第14話 大和久伊織 その二

 幼少期に地元の剣術道場に連れて行かれたときのことは覚えている。奥に長い掛け軸のかかった道場だった。板敷きに円座をあてがわれ、道場主、後に師匠になる者と対峙たいじした。幼くて話の内容は覚えていないが、板敷きの下、地面から這い上がり、いつまで経ってもぬくまらない床の冷たさだけはよく覚えていた。

 気乗りのしない修練だったので、目立たぬよう振る舞っていたのだが、子どものころから目立って上達した。伊織に言わせれば、剣の筋が云々というより、他の同門は皆頭が悪かった。何事にもコツというか、筋というものがあって、それをつかもうとせずにむやみやたらに木刀を振り回しているようにしか見えなかった。

 ――天賦てんぷの才がある。

 と師匠にも言われたが、ありがた迷惑だとしか思わなかった。

 そんな師匠も大した男ではないと思うようになった。

 父が殺されたのは、十六の夏の日だった。

 そのころには、伊織は免許皆伝を与えられるのも近いと目されていた。

 父が殺されたと知って、伊織以上に道場の他の面々が色めきだった。皆、伊織が敵討ちに行くと思っていた。

 しかし、伊織は周囲のそんな気持ちも取り合わなかった。

 今のような情報が無駄に錯綜さくそうする社会とは違って、人一人の動向を探るのも一苦労だった。こんなときに雲を掴むような人捜しなどまっぴらごめんだった。父親に同情しているのならまだしも、そんな気持ちはまったく湧かないのだ。

 これからの母親や我々の苦労も知らずに、酒の上の喧嘩で命を落とす。まぬけだとしか思えなかった。

 それに出会ったとしても、そこから人を斬り殺すことを考えると、伊織にはまったく自信がなかった。剣術はあくまで道場での練習に過ぎない。本気で死にもの狂いになった人間と戦って、完全に自分が勝利を得るなんて思えない。どうしてそんな賭けをせねばならぬのか。そう考えて、行動を起こさなかった。

 父が殺されて、半年ほど経った夏の日であった。

 稽古けいこ帰りに仲の良い道場仲間に呼び止められて、忠言を受けた。

「どうしてお前は父の敵を討たない。お前、陰で腰抜け呼ばわりされておるぞ」

 言わなくともよいことをわざわざ伝える者というのは、いつの時代でもいるものである。陰口なのだから、陰にその悪口を吊しておけばいいものをわざわざ日向に持ち出すバカがいるのである。

 ――本当にありがた迷惑だ。

 顔をしかめて、忠言をしてくれた者を見てしまった。同僚は不思議そうな顔をしていた。

 友の忠言があっても、伊織は知らぬ振りを決め込んでいた。ところがある日、師匠に呼び出されてから、様相が変わった。

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