第10話 市川 その一

 翌日、例のそば屋に熊八くまはちは呼び出された。

 おそのの名は伏せて、昨日聞いたことを報告した。

 松丸は呑みながら熊八と相対していた。熊八が話す間は、腕組みをしたまま、酒に手をつけずに話を聞いていた。

 「水戸というと、今は藩の中がごたついててな。どうにもまとまれないらしい。黒船が来て以来どうもな」

 十四代将軍家茂いえもちの時世、黒船が米国からやってきて以来、いわゆる開国路線を取らざるを得ないと考える堀田ほった正睦まさよし、井伊直弼なおすけらによって、日米間の通商条約が次々に締結された。

 今日の天皇の意向をかえりみず行われたその交渉に、攘夷じょうい派は不満を持った。

 大老井伊直弼はその動きを弾圧した。それは「安政の大獄」と呼ばれる。吉田松陰などが処刑されたが、江戸から追放された水戸藩士もいた。その一人が儒学者藤森天山であった。藤森は今の市川市行徳ぎょうとくの辺りに逃げ込んだ。そして篤志家とくしかの間を転々として機をうかがった。

 藤森は行徳で「有隣ゆうりん堂」という私塾を開いた。門下には後に小学校教師となる近藤きち左衛門ざえもんや、明治に入り衆議院に建白書を提出する、中山の開業医中根玄益がいる。それだけ、行徳という土地は栄えていたということになる。その栄華の源は塩だった。

 江戸幕府を開いた徳川家康は鷹狩りが好きだった。主に現在埼玉県のおし川越かわごえ、千葉県の東金とうがね、そして行徳を含む葛西かさいでも鷹狩りを行った。

 船で行徳にやって来たときに塩田があるのを発見して、整備を命じる。

 歴代将軍が行徳の塩田を保護した。塩の質としては、瀬戸内の塩などと比べ、良くなかったらしい。

 そうして作られた塩を運ぶ船を行徳船と呼んだ。行徳船は塩だけでなく、年貢米や野菜を運ぶようになった。物流の交差する場所であった市川行徳地域に集まった物産も運び、銚子の魚までも運ぶようになった。帰りは江戸の文物を運んできた。そうして文化度も上がっていった。

 幕府の保護によって栄えた豪商が御政道の考えと反する者をかくまうというのはいただけない。先に挙げた藤森のようなものならまだしも、そうでない場合も多々あるだろう。

 松丸たちは、幕領と呼ばれる各地にある幕府直轄地のうち、関東の幕領の治安維持のために働いている。

 その役目は「関八州取締役」といった。

 「ただな、水戸は手を出しにくいのよ」

 御三家には手を出せない決まりだった。

 「八州様でもね」

 熊八はごちた。

 「どこからともなく、水戸の誰彼が幕領に入ってきたという情報が入ってきてはいるのだがな」

 蚊がいるわけでもないが、松丸はおのれの頬をピシャリピシャリとぶつ。

 「へえ。そうなんですかい」

 「じゃの道はへびというやつだな。水戸の話は水戸のあたりから漏れ伝わる。揉めてる藩の結束は弱い。特に敵の話はどこまでも漏れる。相当な跳ねっ返りもいるらしいよ。だが、今回は水戸の跳ねっ返りの仕業ではないのだな」

 「へい、そのようで。じゃあ誰なんでしょう。まさか御大老様か、幕閣の誰かのご命令なんでしょうか」

 市川の近くには堀田正睦の領地が佐倉にある。

 「わざわざ商人を斬って、大衆の反感を買う必要もあるまい。気に入らなきゃ、召し捕ればよい。やつらの動きなんぞ、かなり知れてるのだからな。もっとも商人を斬って恐怖を与えれば、協力する者がいなくなり、金脈を断てば日干しにはできるがな」

 「どういたしましょう」

 と熊八が今後をうかがう。

 「厄介なのはこの辺りの町衆が合力したがらないことだよ。どうしてなのだろうか。少し思案の時間をくれ」

 二人は店を後にした

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