第10話 市川 その一
翌日、例のそば屋に
お
松丸は呑みながら熊八と相対していた。熊八が話す間は、腕組みをしたまま、酒に手をつけずに話を聞いていた。
「水戸というと、今は藩の中がごたついててな。どうにもまとまれないらしい。黒船が来て以来どうもな」
十四代将軍
今日の天皇の意向を
大老井伊直弼はその動きを弾圧した。それは「安政の大獄」と呼ばれる。吉田松陰などが処刑されたが、江戸から追放された水戸藩士もいた。その一人が儒学者藤森天山であった。藤森は今の市川市
藤森は行徳で「
江戸幕府を開いた徳川家康は鷹狩りが好きだった。主に現在埼玉県の
船で行徳にやって来たときに塩田があるのを発見して、整備を命じる。
歴代将軍が行徳の塩田を保護した。塩の質としては、瀬戸内の塩などと比べ、良くなかったらしい。
そうして作られた塩を運ぶ船を行徳船と呼んだ。行徳船は塩だけでなく、年貢米や野菜を運ぶようになった。物流の交差する場所であった市川行徳地域に集まった物産も運び、銚子の魚までも運ぶようになった。帰りは江戸の文物を運んできた。そうして文化度も上がっていった。
幕府の保護によって栄えた豪商が御政道の考えと反する者を
松丸たちは、幕領と呼ばれる各地にある幕府直轄地のうち、関東の幕領の治安維持のために働いている。
その役目は「関八州取締役」といった。
「ただな、水戸は手を出しにくいのよ」
御三家には手を出せない決まりだった。
「八州様でもね」
熊八はごちた。
「どこからともなく、水戸の誰彼が幕領に入ってきたという情報が入ってきてはいるのだがな」
蚊がいるわけでもないが、松丸はおのれの頬をピシャリピシャリとぶつ。
「へえ。そうなんですかい」
「
「へい、そのようで。じゃあ誰なんでしょう。まさか御大老様か、幕閣の誰かのご命令なんでしょうか」
市川の近くには堀田正睦の領地が佐倉にある。
「わざわざ商人を斬って、大衆の反感を買う必要もあるまい。気に入らなきゃ、召し捕ればよい。やつらの動きなんぞ、かなり知れてるのだからな。もっとも商人を斬って恐怖を与えれば、協力する者がいなくなり、金脈を断てば日干しにはできるがな」
「どういたしましょう」
と熊八が今後をうかがう。
「厄介なのはこの辺りの町衆が合力したがらないことだよ。どうしてなのだろうか。少し思案の時間をくれ」
二人は店を後にした
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