第25話 決斗 その二

 「熊八、ここから逃げるとすれば、あの坂道だ」

 遍覧へんらん亭と相対して立ち、左手に急勾配の坂がある。坂を下ればあの階段の真下に繋がる。暮れ六つも過ぎ、寺域に入れば門が閉ざされ、行き詰まるかもしれない。前回の益屋の一件でも、下手人は階段下から台地に沿って逃げ去ったらしい。

 「熊八、坂の下からこちらに登ってこい。逃げ道を塞ぐのだ。気取られない場所に控えていよ。そろそろ句会も終わる刻限だ。急げ」

 熊八はもと来た階段を駆け下りた。そして坂をゆっくりと静かに登った。坂は山肌を削って作ったもので、台地側の壁が垂直だった。遍覧亭が見える場所に来て、壁に張り付いて身を隠した。

 時を空けず、茶屋の引き戸が開いた。

 前の細道に町人風の男が手代とともに出てきた。

 その刹那、遍覧亭を囲うように植えられていた紫陽花あじさいの生け垣から男が飛び出してきた。男は古びた黒い紋付きを着ていた。頭は総髪で、身は痩せている。堅い筋肉質の身体だった。

 「よう大将やってきたな」

 遍覧亭から町人と手代の間を割って武士が出てきた。

 夏前の日の長い時期だが、もう「逢魔が刻」にさしかかろうとしていた。

 「下村様」

 町人と手代が武士にすがり付くようにした。

 「茶屋に戻りなさい」

 と武士に促されて町人と手代が茶屋に戻った。

 「やや、それは困るのだがなあ」

 と黒紋付きの男は言った。

 「お主が困ろうが困らなかろうが関係ない。斬られたらオレが困る。さあ、名乗ってもらおう」

 腕組みして下村は言った。

 松丸はまだ様子を伺っているようだった。

 「そこもとは」

 「下村嗣次、水戸の出だ」

 「ふはっ。名乗るかね。よっぽど腕に自信があると見える」

 「あの世へ行ったときに、自分を斬り殺した男の名も分からねば不便だろうよ」

 「ならば、わたしも名乗らなければならぬな。大和久伊織、出身はご容赦願いたい」

 二人が刀を抜こうと束に手をかけたとき、

 「役者がそろったな」

 と松丸が茂みから出る。下村と伊織が松丸を見る。

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