5月18日木曜 晴れ

結局、昨日は授業で当てられることがなかった。一昨日からの不安は杞憂だったってことだ。帰り道電柱から腕が生えてるなと思ったら、やっぱり悪魔が隠れてて、杞憂でしたね、だとさ。むかつく。昨日の最悪は間違いなくあの朝の一件だった。


悪魔の言葉がちらつく。


僕は今日、今日という日を生きた。


今この世界に、過去や未来はないだろう。それもわかる。ただ悪魔のあの過去と未来と現在を、全く別の世界なんだという考え方には、疑問が残る。過去があって現在があって未来があるように、すべてがつながって生きていると信じて疑わなかったし、今だってそう思っている。


でも悪魔は、そうではない、という言い方をした。


ふとアルバムが目に止まる。僕が遺書を挟んでいたアルバムだ。

なぜだか、アルバムに目がいってしまう。言いようのない違和感を感じた。


みてみるか?


幼い頃でさえ、写真を貼るだけで放置して、み返すことはなかったのだ、スマートフォンを手に入れてから開くことはなかった。


だからこそ、自分の遺書の隠し場所にしたのだが。



結局開けることにした。



全く、なんてことはないただのアルバムだった。

赤ちゃんで、すやすやと寝ている自分。おもちゃの車を握りしめて泣きべそを書いている自分。弁当箱を広げてよそ見をしている自分。・・・。


ああ、やっぱり。




「共感ができない。」



僕は気付いてしまった。


全く、なんてことはないただのアルバムだったのだ。


僕はほとんど無感情でページをめくり終えてしまった。



僕にはそれが恐怖だったのだ。懐かしい気持ちがないわけではない。さすがに幼稚園や小学校低学年の頃の記憶はなかったが、ほとんどの写真は僕の記憶にある場所で取られたものであることがわかったし、何より一番大きく写っているのは紛れもない僕なのだ。



しかし違った。僕は、写真に写る僕に共感できなかった。


ただの一枚もだ。


笑顔で映った僕の顔は、まるで他人の顔だった。本当は何を考えているのかわからない他人の顔。


大きく映った笑顔でこの僕は何を考えていてだろう。何に怒って、泣きべそを描いているのだろう。それはもはや、他人の顔を見て推測するのと変わらないではないか。恐怖だった。アルバムの中にあるのは、確かに自分のはずなのに、僕ではないのが明白だった。


こんなことをしない。



ああ、そうか。僕は気がついてしまった。

いや、とっくに気がついていたのを、知らなかっただけだったのだ。


過去の自分と今の僕は、同一人物ではなかったのだ。


いや、同一人物だけれど、繋がっていないといった方がしっくりくる。


アルバムの中の自分だけではない。昨日の自分が何を考えていたのかさえ、完全にはわからないのだ。当たり前だ。昨日の自分は今日の自分ではないのだから。


眠っている間に、いや、眠らなくとも、刻々と僕は僕じゃなくなって、新しい僕になっているのだ。


じゃあ、本当の僕はどこにいる?



写真に写る彼らの気持ちを察する材料は、他人が見るそれとそう変わらないのだ。表情から気持ちを察するだけで、何を考えているのかなんてわかりようがない。


僕はまだ、自分が何者なのかにこだわっていた。

誰かの真似ではない特別な何かが、必要でなかった頃を懐かしいと思った。揺るがない、自分らしさを確認したかったのに、何度見ても、改めて自分らしいと思えることがなかった。


どれもわざとらしく、自分が誰かを演じているように見えて仕方がない。

どの顔も、どこかで見たような、芝居がかった顔だった。



羨ましいとは思わなかった。


幸せを知れば、こんなことを思案する、余裕なんてないのだろうか。

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白の悪魔 願 咲耶 @398kono-hana

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