第6話 翌日 その二

 店の戸は開け放たれている。外から梅雨の湿り気が容赦なく入ってくる。着物も身体もすべて湿ってしまうような勢いだ。

 「少なくとも、三件の人斬りのうち、最後だけは別の人間のしわざかもしれぬということだろう」

 前の二件は一緒にいた手代まで容赦なく殺されていた。

 片方の手代はまだ少年であった。

 「それに、この田舎だ。もともと住んでいるものが怪しげな動きを見せれば、すぐに周囲のものにばれてしまいましょう。街の外からやって来たものかもしれませんぜ」

 「そうであろうのう」

 とにかく、人の出入りについて、もう少し周囲で聞き込んでくるということで、二人は店を後にした。


 熊八が松丸と組むのは初めてであった。

 実はよからぬ噂を聞いていた。

 決まったときには他の目明かしから、「大変な御仁ごじんと組んだものだ」と同情された。

 そいつが語るところによると、松丸は「出世欲の塊らしく、人使いが荒い」らしかった。

 「前に組んでたやつ知ってるだろう、とみさんだよ。働き過ぎで殺されたらしいぜ」

 熊八が知っているその「とみ」は齢六〇を過ぎたじいさんで、殺されたのか、勝手に死んだのか、怪しいものだった。ただ、そんなことが言われているのだから、同心松丸があまり周囲に好まれていないのは確かだろう。ただ、死ぬほど働かせる御仁の割に、厳しい発破をかけられたり、煽られたり、縛り付けるような言動はあまりないようだった。なんなら、熊八に関心すらないようにも感じた。

 だいたい、出世っていっても、出世しがいのあるご時世とも思えない。

 黒船がやって来て以来、幕府も大わらわ、右往左往で、ついに自分の手に負えなくなったのか、京の帝に御意思を伺うことになったらしい。世情に詳しい方でもない熊八でもそれくらいのことは知っていた。

 出世してよいのは太平楽たいへいらくな時代の話で、嵐が吹き荒れるときに、凡百ぼんひゃくが出世してもろくな事はない。それでも出世したがるのは、勘違いしているか、頭になにか湧いてるかどちらかだろう。

 熊八の目には松丸はそのどちらにも見えなかった。


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