第2話 まおう、捕まる。

 目を覚ますと、土でも煉瓦でもない、黒くて固い大地の上に横たわっていた。

「智の勇者……っ!」

 慌てて立ち上がったが、先刻まで対峙していた賢く勇敢な戦士は辺りに見当たらなかった。というか、そもそもここは魔王領ではないようだった。

「転移魔法の類か……?」

 ここが人間が統治している領土ならば、単独で敵地へと飛ばされたことになる。しかし魔王領には結界が構築されており、好き勝手に転移魔法を行使することは出来ないはずだった。

 パーッ!

「おわっ!」

 白くてうるさいのが横を通り過ぎていった。

 パパーッ!

 今度は赤くてうるさいのだ。

「なっ、何だ?」

 腰に結んでいた短剣を取り出して、道を行き交う自動車に向ける。本来儀式にしか使わないような短剣であったが、魔剣を失った今、すがるものはそれしかなかった。

「落ち着け……落ち着け。我は魔王ぞ。いついかなる時でも余裕を崩してはならぬ」

 まず、赤髪の魔王は状況の把握に努めようとした。自分を討伐しに来た智の勇者と戦い、魔力が尽きた隙を狙われ、ただの足払いに引っかかり転ばされ、挙句の果てに、お姫様だっこ……!

 男性にあのように扱われたのは初めてのことだった。魔王領では、自分は畏怖の対象でしかなかった。それなのに、それなのに……!

 最終的に自分が放り投げられたことを忘れて、魔王は短剣を構えたまま、フリーズした。


 『包丁を持った女子が路上に立っている』という近隣住民からの通報を受け、二人組の警官が乗ったパトカーが現場に到着した。

 二人組の警官はフロントガラス越しに少女を観察すると、顔を見合わせた。

「先輩、どっちだと思います?」

「いや、まさかでしょ……」

「でもあの格好ですよ」

「まぁ。えー、でも、一回病院から抜け出して、家に帰ったという可能性は」

「ありますね」

「とりあえず行くか」


 赤髪の魔王がハッとすると、二人の若い男が自分を取り囲むように立っていた。

「警察の者です」

「ちょっといいかな」

「お前たち、何者だ」

「ど、どこから来たのかな?」

「我の支配する領土から来た」

「とりあえず、そのナイフ、下ろそうか。ね?」

「我に命令するか!? 下賤な人間が、高貴なる魔王に指図するなど百年早いわ! 消え去れ!」

 魔王は手をかざし、頭の中で火炎魔法の詠唱を済ませた。

「はっ! はっ!」

 しかし、腕を何度も前に突き出しても、何も起こらない。

「先輩、これ、どっちですかね」

「いや、どっちもあり得るよ」

「でもこの髪の赤さ、美容室じゃこんな綺麗に染まりませんよね」

「地毛かな?」

「何故だ! 未だに魔力が回復せんのか!?」

「魔力とか言ってますよ」

「じゃあ、やっぱそうかなあ」

「おのれ、かくなる上は……!」

 魔王がナイフを振るおうとしたのを察知してか、片方の警官が彼女の手を掴んで、捻り上げた。

「痛い痛い!」

 ナイフが地面に落ちる。

「手錠します?」

「一応、しとこうか」

「えー、銃刀法違反による現行犯逮捕ね」

「なっ、何だそれは!?」

 赤髪の魔王は逮捕された。


 赤髪の魔王はパトカーに乗せられ、警察署まで連行された。もちろん、彼女が大人しくパトカーに乗せられるはずはなく、二人の警官が大変苦労したことは言うまでもない。

  ――署内を、二人の警官と、派手な赤い髪をした少女が歩いていた。警官らは、歩きながら「生活安全課ですかね」「そうだね。立川さんがいるから、あの人に任せよう」などと会話をしていた。

 一方、赤髪の魔王はと言うと、普通に落ち込んでいた。

「私が、ただの人間に手枷を嵌められ、よもや親の後を歩く幼子のように引っ張られるとは……」

 魔王は二人組の警官によって、おとなしく生活安全課まで案内されることとなった。

 途中、魔王は映結晶クレフィアもなしに光る箱や極めて精巧に作られた金属の家具類に関心を示したが、そんなことよりも手のひらから火炎魔法が出ない方が一万倍ショックであった。もう馬のいない馬車とか、全体的にどうでもよかった。


  生活安全課の一室に、机越しに向かい合うようにして二人は座っていた。

「こんにちは。私は、生活安全課の立川と言います」

 立川と名乗ったのは、二十代後半と思われる婦人警官だった。

「我は赤髪の魔王と呼ばれておる。図が高いぞ」

「えー、急に手荒な真似をしちゃってごめんね」立川は軽く頭を下げた。

「誠意が足りんぞ」

「ごめんなさいね、さっき、近隣の病院への照会が終わったところなの。あなた、どこから来たの?」

「我の領土から来た」

「身分証明書は持ってる?」

「……みぶんしょうめいしょ?」

「えーと、身分を証明する、免許書とか、パスポートとか、書類のことなんだけど……」

「身分を証明するのになぜ物が必要なんだ? 力を振るう、それこそが我が魔王たる証明だった」

「お名前は?」

「真名を口にするわけにはいかない。赤髪の魔王と呼んでくれ」

「……角は生えてる?」

「我は魔人族であるが、角は生えておらん」

「お父さんは生えてた?」

「生えていたぞ!」

 魔王は嬉しそうに言った。

 立川は「何でちょっと嬉しそうなのかしら……」と思ったが、口には出さなかった。

「ちょっと、腕見せてもらってもいいかな?」

「なっ、何をする」

 魔王は服の袖をまくられたことに酷く憤慨したが、立川は意にも介さずクリップボードに目を落としていた。

「BCG注射の跡もなしね……」

 立川は手元にあるチェックシートを見ながら、項目を最後まで進めなくともこの少女が『クロ』であることを確信していた。

 突如、廊下の方からタッタッタッタッと足音が聞こえた。間もなく、スーツ姿の男が駆け足で部屋へと飛び込んできた。

「はあっ、はあっ……」

「何じゃこやつは」魔王はゴミを見るような目で貧弱そうな男を見た。

 立川が声を掛ける。

「あら、菊池さん。一報入れただけだったのに来ちゃったんですか?」

「いや……だって状況からしてそうじゃないですか! というか、ついにウチの自治体にも来ちゃったかって感じですよね」

「だから、何じゃこやつは」

「あっ、屋武名やむな市役所市民課の菊池と申します」

 若いとも若くないとも言いづらい風貌をした男は、名乗りながら深く頭を下げた。

「お、こいつは礼儀が出来ておる」

「あ、どうも」菊池は頭をかいた。「で、どこまで話したんですか?」

「まだ何も」

「あーそうですか。じゃあ僕から話しましょうか。えー……」

 菊池は魔王の方を見た。

「お名前は?」

「真名は教えられぬが、赤髪の魔王と呼ばれておる」

「えっ、魔王!?」

「菊池さん、話進まないですよ」

 立川は困った風に眉をひそめたが、すぐに魔王の方に向き直ると話しはじめた。

「私からお話しますね。魔王さん、あなたは異世界からやってきた可能性があります――というか、多分そうです」

「い、異世界とな……?」

 魔王は硬直した。異世界と言われても、全く想像がつかないのだ。そもそも、自分がいる世界のほかにも世界が広がっているということ自体理解しがたいものだった。ここに連れてこられるまでに魔王領にも人間領にも普及していない技術を目の当たりにしていため、ここが異世界であるという事実を受け入れることは辛うじて出来た。ただ言ってしまえば、そこまでが彼女にとっての限界だった。それ以上思考を進めることは、今の時点ではできないようだった。

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まおう、異世界転移する。 石野路傍 @ishinorobo

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