第四話
状況の落差に思わず腰が砕けそうになったが、なんとか気を取り直す。
「こんにちわ」
そう私が挨拶をすると、彼女は私のほうを特に感情の浮かばない瞳で見つめ、黙っていた。
――仮想人格のバグかな。
こちらを見つめているという点から、私が認識の対象になっていることが分かる。しかし、それにも関わらず感情が見られない。
こんな得体のしれない部屋に一人で座っているところに、見知らぬ人間が現れたわけであるから、人間にしても仮想人格を持つアンドロイドにしても、最初の反応はだいたい共通している。
不審に思う、警戒する、恐怖心を
いずれも見られないということは、「元から仮想人格を実装していない」か、あるいは「仮想人格に何らかの問題を抱えている」かの、いずれかということになる。
前者の場合、私の出る幕ではないし、専門外も甚だしい。
アンドレイが私を突然呼び出したのだから、この少女は仮想人格を実装したアンドロイドであり、緊急事態の原因であるという推測が、一番妥当性が高いのだ。
また、少なくとも人間ではないし、人間ならば余計に私が呼ばれるはずがない。もっと他に適任者がいるからだ。
そこまで考えて、私は小さく息を吐く。
そして、少女と机を挟んで向かい側に置かれていた椅子に向かって、歩いた。
しかも、できる限りゆったりとした動きになるよう心掛ける。
普通、見も知らない人間が部屋に入ってくると、相手は警戒する。だから、危険な人物ではないことを早い段階で印象付ける必要がある。
また、最初から一方的に話しかけることも控えた。フレンドリーな接し方が望ましい場合もあれば、あまり焦ってコミュニケーションを行わないほうが良い場合もある。その時はなぜかはわからないが、後者のほうが妥当な気がした。
椅子を彼女の正面からずらし、座る。
そして、そのまま何も言わず、だからといって敵対的な印象を与えないように軽く笑みを浮かべるようにしながら、彼女を見つめた。無言でいることもまた、さまざまな情報を得る手段となりうる。
例えば相手がなかなか話をしない場合、相手が腕組みのように明確な「コミュニケーションの一時的な禁止」の姿勢を見せていない限り、大抵の人間やアンドロイドは不安な表情を見せる。
また、相手が何か後ろめたい感情を抱えている場合には、攻撃的な表情や言葉が確実に現れる。これはどちらかといえば人間の場合である。
しかし、彼女はそのいずれでもなかった。ただ、最初の挨拶の時と同じように、特に何の感情も示さずにこちらを見つめていた。
そこで私も黙ったままで、しばらく彼女を観察することにする。
向かい合っていると、頭の高さの違いからやはり五歳前後の幼女に見える。しかし、顔の造作は大人びているように感じられた。
それに、そもそも幼女型のアンドロイドというのは殆ど生産されていない。そこにニーズがないからだ。あるとすれば、幼い子供を亡くした親のケア用に使用される例か、どこかの異常性欲者用にアングラで特注されるケースぐらいだろう。
ただ、いずれの場合も表情は年齢相応のものになる。こんなちぐはぐな印象を受けることはない。まるで、元は十八歳ぐらいの容姿だったアンドロイドを、わざわざ肢体だけ入れ替えたようにも思える。
それに、目や鼻、口や耳の位置が微妙にずれていた。
全体的な印象からすると整っているのだが、個々のパーツとしてみると配置が微妙にずれている。大手メーカーのレイアウトの癖も十分把握しているつもりだったが、そのいずれとも異なっているように感じた。
そして、最も特徴的だったのは、黒い頭髪が肩にかかるかかからないかのところで微妙に不ぞろいになっていたことだった。
まるで伸び方に違いがあるかのような印象を受けるが、アンドロイドの場合、そんなことはありえない。普通は伸びないし、わざわざ髪が伸びているように見せかけるオプションがあるにはあるが、それでもわざわざぼさぼさに伸びるような調整までしていることはなかった。
肌の色合いも、なんだか白すぎるような気がする。東洋的な黒髪と西洋的な白面はさほど相性が良くないので、そこからも若干の違和感を受ける。
以上のことから、彼女は市販のアンドロイドではないと、私は判断した。
となると、アングラの一品もので、仮想人格は実装されていないはずだ。その点は会話したほうが分かりやすいので、私はそこでやっと話しかけることにした。
「初めまして。私の名前は佐々木稔です。貴方のお名前を教えていただけますか?」
それに対して、彼女は最初、無反応のように見えた。
ただ、よくよく観察していると血の色が感じられない白い唇が、微妙に動いている。まるで、ずいぶん昔に使ったことのある母国語を思い出しているかのような、微妙な唇の動きである。
もちろん、アンドロイドがそんな仕草をするわけはないし、仮想人格が実装されていないのであればなおさらである。できることは即座にできるし、できないことはどんなに時間をかけてもできない。
しかし、彼女はしばらくの間、その微妙な唇の動きを続けた上で、わずかに首を傾げてから、
「……キヤル、ミ、ノン」
と発音した。
「キャル・ミ・ノンさんですか?」
私が復唱すると、今度は、
「キヤルミ・ノン」
と言う。しかも、それでもなんだかしっくりこなかったらしく、ワンテンポだけ間合いを空けてから、
「キヤルミノン」
と、今度は明確に言い切った。これもアンドロイドには見られない反応である。
「キヤルミノンさんですね」
私がそう復唱すると、今度は何の反応もない。ということは、それで構わないという意味だろう。
「では、キヤルミノンさん。これからいくつか質問をしますので、答えていただけますか。そんなに難しいことは聞かないので、深く考えずに思いついたことを答えてくださいね」
「……」
やはり、何も言わないし、感情も見られない。
今度は唇も動いていなかった。
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