学生」

「美琴。お祖母ちゃんになんて口聞くの」

「ごめんなさーい。ねえねえお母さん、おやつあるー?」

「冷蔵庫にショートケーキがあるわよ」

美琴が冷蔵庫を開ける。

「あっ二つあるじゃん。二個食べていいってこと?」

「博人の分よ。分かるでしょ」

「やっぱそうか。博人まだ帰ってないの?」

「もうすぐ帰ってくるんじゃないかしら」

「小学生のくせに、あたしより帰りが遅いとは生意気な」

「ただいまー」

という元気な声と同時に、黒い弾丸の様に男の子が飛び込んできた。

小学二年生になる美琴の弟の、博人だった。

「あらーお帰り。ひろちゃん。可愛いわねぇ。いくつになったんだっけ?」

「お祖母ちゃん。ぼくね、7さいだよ」

「ひろちゃん。ひさしぶりだねぇ。お祖母ちゃんとこにおいで」

博人は素直に従って、文子の隣の椅子に座った。

「おねえちゃん。おやつとって」

「なんでよ。いやよ。自分で取りなさいよ」

「あーん。とってよ!」

「い・や・だ」

「けち。おねえちゃんのけち」

「あんた達二人共、ちゃんと手、洗ってきなさい」

「はーい」

「はーい」


夜になり、夫の野村貴博が帰ってきた。

時間は23時を過ぎており、貴博は家族を起こさない様に、そっとドアを閉め、

居間で、ラップが掛けてある夕飯に手を付ける。

少し手を付けたところで、妻の綾子が寝室から出てきた。

「おかえりなさいあなた。」

「ああ。ただいま」

「遅かったわね。」

「うん。黒木のとこで、仕事帰りに話を聞いてきたからさ」

「黒木さん?」

綾子には心当たりがない気がした。

「うん。高校時代からの友達でね。ま、俺と違って奴は優秀で、大学は医学部行ってて、今は立派なお医者様」

「ふーん。それで?」

「うん。綾子、いつも母さんの面倒大変だろ?これから認知症が進行したら、もっと大変になるし」

「うん。まあそうね。で?」

「黒木は、脳外科の凄腕でね。研究者としても超一流。で、奴の研究なんだけど脳機能の向上なんだよ」

「お義母さんの頭を開けて、手術するってこと?」

貴博は頷いた。綾子は察しがよい。

「治るの?それで。っていうか、お義母さん大丈夫なの?そんな手術なんかして」

「大丈夫。と言っても俺が手術する訳じゃないし、どんな手術でも100%はないから、あれなんだけど。」

綾子は怪訝な表情で貴博を見た。

自分の母親が頭を開けられて、手術される話をこんなにふわふわした感じで話すとは。

「反対」

「え?」

貴博はびっくりしたように聞き返した。

「なんで?母さんの認知症が治れば、綾子の負担も減るし、先々の不安も少なくなるじゃん」

「そうかもしれないけど。でも、お義母さんが危ない目に遭う事は嫌」

「でも、前向きに検討するって言っちゃったよ」

「じゃあ、前向きに検討した結果、今回は見送ることになりましたって、言えばいいじゃない」

「あいつ、天才だから大丈夫だと思うんだけどなぁ・・」

尚も粘る貴博だったが、ぎろり、と綾子に睨まれて、その日の議論は終わりを告げた。

「ミケ。電気を消して。」

貴博はスマートスピーカーの「ミケ」に命令する。

居間の電気がすうっと暗くなり、貴博と綾子は寝室へと消えた。


綾子と貴博が文子の認知症治療の話をした、数日後の日曜日にそれは起きた。

文子が倒れたのだった。

朝、お手洗いから唸り声が聞こえ、貴博がドアを開けると綾子が倒れていた。

貴博はすぐに、スマートスピーカーの「ミケ」に救急車を呼ばせた。

脳梗塞だった。開頭手術が必要になるとの事だった。

貴博はすぐに黒木に連絡をし、黒木の病院で手術することが決まった。

病院に着くと黒木が出迎えてくれた。

「黒木、どうなんだ?」

普段は能天気な貴博も、流石に不安な様子で黒木に聞かずにはいられなかった。

「任せておけ。それと例の話だが、並行して行うぞ。以前に話した時よりもメリットが増えたしな」

「そうなのか?認知症と、脳梗塞、両方同時に治せるのか?」

「ああ。それに、ただ治すだけじゃない。今回のおふくろさんのケースだと、普通なら、言語障害、歩行困難、記憶障害等の、複合的な障害が後遺症として出るケースがほとんだ。だが、今回の俺の術式ならこれらをクリアにする事が出来る」

「そ、そうか」

「後遺症は、本人だけでなく、看護や介護する家族も苦しむことが多いからな大船に乗ったつもりでいろ。」

そういうと、黒木は手術室に向かった。


3時間後手術は終了した。

手術室の外では、野村家が総出で不安な面持ち待っていた。

手術中のランプが消え、黒木が出てきた。その後ろから、ストレッチャーに乗せられた、

文子と、看護師達が続く。

「手術は成功しました。声を掛けてあげて下さい。意識が戻りやすくなるので」

黒木が優しく野村家の面々に告げる。

博人が真っ先に駆け寄り声を掛ける。

「おばあちゃん」

続いて、美琴、貴博、綾子が声を掛ける。

「お祖母ちゃん」

「かあさん」

「お義母さま」

すると、文子の閉じた瞼がピクピクと痙攣した。

「このまま、病室まで行きます。着くまでずっと話し掛けて下さい」

病室に着いて、30分ほどで文子は目を覚ました。

そして、

「あ~よく寝たわ~。あら、あんた達何?全員揃っちゃって。それに、ここどこ?」

そう言って、その場に居る全員をポカンとさせた。

「おばあちゃん」

博人が文子に抱き着いた。大好きなおばあちゃんが、目を覚ましたのが嬉しくて仕方なかった。

「あら、ヒロちゃん。もう7歳なのに、甘えん坊さんねえ」

「おばあちゃん。ボクの年、分かるの?」

博人が不思議そうに聞いた。いつもなら、文子との会話の最初は年齢確認から入る。

「あら、当たり前じゃないの」

文子がそう言うと、

「ねえ、お祖母ちゃん。じゃあ、あたしは?年分かる?」

美琴が文子に尋ねる。

「みこちゃんは、13歳でしょ。中学1年生。もう、バカにして。おばあちゃん、ちゃんと分かるわよ」

家族全員が目を合わせて、同時に目を丸くした。

そんな中、黒木だけがドヤ顔でうんうんと頷いていた。

そして、

「三日後には、退院出来ますよ」

黒木がドヤ顔のままそう告げた。


三日後。予定通り文子は退院した。綾子が付き添いで一緒に帰ってきた。

綾子が、玄関のドアを開けると玄関の電気と居間の電気が点いていた。

―おかしいわね。

綾子は確かにスマートスピーカーの「ミケ」に命じて、電気を消して家を出た。

家を出る前に、電気が消えているのも確認している。

すると、文子が綾子の気持ちを汲み取ったかの様に言った。

「あ、あたしがミケに頼んで、お家に着く直前に電気付けさせたのよ」

「お義母さまが?」

「そうよ~」

文子はそう言いながら、さっさと自分の部屋に入ってしまった。

綾子は、その背を目で追いながら不思議に思った。

スマートスピーカーの「ミケ」は、直接声を掛けるか、メールで命令を下さない限り動く事は無い。だが、病院から家までの間に、文子が携帯からメールを打つ姿を綾子は見ていない。それだけでは無い。そもそも文子は、「ミケ」を使用した事自体がないはずだった。

今の「ミケ」は二台目だった。一台目を買った時、まだ文子の認知症は始まっておらず、

「ミケ」に対しても、

「電気とか、テレビとか、エアコンなんざ、手で付けりゃいいじゃない」

そう言って一切使おうとしなかった。そんな文子が、メールで「ミケ」を動かすやり方を知っているとは思えなかった。

だが綾子は、いや、野村家全員はもっと驚くことになる。

文子は異常なまでに記憶力がよくなっていた。どんな些細な事も忘れない。

その上に、過去の事も記憶が蘇っており、認知症だった時の事も覚えていた。

そのため、綾子には事あるごとに、

「綾子さんには、本当に迷惑をかけたねぇ」

と言って、逆に綾子を恐縮させた。そして、認知症だったころ、何もないとろでつまずいていたが、全くそんな事もなくなった。

ある日のことだった。野村家全員でテレビを見ていると、たまたま、宇宙特集をやっていた。

すると博人が、

「お父さん。ブラックホールって何?」

と貴博に聞いた。すると貴博は、

「あ、お父さんお風呂入らなきゃ。今度教えてやるからな」

と言って、逃げた。

それを、横でお茶を飲みながら聞いていた文子が言った。

「ヒロちゃん。ブラックホールっていうのはね。とても大きなお星さまが、爆発すると、物凄く強い力で、なんでも、物を飲みこんじゃう様になるの」

「そうなの?じゃ、地球も?あぶない?飲み込まれちゃう?」 

「今のところは大丈夫ね、とっても離れているし」

「そうなんだぁ」

「凄い。お祖母ちゃん。なんでそんな事知ってるの?」

美琴が感嘆の声をあげる。

「おばあちゃんの知恵袋ってやつよ。うふ。本当は黒木先生のおかげだけどね」

「え?黒木先生の?どういう事?」

「内緒よ内緒。さ、そんなことより二人共宿題はいいの?まだなら、おばあちゃんが分からないところ、教えて上げるわよ」

「ほんとに?お祖母ちゃん。分かるの?」

「言ったでしょ。知恵袋だって」

「じゃ、教えてもらおっかなー」

文子は、二人の孫の宿題をみてやり、自室に戻り床に就いた。

子供たち二人も床に就く。綾子は、それを見届けると自身も寝室に向かった。

ベッドでは、貴博が本を読んでいた。文子はベッドの空いているところに腰掛けると、貴博に話しかけた。

「ねえ、あなた。お義母さん、戻ってきてから、なんだか凄くない?」

「凄い?何が?」

「なんか、あなたが逃げたブラックホールの話とか、美琴の宿題見てあげたりとか。あと、言ってなかったけど、ミケを遠隔操作したりとか」

「に、逃げてはないよ。失礼だな。ミケを?やり方知ってたのか?」

「それが不思議なの。携帯使ってる様子がないのに、操作出来たの」

「そんなバカな」

「本当よ。元気になってくれたのはいいけど、手術のせいだとしたらなんだかちょっと怖いわ。あなた。ちょっと黒木先生に聞いてみてよ」

「うーん。分かった。明日、帰りにでも寄って聞いてみるよ」

翌日。貴博は、仕事を早めに切り上げ黒木の勤める病院に出向き、

黒木に、文子が戻ってきてからの様子を話した。

すると、黒木は貴博の話を興味深そうに聞き入っていた。

そして、一つ頷くと黒木は話し出した。

「おふくろさんの脳に埋めた、マイクロナノチップは正常に機能しているようだな。記憶力の向上は副産物だ。ニューロンの通りをアシストしているから、もの覚えが良くなったんだ。本人が意識していなくても、脳は記憶しているから、実際に見聞きした事は覚えているよ。ま、普通の人間は無意識の間に起ったことは、海馬から記憶として意識的に引き出す事は出来ないがね。おふくろさんは、チップのお陰でそれが可能になったようだな。それと、スマートスピーカーの件だが、あのチップは、ネットに繋がる様になっているんだが・・」

「え?ちょっと待て、ネット?インターネットにおふくろの頭が?」

それまで、黙って聞いていた貴博が口を挟んだ。

「そうだ。あのチップは、常におふくろさんの頭の中を精査して、ニューロンの通りやスピードを最適化する為に、自動的にアップデートする様にプログラムしてある。一々おふくろさんの頭を開けて、チップを取り換えずに済む様にな。手間もかかるし、何よりおふくろさんの体への負担を減らす為にも、これは必須だった。クラウド上に最適化の為のプログラムを置いて、チップと、プログラムが勝手にやり取りをしているんだ。ただ、これは想定外だったが、おふくろさんは自分の意志で、ネットを介して、情報を直接取り込んでいるんじゃないかな。ブラックホールの話も、検索すれば出てくるし、スマートスピーカーも、恐らく、直接ネットを介して命令したのだと思う。」

黒木は、目をキラキラさせて言った。

「黒木。お前、恐らくってなんだよ。っていうか人間が直にネットに繋がれるとか有り得るのか?」

「野村。恐らくと言ったのは、こんな風に作用するとは、想定外だったからだ。そして、これはとんでもなく凄い事だ。人の意識がサイバー空間と直接リンクするだなんて」

「黒木。婆さんの頭がサイバー空間に繋がって、さしずめサイ婆さんてか。それ、なんのギャグだよ。凄いのは分かったが、そんな事より、害は無いんだろうな?」

「・・無い。と思う」

「おまっ、思うってどういうことだよ」

「すまん。本当に想定外なんだ。それにチップを外せば、おふくろさんは、脳梗塞のダメージと、認知症のせいで一気に最高レベルの介護が必要になる。だからもし、何かあったらすぐに連絡をくれ」

「分かった。すまない黒木。おふくろの命を救ってくれたのも、普通におふくろと介護もなく、意志の疎通も出来るようになったのも、全てお前のおかげなのにな」


貴博は家に帰ると早速、黒木に聞いた話を綾子に説明した。

綾子は、びっくりした様子で言った。

「え?お義母さんの頭の中にチップが埋まってて、おまけにインターネットに直に繋がってるの?何それ?ただ治療の為に手術しただけじゃないの?」

「認知症を治す手段として、チップを埋め込む必要があったんだよ。そこに脳梗塞が重なった。どちらにしても、介護を必要とせずに元気でいられるのは、チップのおかげだよ」

綾子はなんだか、納得出来た様な、出来ない様な不思議な気持ちになった。

一方、当の文子はそんな家族の心配をよそに、絶好調だった。

体調もよく、何よりサイバー空間に繋がることで、色々な知識を瞬時に大量に仕入れる事が出来、孫たちとの会話が弾む様になった事が、とても嬉しく幸せだった。

話題のスイーツも、アニメも、どんな話にもついていける。

そんなこんなで、手術から3か月程が過ぎた頃、文子はこう思う様になっていた。

誰かの役に立ちたい。せっかくの能力を活かしたい、と。

そして文子は、人知れず大胆な行動に出るのだった

文子はある日の午後、とあるマンションの一室の前にいた。

文子がインターホンを鳴らす、すると20代前半位の頭の悪そうな若者が出てきた。

若者は、文子を見るなり怪訝そうな表情で言った。

「なんだ?婆さん。なんか用かい?」

文子は頷きながら言った。

「あんた。振り込め詐欺やってるね。あたしゃ知ってるんだからね」

若者の顔色が変わった、怪訝そうな表情が一瞬にして凶悪な表情になる。

「その顔。図星だね」

「なんだと婆!殺されてえのか!」

若者が怒号と同時に、文子に掴み掛かってくる。

その瞬間だった。プシューという音と共に、

「ぎゃあ」と

若者が顔を押さえた。すぐさまバチっという音が響き若者はこん倒した。

若者を見下ろす文子の右手には、殺虫スプレー、左手にはスタンガンが握られていた。

すると、奥の部屋から騒ぎを聞きつけ、男達が三人出てきた。

すぐに、倒れている若者を見つけ文子を見る。一瞬では状況が呑み込めないようだったが、

文子の手にあるスタンガンを見て、三人は文子に襲いかかった。

だが、文子は慌てる様子もなく、一人目の男の出してきた、右手に、ひょいとスタンガンを押し付けて、気絶させ二人目にかかってきた男の顔に殺虫スプレーをかけた。

怯んだ瞬間にスタンガンを押し付ける。

まるで、男たちの動きを最初から予測していたかの様な動きだった。

三人目の男は慎重だった。男は空手をやっていた。二人の男を倒すのを見て、文子の動きそのものが早くは無いことを見抜いていた。婆さんだと油断せずに、武器にさえ気を付けていればどうにでもなる。そう思った。元より、年寄りだからといって、手加減する様な良心なども持ち合わせていない。決めた。右のハイキックで行く。初見でかわされた事がない、男の得意技であった。男が一歩踏み出し、文子の頭の当たりにハイキックを繰り出した

。他に見るものがいれば、速度、威力共に惚れ惚れする様な蹴りだった。だが、男の蹴りは空を切った。そして、蹴りが当たらなかったと認識する間もなく男は失神した。

文子には、男達の動きが全て予測出来ていたのだ。男たちの骨格や、僅かな動きから、超高速でシュミレーションし、最後の男のハイキックも、ホンの少し前に出て、頭を下げてキックをやり過ごし、がら空きになった股間にスタンガンを押し付けたのであった。

「もう少しで、警察がくるわね」

文子は、一つため息をついてそうつぶやくと部屋を後にした。

文子はサイバー空間から、犯人たちの連絡に使うメールをハッキングし、場所を特定。自ら乗り込む前に通報をしたのだった。

その日の夕方、ニュースで特殊詐欺グループが逮捕された事が報じられた。市民からの匿名の通報との事だった。また、犯人グループは逮捕の際全員気絶しており、聴取に対して、見知らぬ婆さんにやられたと、意味不明な事を言っていると伝えていた。テレビの前でニュースを観ていた文子は、それを聞き、飲んでいたお茶を噴き出しそうになった。

その後、文子は幾つもの特殊詐欺グループを通報し、摘発に協力したことで、特殊詐欺グループによる被害が激減した。だが、自身が乗り込むことは止めた。最初も、説得して自首を促すつもりでいたのだが、話しが通じる相手ではないのが分かったからだった。護身用に用意したスタンガン等がなければ、どうなっていたか分からない。

―世知辛い世の中だねぇ。

文子はそう思った。

文子の手術から数か月が経ち、野村家は平和だった。

だが、好事魔多し。

それも特大の魔が忍び寄っていた事に、野村家、いや、世界中の誰も気付いていていなかった。ある日テレビを点けると、大騒ぎになっていた。巨大隕石が地球に向かっており、衝突する事が分かったのだった。太陽系外から突如として現れたこの隕石は、三日後には衝突し、壊滅的なダメージを地球にもたらす事が判明し、人類はパニックに陥った。

逃げ場はない。野村家は全員が家に閉じこもり、最後の日を家族全員で迎える事にした。

「ヒロちゃん、みこちゃんおばあちゃんが、守ってあげるから何の心配もいらないからね」

文子は、居間でお茶をすすりながら、二人の孫にそう告げると、

―なんとかしなくちゃね。これじゃ孫たちが不憫だわ。

そして目を瞑り、サイバー空間の海に意識を向けた。最早この数ヶ月間で、サイバー空間は文子の意識そのものになっていた。文子はまず、米中露印各国が極秘で打ち上げている、軍事衛星を乗っ取った。その衛星には、大口径の熱レーザー砲が装備されている。これを同時に隕石に照射してみた。だが、表面が少し蒸発しだけで何も変わらなかった。

しかし、収穫はあった。より正確な隕石の情報がつかめたからだった。

―さ、今度はあんた達の出番よ。人を傷つけたり、殺めたりするより、助ける為に人助けした方が良いでしょ。うちの孫達を、いえ、全人類をその力で救いなさい。

サイバー空間で、そう文子が告げる。世界中の成層圏を脱出可能なミサイルが、軍のコントロールを離れ一つの方向に向けて用意を整えた。最後の砲台が、設置を終えたと同時に、

文子は頷きサイバー空間で命令した。

―お行きなさい。

一斉にミサイルたちは飛び立った。隕石のただ一点だけを目掛けて。

数時間後。

隕石にミサイル群が到達し、全弾同時にある一点で爆発した。

爆発の衝撃は凄まじかったが、隕石そのものに対するダメージはほとんどなかった。

しかし、ホンの少しだけ隕石の軌道が変わった。それで十分だった。

地球の危機は回避された。隕石の軌道が変わった事を計算から確認すると、文子は意識を失い、黒木の居る病院に運ばれた。

「黒木、おふくろはどうなんだ」

黒木は首を振って答えた。

「おふくろさんは、何か超大量で複雑な計算か何かをしたみたいだな。負荷が掛かり過ぎて、高熱が出てチップが焼けてしまっている。」

「それで?助かるのか?」

「脳の機能の殆どが失われてしまった。残念だがもう・・あと一、二時間といったところだろう」

一時間後、文子は静かに息を引き取った。

その場には野村家の全員が居た。

「おばあちゃん。死んだらいやだよう」

博人と美琴は泣きじゃくり、貴博も綾子も咽び泣いた。

後日、遺体は荼毘に付され葬儀は身内だけでしめやかに行われた。

葬儀が終わり、野村家が自宅に戻ると、電気が点いていた。

綾子は不思議に思ったが、自分の勘違いかと思った。

全員がなんとなく、居間で過ごしていると、スマートスピーカーの「ミケ」が点滅した。

「あら、あんた達お帰りなさい。何なの。そんなお葬式帰りみたいな辛気臭い顔しちゃって」

「おばあちゃん!」

それは、間違いなく文子の声だった。

声はスマートスピーカーの「ミケ」からしていた。

「ほ、本当にお義母様なの?」

「そうよ~。体は無くなってしまったけどね。意識はネットの世界に逃げていたから、こうして戻ってこれたわよ~」

綾子と貴博は驚いて腰を抜かさんばかりだったが、

「おばあちゃんと、またお話し出来るの?」

「お祖母ちゃん。ネットの世界に居るの?サイ婆ちゃんだね!カッコイイ!」

子供達はすぐに大喜びで受け入れた。

「そうよ~ずっとずっとあんた達と、この世界を、おばあちゃんが見守ってあげるからね」



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