第11話 市川 その二

 二人は店を後にした。

 梅雨空は相変わらずだが、かろうじて雨は上がっていた。ただし、寸時のことであり、すぐに再び砂を蒔いたような梅雨の細かな雨が降り注ぐだろう。

 ぬかるんだ往来を二人は歩く。

 「それにしてもここは幕領なのだよな」

 正面を見て歩きながら、松丸は独り言のように言った。

 「はあ」

 と熊八はため息のような返事をした。癖のある御仁ごじんというのがどうも引っかかっていた。

 「お前さんも、この土地で生まれ育っただろ。やっぱり益屋の気分がよく分かるのか」

 嫌なことを言われるような気がして、身が少し強ばる。

 「いやな、神君が幕府を開かれて、数百年が経つ。神君自ら塩田を保護され、それが源泉となり、富を蓄えてきたというのがここの商人どもだろう。少しばかりお上が揺れたからといって、お上が江戸払いをしたやつらを匿うなど、オレからすれば信じられぬのだよ。あまりにも不義理じゃないか。

 もちろんな、江戸から文物が入って新しいものにかぶれるというのも分かるよ。今は攘夷が優勢だよ。だがな、こればっかりは、攘夷と開国のどちらが正解かなんて、後にならねば分からぬさ。では攘夷から開国が優勢になれば、ここいらの連中はこぞって宗旨替えするのか。そりゃあんまりだろう。そうなったら、そうなったで、水戸の連中も放逐か」

 「世の中そんなもんだろ」

 と言いそうになって、急いで飲み込んだ。

 おそらく松丸はそんなことは百も承知でそんなことを言っているんだろう、熊八はそう思った。熊八は松丸の奥底にある、熱のようなものに触れた気がした。それは松丸自身の職務に対する熱以上のものがそこにあった。自分の故郷である江戸を愛しているようだった。それが松丸の根底にあって、それが松丸を支えていた。自己愛の源泉なのだろう。

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