午前三時の小さな冒険~もんだな~

猫柳蝉丸

本編

 草木も眠る丑三つ時。

 ではないけれど、大体同じと言える午前三時。

 目覚まし時計を使わなくても、丁度同じ時間に目を覚まします。

 僕はそれくらい日常と化している小さな険しさを今日も冒すのです。

 息を潜め、足を忍ばせ、僕は自室の隣の部屋に忍び込みます。

 もう慣れたものですから、隣の部屋の住人に僕の気配を気付かれる事はありません。

 僕の自室の隣の部屋の住人――僕の心の真ん中に居座る愛しい子――たった一人の愛するべき僕の血縁者――十一歳になったばかりの僕の妹の雪子――嗚呼、名前を考えるだけで身を震わせるほどの愛しさが僕を貫くのです。

 冬子――少年でも少女でもない曖昧な年齢である僕の妹――冬子の趣味か髪を短めに纏めている事もあって、一見するだけでは少年とも少女とも見分けが付きません。冬子はそれを気にした様子もなく、近隣の同級生達と男の子の如く駆け回っています。まるで少年、その実は少女――嗚呼、何と美しい年代なのでしょうか。

 それでも、僕は知っています。冬子が少女から女性へと変わろうとしている事を。

 冬子の声が高くなりました。冬子の身体に丸みを感じ始めました。冬子の体臭に女性の特有の臭いが漂っている事に僕は気付いています。そう、冬子は初潮を迎えて子供を身ごもれる身体に変わったのです。ただし、精神はそれに追い付いていない――。

 少年でも、少女でも、女性でもない冬子――。

 叶うものなら冬子はその状態のままであってほしい。

 世の贅と楽しか求めない怠惰な女性という存在に変貌してほしくない。

 いつまでも愛しい僕の妹であってほしい。美しい存在のまま時を止めてほしい。

 いいえ、分かっています。そんな事は不可能なのです。時を止める事も成長を止める事も人の身には不可能な事だとは痛いほど知っていますから。僕もそうでした。僕はこんな年齢だけ重ねた哀れな男になどなりたくなかったのです。どうにか時間を止めてしまいたかったのです。けれど、それは僕がどう願おうと不可能だったのです。故に冬子の時間を止められない事を僕は痛いほど分かってしまっているのです。

 だからこそ、せめて――僕は今の状態の冬子をこの瞳と心に焼き付けておきたいのです。

 それで毎日毎日、僕は午前三時に小さな冒険に旅立つのです。

 冬子という豊潤で曖昧な肉体という地に。

 部屋の中の冬子は今日も寝相悪くベッドの布団を蹴飛ばしていました。

 行儀が悪いと思いたいところですが、冬子のそんなところも愛おしくて仕方ありません。まだ少年でも少女でも女性でもない。その証のようで安心させられてしまうのです。まだ僕が愛せる冬子なのだと思わせてくれるのです。全身が熱くなるのを、胸を震わせられるのを、感じさせられるのです。

 僕はパジャマの隙間から除く冬子の肉体を目に焼け付けます。

 短めに切り揃えられた髪、まだ細く長い手足、膨らみ切っていない臀部、平面としか言いようのない乳房、聖なる泉が奥深くに秘められた部分に至るまで、僕はこの瞳と心に焼き付けていきます。この時期に生きていた冬子の美しさを生涯忘れないために。

 電灯は点けていません。点けなくても僕にははっきりと焼き付けられます。それほど冬子の肉体は眩しく輝いているのです。眩しく瑞々しい肉体なのです。僕が愛する妹なのです。極当然の事ではありませんか。

 僕は息を潜め、冬子の唇に自らの唇を重ね、舌を滑り込ませます。

 いつか――いつか冬子はその唇を男か女かは分かりませんが誰かに許すのでしょう。僕は常識を知っていますからそれくらいの事は分かっています。いつかは純潔を散らして醜悪な女性という存在に変貌してしまうのでしょう。そんな事は分かっているのです。それは身悶えするほど不快ではありますが、それはどうしようもない事なのです。僕は分かっているのです。だからこそ、僕は冬子との接吻だけで全てを許してあげるのです。他の全ては諦めてあげるのです。今の時期の冬子の唇くらいは独占させてもらってもいいではありませんか。

 僕は重ねます、愛しさと、想いと、願いを。

 精一杯の接吻に込めて。

 そして、僕は自らを慰めるのです。僕の愛しさで冬子を穢してしまわぬよう、自らを処理するのです。何て思いやりのある兄なのかと、自分で自分を褒めてしまいたくなるほどです。これほど妹の事を思いやった兄など滅多に存在しないのではないでしょうか。

 十分も経たず、僕は果て、接吻も終わらせます。心地よい疲労感が僕を包みます。

 冬子が成長し切る前の、僕と妹の最愛の逢瀬。

 これが僕のいつもの午前三時の小さな冒険なのです。












 ――なんて、そんな事を僕が出来るはずがありません。

 冬子に接吻するなんて、増して接吻しながら自らを慰めるなんて、恐れ多くて出来るはずがないではありませんか。僕はそれほど無神経で行動力がある男ではありません。妹にそんな事をしてはいけないなんて分かっています。僕はこれでも非常に常識のある人間なのですから。

 冬子に接吻をするなんて単なる妄想です。冬子の肢体を瞳に焼き付けながら自慰に耽るのも完全無欠な妄想なのです。そんな事をして冬子に嫌われたくなんてありませんから。たといそんな欲望を持ってしまったとしても、妄想で終わらせるのが本当の兄というものではありませんか。

 そう、僕の本当の小さな冒険は、冬子のベッドに潜り込んで眠る事だけなのです。

 それくらいは兄妹として当然です。よくある事です。変態でも何でもありませんよね。これこそ仲の良い兄妹のお手本のようなものです。冬子がもう少し女性的に成長するまで、添い寝を続けていくのが僕の兄としての最後で最大の望みなのです。優しい優しい兄の理想像と言えるでしょう。そうですよね?

 嗚呼、また冬子と添い寝してあげたいなあ。

 冬子だって最後に添い寝をしてあげた日みたいに喜んでくれるはず。

 それにしても。

 冬子は今頃何をしているのでしょうか。

 半年前、友達の家に泊まりに行ってから帰って来ないけれど、宿題がそんなに溜まっているのでしょうか。それとも友達の家がそんなに楽しいのでしょうか。

 早く帰っておいで、冬子。

 ずっとずっと、毎日午前三時に冬子の部屋で待っていてあげるから。

 ねえ、冬子――。

 そう考えながら、僕はいつものように冬子のベッドで眠りに就くのでした。

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