第2話 シュレディンガーの美少女
さて『物語の始まり』というのはどうあるべきだろうか。
『人は第一印象が全て』という言葉もあるが、物語も同様だ。最善の起承転結の起を求めるべきだ。
そうだなあハーレムラブコメだから、例えばこんな感じの……
※
時は西暦20XX。なんやかんやあって、この人類の男女比率は、完全に崩壊し、女子100億人に対して、男子は俺1人だけとなった。
「おはよー。あなたのことが大好き。あなたの子供が欲しいの」
道行く美少女から声をかけられる。その言葉は、この世界での俺に対する軽い挨拶みたいなものだった。俺は爽やかな笑顔で「いいよ」と返すと、美少女はわっと感激の表情を浮かべ、俺に抱きつこうとしてくる。
「ダメダメ。にーさんはあたしのなんだかたら」
しかし、その美少女と俺の間に、別の美少女が手を大きく横に広げた割って入る。
それは、お兄さんである俺のことが大好きな俺の妹だった。幼い時からずっと一緒だ。
妹とは、血が繋がっているような気もするししないような気もするし、やっぱりしているような気もするけど、やっぱり繋がっていないかのかもしれない。
「こらっ。妹めー。お兄さんの交友を邪魔しないでよ」
「だって、私だってにーさんの子供欲しいんだもん」
そう言って、俺の右腕に自分の手を絡めてくる。他愛のない兄妹の会話だ。
「あら、お隣くん。ごきげんよう。今日もあなたの子供を生みたくてたまらないわ」
今度は、俺の左腕に別の美少女が腕を絡めてくる。俺のウチの隣に住んでいる幼馴染だ。
巨大IT企業の社長令嬢で、現内閣総理大臣の娘で、大金持ち。何か困った時には、その余りある資産で俺を助けてくれる。
子供の頃に、俺が結婚の約束をしたけど、全く顔と名前を覚えていない運命の美少女のような気もするし、そうじゃない気もするし、やっぱりそうである気もする。
「わーい。たーのしー。飼い主くん。だいすきー。子供生みたーい」
そう言って、俺の右足に腕を絡めるのは、アフリカに住むネコ科の動物であるクロシアネコがなんやかんやあって擬人化した美少女だ。俺のことを飼い主くんと呼び慕ってくる。
「やー、やー。同士くん。ボルダリングいこうぜ。あと、大好きだ。子供生みたい」
俺の左足に腕を絡めてくるのは、やたら、アウトドア趣味を勧めてくる美少女だ。同じ趣味を持つもの同士だから、こんな呼び方をされる。「ゆる」とか「ソロ」とか、趣味の敷居が低そうな形容詞を使いたがる
「「「「「子供生みたーい」」」」」
その他、男の子みたいな格好をした男装美少女、見た目はビッチっぽいけど根は純情そうなギャル美少女、白いワンピースを着た翼の生えた天使の美少女、肌の青白いけど体臭はなぜか臭くないゾンビの美少女、雨の日はサメに変身するサメ美少女、大きな目の描かれた白い頭巾を被ったエジプト神のメジェド美少女等。
ありと、あらゆる美少女が俺のあらゆる部分に絡みついた。
そんなモテモテの俺の一日が始まる。
そして、何故だか、最近、道路を走るトラックが俺のことを狙っている気がする。
※ ここまで妄想。
……とまあ。例えば、こんな感じがいいだろう。
あらゆるジャンルの美少女を内包し、かつあらゆる設定が曖昧でいくらでも後設定が作りやすそうな、いいストーリィじゃないか。
何より、主人公のモテモテっぷりが最高に気分がいい。
困ったら、トラックに轢かれて異世界転生して路線変更すれば良いし。
ぜひとも。こういう展開をするラノベの主人公であってほしいものだ。
か、勘違いしないでよね! 決して私がモテたいとかじゃないんでからねっ! 読者に魅力的なストーリーを提供するために、仕方なくハーレムラブコメをやるだけなんだからねっ!
うん。ホントダヨー
まあ、何はともあれ、案ずるよりも生むが易し。
私があれこれ、考えるよりも、この世界の流れに、そのまま身を任せておけばいいだろう。頼むぞっ! ハーレムラブコメ展開!
私が頭の中で、そう結論を出した時、道が丁字路に差し掛かる。
ここを左に曲がれば、私の学び舎まで、もうすぐだ。
そこに辿り着いた時きっと私の桃色物語は始まる。灰色の校舎が夢の桃源郷に思えてくる。
鼻息荒く意気揚々と、私がその丁字路の角を左に曲がった直後だった。
眼前に広がったのは、「遅刻、遅刻っ!」と声を発しながらパンを口にくわえ走ってくる少女の姿。
「うわあっ!」
「きゃあっ!」
そして、もはや、お約束のように、私の体と少女の体は衝突し、二人の体は大きくバランスを崩す。
地面に体が崩れ落ちる瞬間。私は「なんて、ベタなんだっ!」とたまらず、叫んでしまった。そうして、二人は揃って、向かい合う形で“ビターン”と大きく尻餅をつく。
「痛たたた……」
私は、大事なお尻をさすりながら、思わずそうつぶやく。
……いや、正直、『思わずつぶやく』ほどの痛みではなかったのだが。そうつぶやかなければいけない気がしたのだ。これが、きちんとテンプレートなリアクションをとるべき主人公としての責務であるように感じた。
「痛たたたた。もう、ちゃんと、前見て歩いてくださいよ!」
そう風に、私に向かって悪態をつく目の前の少女。
しかし、私は、その少女の声にとある違和感を覚えた。
それは、
――この少女は、アニメ声じゃない。ということだ。
少女の声は、なんというか、特徴という特徴がなく、可愛いとも綺麗とも表現できず、どこにでもいるような普通の女の子の声だった。
「いや、そりゃあ、相手は普通の女の子だから当たり前だろ」「そもそも、文章の世界で、声がどうこう言われても……」などいう意見があるかもしれないが。
ちょっと、待って欲しい。
そもそも、ラノベの世界のキャラクターは、総じてアニメ声のはずである。
いや、厳密に言えば、そうでなければ、おかしいのだ。
なぜなら、例えば、ラノベが、アニメという媒体に、世界を移した時。
そのラノベのキャラクター達は、皆、花●香菜さんとか水瀬●のりさんといった声優さんにより、声を当てられる。
そして、キャラクタ―に担当する声優さんの選出は、きっと、原作であるラノベの世界のキャラクターの声質に近い人が選ばれているに違いない。
「このキャラにはきっとこんな声」というイメージがあるから、選ばれているのだ。
まさか、所属事務所の戦略であるとか、話題性の確保のために芸能人を当てているとか、そういった邪道な方法で決められているわけではあるまい。
だとすれば、これを逆に考えれば、声優さんのアニメ声がラノベキャラクターの声に似ているのではなく、むしろ、ラノベのキャラクターの声が、声優さんのアニメ声に似ていると言えるのではないだろうか。
よって、『ラノベのキャラクター=全員アニメ声』という黄金式が成り立つのが、お分かり頂けたかと思う。
かく言う私も、当然、アニメ声である。
決して、ラジカセに声を吹きこんで再生してみると、思わず、絶望してしまいそうになるような、どもったボソボソした声ではなく。
声を聞くだけで、耳が孕んでしまいそうなほどの、イケメンボイスであるに違いない。
いや……そういうことにしておこう! そうだと、正直助かる!
「……えっと、さっきから、地面に座ったまま、一人でブツブツ何を言ってるんですか?」
先ほど、ぶつかった少女が、そう言って私に声をかけてくる。
おっといけない。いささか、モノローグに浸りすぎていたようだ。
「……いや、運命って本当にあるんだなーって思ってさ。考えちまってよ」
私は、自前のイケメンボイスで、そうキザったらしく返す。
なぜ、このような返答をしたか。賢明な諸君なら、お分かりだろう。
今、こうして、私が少女とぶつかった展開。これはいわゆる『ボーイミーツガール』
魔術と科学……ではなく、少年と少女が出会い、そして物語が始まるという、テンプレートな物語の始まり方なのだ。
つまり、私が、目の前の少女と、こうして出会ったことで、この世界の物語がようやく動きだす。これは、これからの物語運びを左右する非常に重要な場面である。
その大事なシーンを最大限、ドラマチックに彩るため、私は、このようにかっこいい台詞を発したのだ。
そして、その台詞を受け取る目の前の少女。彼女は、きっと、この物語のメインヒロイン。物語の最後で、私と結ばれる女性に違いない。
そうだ。そんな彼女は、きっと、ラノベ的には、美麗な挿絵が入るくらいの美しい少女――
「……………………」
私は、その少女の姿を見て、絶句した。
いや、決して、「化け物!」と叫ばんばかりの不細工であるというわけではない。
小顔ってほどでもないそれなりの大きなの顔。大きくはない瞳。頰のそばかす。整っているようで少し右に曲がっている気もする目鼻立ち。重力の法則に素直に従っている黒髪。
なんとも表現のしづらい少女だ。
間違いないのは、この少女の描かれた挿絵を見て、欲情した中学生がレジに走る……と言ったほどの美少女というわけでもない。
「えっと……私の顔に何かついてますか?」
彼女が、やぼったい声をあげた。
さて、どうしたものか。
このままでは、このどこにでもいる普通の少女と、運命的な出会いをすることになってしまう。それだけは、なんとしても阻止しなければならない!
だども、ここまで、この少女と邂逅シーンに文章を割いてしまっては、もはや、この少女との出会いそのものを無かったことにすることは不可能だ。
ならば。どうしたものか。
私が、そんな風に途方に暮れていると、近くのブロック塀の上を、まだらの灰色の猫が器用に歩いているのが見えた。
その時、「これだ!」という、三文字一記号が私の頭の中を躍った!
私は、おもむろに、自分の両目を両手で蔽い隠した。いわゆる『いないいないばあ』のポーズだ。当然、私の視界は、真っ暗な闇に包まれる。
それに伴い、目の前にいたこの微妙な少女……略して、微少女の姿も視界から消える。
「……えっと、その。何をやってるの? 目でも怪我したの?」
「いや、なんでもないんだ」
少女の返答に私はそう返した、立ち上がる。当然、目を覆い隠したポーズのまま。
なぜなら、このポージングこそが、私のハーレムラブコメへの大いなる秘策だからだ。
これを読んでいる皆さんは『シュレディンガ―の猫箱』という言葉をご存じだろうか。
簡単に説明すると、ある一定の確率で毒ガスの発生する箱に猫を閉じ込める。箱の蓋を閉じてしまえば、中の様子は見えない。つまり、猫が生きているか死んでいるかわからないのだ。そして、それは、蓋を開けて箱の中を確認してみるまでは、生きている猫と死んでいる猫が同時に存在している……という、常人にはよくわからない、とんでも話だ。
要するに『物は見た時に、初めて形が決まるよ』ってこと。
ならば、今回の場合。私が、こうやって、目を手で覆い、目の前の少女を観測しなけらば、そこには、『微少女である少女』と『微少女でない少女』つまり、美少女である少女が同時に存在することにになる。
それは、つまり、『美少女が目の前にいる』と言っても過言ではないだろう!
……こら、そこの君。「もう、微少女だと観測してるから、手遅れだろ」とか言わない。
途中で作者が、悔い改めてめちゃくちゃ美少女として描写するようになるかもしれんだろ。新人漫画家の画力が向上して、連載初期と後期で、キャラクターのビジュアルが別人レベルで変わるなんてことはザラにあるし、そういうミラクルがあるかもしれないだろ!
みんなで信じよう、例えばそんなミラクル!
「本当に、大丈夫なの? さっきから、様子が変だけど、頭でもうっておかしくなった?」
目の前にいるであろう、『美少女』が心配そうに私に声をかけてくる。
「大丈夫さ。美しい君と出会ったこの奇跡で、痛みなんて吹き飛んだよ」
私のそんなイカした言葉に対して、『美少女』は、「キモッ」と小さくつぶやいた気がしたが、きっと、気のせいだろう。
「えっと、じゃあ、私急いでいるので、行きますね。お大事に」
そう言い残し、この場を去ろうとする『美少女』を、「ああ、ちょっと、待って」と私は呼びとめる。
「なんですか?」
「君の名前を、俺に教えてくれないかな?」
「……なぜですか?」
姿は見えないが、声色から、あきらかに私を警戒しているのがわかる。
「いや何。簡単なことさ。美しい君のことを、俺がもっと知りたいと思ってさ。神様が、美という概念を形として作り出したらきっとこんな感じなんだろうな。という君のことを」
我ながら、惚れ惚れするぐらいの、ナイスな台詞が口から溢れだす。
これには、さすがに彼女も参ってしまったようで、今までのない真剣な口調で
「もしもし、警察ですか。今変な人に絡まれていて……」
と私に二つ返事で名前を教え――えっ!
思わず、両手を目から離す。光を取り戻した視界では、微少女がピンク色のケータイを耳に当て、どこかに電話をかけていた。
「――や、やめろおっ!」
僕は、彼女からそのケータイを奪い取る。
「何をするんですかっ! 変態っ!」
「変態じゃないわっ! というか、お前は何てことをしようとしてやがるんだ。私を刑務所にぶち込んで、この話をプリズンでブレイクにしたいのかっ! ジョジョ六部にしたいのかっ!」
刑務所の内部なんて、どう描写したらいいか、さっぱりわからんのにっ!
「返してください。叫びますよっ! 変態っ!」
「お前は、自意識過剰だっ! 自分の顔を鏡でよく見ろっ! わざわざ、犯罪を犯すほどの価値はないっ!」
「なんですってー!」
微少女の顔にとても描写できないような怒り形相が浮かぶ。
「私は、ただ、お前の名前を聞いただけだ。それ以上、お前に興味はない! お前に俺は邪な気持ちなんて、一切ないんだ!」
「じゃあ、放っておいてよ!」
「いや、ダメだ! せめて名前は教えろ!」
「なんでよ!」
「読者にわかりやすくキャラクター紹介をするためだ!それぐらいわかれ、馬鹿ッ!」
「わけわらないわよっ! 変態っ!」
プンスカ!なんて漫画的擬音が適しているのかわからないほど、彼女は猛烈に怒り狂っていた。
ええい、埒があかない。こうなりゃ、最終手段だ。
私は、彼女のケータイの操作し、持ち主の個人情報が登録してある項目をディスプレイに表示した。ここに、彼女の名前が記されているはずだ。
力づくで私からケータイを奪い返そうと、絡みついてくる彼女を、なんとか抑えつけながら、私は、ディスプレイに表示された彼女の名前を確認した。
そして、その名前を見た瞬間。私の表情は凍りついた。
なぜなら、そこには、
――鈴木花子(スズキハナコ)
という文字列が記されてあったからだ。これがどうもこの少女の氏名らしい。
胸の中で、熱い気持ちが沸々と沸き上がり。
「ラノベにありがちな、キラキラネームじゃないっ!!」
私は、感情を抑えきれず、天高くそう叫んでいた。
その隙をついて、微少女――鈴木花子は、私からケータイを掠め取った。
「……なあ、嘘だよな」
私は、ケータイの状態を確認している彼女の肩を逆に“グワシ”と掴み返しそう言った。
「いや、へ、変態っ! 何ですかっ!」
「この名前だよ。こんな鈴木花子なんて、没個性の塊みたいな名前、嘘だよなっ!」
「嘘なわけないでしょっ! それが、親につけてもらった、大事な私の名前です!」
「う、嘘だ。そんなの、嘘だぁ……」
私は、ヘナヘナと、力なくその場に崩れ落ちる。
鈴木花子? それが、このラノベのメインヒロインの名前?
いや、全国の鈴木花子さんには大変申し訳ないけれど、いくらなんでも、この名前はない。というか、ことラノベの世界において、この名前はあってはならない。
だって、鈴木花子なんて、地味な名前……読者はすぐに忘れてしまう。
もっとこう、小鳥遊と書いて『たかなし』とか、一二三と書いて『ひふみ』みたいな、そういう珍妙な名前がであってこそだろう?
「――お前も、そう思うよなぁ、鈴木花子ぉぉ!」
思い切り、ガクンガクンと鈴木花子の体を揺さぶる。
「何がですかッ!」
「お前も、本当は嫌なんだよなぁ。鈴木花子なんて、普通な名前っ!」
「別に嫌じゃありませんけどっ!」
「嘘だぁ、お前は、本当は変わりたいと思っているはずだ! もっと、月と書いて『ルナ』と読むみたいな、美しい名前になりたいはずだっ!」
「嫌ですっ! そんな名前、絶対生きづらいですっ! もう、いい加減にしろっ!」
鈴木花子はそう言って、僕の右手首を掴むと、自分の方にグイと引き寄せ、そのまま、慣性に従って自分の背中に俺の体を載せたかと思うと、そのまま、俺はバターンと地面に叩きつけられた。『背負い投げ』というやつだ。
柔道やってたんだね、鈴木さん。
近くを通りがかったおじいさんが、その様子を見てパチパチと拍手を送っていた。
ああ、普通に男子もいるんだね。この世界。
「とにかく、私は、転校初日で急いでるんです、これ以上、付き合っていられません」
大の字の姿勢で仰向けに倒れている私に向かって、そう声を掛ける鈴木さんは、すぐに、その場を去ろうとした。
しかし、何か思い付いたように、立ち止まり、こちらを振り返ってこう言った。
「私の名前をあれだけ、メッタメタにダメ出ししたんですから、あなたの名前は、さぞ、個性的なんでしょうね。せっかくだから、教えてくださいよ」
そう訊いてくる鈴木花子さんに対して、こう挨拶をした。
「はじめまして、鈴木花子さん。私は――田中一郎と言います」
アスファルトの上で仰向け自己紹介。それが、私、田中一郎の『物語の始まり』だった。
メタナカー世界五分前ラノベ仮説ー 一姫二太郎 @ichihimenitaroZ
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