第24話 決斗 その一

 その夜の弘法寺ぐほうじは梅雨明けを思わせる蒸し暑い夜だった。

 台地に沿って流れるような真間川の水辺には無数の蛙がいて盛大に鳴き声を上げていた。

 熊八は松丸の後ろから、急ぎ参道を走っていた。

 数日来、熊八は益屋を見張っていた。益屋に出入りする人間を監視し続けていた。浪人衆がチラホラと店を出入りしていた。それがどこの浪人なのかは定かではない。ただ用心棒として腕利きの者を抱えている可能性もあった。

 熊八が松丸にそのことを報告した。例の蕎麦屋であった。

 松丸は腕組みをして目を閉じて、話を聞いていた。関八州は数名の下役を雇い入れて活動する。他の者はやはり聞き込みをしているのだろう。熊八には知らされなかった。

 はっきりいって、調べは難航していた。情報が得られなかった。その裏には幕府の威の失墜があるのだが、松丸にそれは見えない。

 「やるしかないか」

 松丸は腕組みを解いて、太刀を帯に差し込み立ち上がった。

 「旦那、いったい何を」

 追っかけ熊八も立ち上がろうとした。

 「いやお前はここに残れ」

 外で暮れ六つの鐘が鳴った。


 松丸は半刻もせずに蕎麦屋に立ち戻った。

 そして熊八を連れて、弘法寺へ走り出したのである。

 「いかがなすったんで」

 「例の句会が今晩行われるらしい。下手人は弘法寺に現れるやもしれぬ。急ぎ寺に参るのだ」

 いったいどこでそれを聞いたのだ、と熊八は訝しんだ。

 句会のことなんてそこに出席するような人間しか知らぬはず。

 「益屋の番頭を盗みと水戸の件で脅したのだ。店のなかがゴタついているのだろう。これは話した感触だが、もう番頭は水戸とは切れたいようなのだ。はた迷惑なのだろう。主人が殺されたことで目立っちまったからな。これ以上の厄介ごとはご免蒙りたいのが本音だ。そしたら、今句会が行われてることだけは吐いた。他のことは一切認めなかったがな。もしかすれば、その場に下手人が現れるやも知れぬ」

 弘法寺の階段を登り、山門の前に出る。奥に本堂が見える。山門の前を左に曲がる。正面に茶屋が見える。

 「あれが遍覧へんらん亭です」

 松丸と熊八は近くの茂みに身を隠す。

 乱れた呼吸を整えようとするが、なかなかできない。梅雨明け間近の密度の高い湿り気が顔など露出したところに張り付いている。鬢から流れた汗が顎先に貯まって地面にしたたる。

 「確か水戸様の光圀みつくに公が命名したのだと思います」

 熊八が目の前の建物の講釈を垂れた。

 「また水戸か。寺に寄進でもしているか」

 松丸は鼻で笑った。

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