終わらない歌

天野蒼空

終わらない歌

 故郷の風景は今でも瞼の裏に焼き付いている。灰色の薄汚れた街。色という色はほとんど無くなってしまっている。思い出す空の色はいつも今にも雨が降りそうな鈍色。両親のいない私がそんな故郷に抱く思いは「寂しさ」。悲しく廃れていく灰色の街はいつもどこかに寂しさを漂わせていた。

 私はこの街で「イケイ」という言葉で呼ばれていた。意味はわからない。ただ、いい意味ではないらしく、どちらかと言えば蔑むような目で見ながら私はその言葉で呼ばれた。

 だからこの街を出た。私が私であるために。ちゃんと自分の名前、「スズネ」と呼んでもらうために。



 比較的栄えた市場の、少し外れた路地に私は立っていた。私は頭の上から目元まで顔を隠すフードを被っている。これなら私がどんなやつであるのか隠せるから。着ているのはダボッとした膝下まであるワンピース。これなら私の一番の秘密を隠せるから。服はどれもボロボロだし、靴も履いていていない。なんなら、フードの横から垂れ下がる長い髪も、もともとは晴れた日の空のように綺麗な青色だったのに、今はくすんだ青。

 私は小さく何度か咳払いをすると歌い始めた。

 その歌声は干からびた空気をつたって空へ飛んでいった。聴いたことの無いような美しい歌声。例えるなら銀の鈴の音色。あるいは、湖に集まる妖精の足音。

 街をゆく人が足を止める。顔を見合わせ、不思議そうな顔をする。そして集まってくる。ひとり、またひとり。やがて大勢の人が私のまわりで耳を傾ける。歌を聴いてくれる。それは至福の時間。私が私で居られる時間。「イケイ」でない。「スズネ」という一人の歌姫として見られる時間だから。

 でも、そんな時間は唐突に終わってしまう。

 風がびゅうっと吹いた。フードが取れてしまう。誰もが気づく。額から生えた1本のツノに。青くぼんやりと光る1本のツノに集まる視線は、私の歌声を止め、周りの人に憎悪の感情を与える。


「オニがいるぞ!」


「叩きだせ!」


 小石が、棒キレが、降ってくる。


「一本しかツノがないオニって出来損ないだろう」


 誰かが嘲笑うように言った。

 それが引き金だったかのように始まる暴言の雨あられだ。いつもと変わらない。私は体を小さくしてやり過ごす。

 そのうちにワンピースの背中の部分が破れてきて、もうひとつの「秘密」もバレてしまった。


「おい、こいつ翼なんて持っているぞ。オニのくせに」


「なんでお前が翼なんかもっているんだ?しかも小さい」


「そうか、お前はイケイか」


 また始まった。「イケイ」だ。私は私なのに。それではダメなのだろうか。

 小石のぶつかる背中が痛む。足は血がうっすらにじんでいた。

 歌う前のように感情が身体中を光の速さでかけめぐり、ツノを強く光らせる。


「ウグゥォォォォ!」


 言葉ではなく、歌でもない。出てきたのはオニの雄叫び。青い光があたりを包み、私の意識は暗闇の中へ消えていった。




 気がつけば私は青い半透明な殻の中にいた。殻の中は月明かりが入ってきていて、ぼんやりと明るい。


「また、やっちゃったんだ」


 この殻は私がオニの力を使って作ることが出来る殻。ツノと同じ青色のその殻の底で、私は小さくなって座った。

 翼を持つ天人とツノを持つオニの子。禁断の恋の産物。それが私、スズネだ。両親の顔は知らない。きっと私を置いてどこか遠くにいってしまったのだろう。


「どれだけ上手く歌っても、私がこんなのだからダメなんだ」


 小さな翼は天人の蔑みの対象。1本のツノはオニの蔑みの対象。翼やツノがあるものはニンゲンの蔑みの対象。どこにいっても私は半端者で出来損ない、ならず者なのだ。

 そっと唇から旋律が漏れた。それは悲しい歌。短調なメロディと、運命を嘆く詩は夜の闇に溶けていった。ひとりぼっちの月が涙を流した。




──コンコン


 なにか硬いものを叩くような音で私は目を覚ました。まだ朝日が昇ったばかりの時間。目を開けると殻の中を覗こうとしている一人の少年。


「ひゃぁ!」


 私が驚きのあまり声を上げるとその少年は数歩後ずさりした。警戒心を滲ませながら殻から出る。


「ねえ、君、昨日歌っていたよね」


 殻から少しでたところで少年は声をかけてきた。


「うん。だけどもうここじゃ歌えない。見たのでしょ。昨日、最後にどうなったか」


 フードもワンピースも破れてボロボロになっている。直してないから、ツノも翼も丸見えだ。


「知っている。でも、僕、君の歌が好きだよ。もう一回、歌ってよ」


 歌って欲しいなんて言われたのはいつぶりだろうか。私が「イケイ」だとばれていない時だろうか。まだ故郷で育てられていた時だろうか。どちらにせよものすごく前なのは確かだ。歌おうと息を吸った時、少年は慌てて言った。


「歌って欲しい場所があるんだ」


 少年は歩き始めた。


「名前、なんて言うの?」


「スズネ。君は?」


「ヒイカ。スズネはどこから来たの?」


「ずっと遠く。灰色の街」


「遠くか。じゃあ僕と同じだ」


「ヒイカは旅をしているの?」


「うん。見たことない景色を見たいから、っていうことにしておくね」


 なにか意味のありそうな言い回しだ。でも不思議だ。ヒイカと話すのは、なんだか悪くない。この笑顔、嫌いじゃない。

 街を抜け、丘を越えて、しばらく歩けば海に出た。どこまでも続く青は、終わりの見えない空と交わって一本の線を作る。水平線。どこまでも真っ直ぐなその線はどこへ行くのだろう。昇った朝日が水面を照らす。その輝きはダイヤモンドにも負けない。鼻をくすぐる磯の匂い。潮風は髪を撫でてかけていった。砂浜の砂は細かく、真っ白だった。足の裏にじんわりとした温もり。ざざん、ざざざんと繰り返す波の音が耳に残る。


「ここで歌って欲しかったんだ。初めてスズネの歌を聴いた時からここが似合うって、そう思ってた。」


 ゆっくり頷いて歌い始める。

 静かなアカペラ。銀の鈴のような音色。空色の髪が潮風に揺れる。どこまでもとおる透き通った旋律。形のない感情の塊。見えない温かさと冷たさ。透明な歌声。

 海に向かって私は歌い続けた。胸の中に閉じこめられていた何かが、すっと外に出ていく。形のない大切なもの。一つ一つの言葉に想いをのせて、歌って欲しいと言ってくれたその事に感謝して、私は歌い続けた。

 曲の途中でふと、後ろを振り返った。特に深い意味はなかった。だけど、その瞬間、私の歌声は止まった。


「ヒイカ……?」


 その時みたヒイカには翼が生えていた。大きな立派な翼。燃えるような紅の翼。でもそれは、片方だけだった。


「僕も君と一緒だよ」


 悲しそうに笑ってヒイカは言った。


「一緒なんだよ」


 そう言って、飛べない片翼をはばたかせた。そのあと、抱えていた包から竪琴を取り出した。指が動く度に天使の笑い声のような音色がした。


「ねえ、歌って」


 そう言うと、竪琴はメロディをかなで始めた。私は夢中になって歌った。誰かと音を奏でるなんて、初めてだったから。

 一曲終わったところでヒイカは言った。


「僕らひとりじゃ飛べないけど、2人なら見える景色があると思うんだ。一緒に行かない?」


 私は頷いた。


 ヒイカは笑って手を差し出した。私はその手をそっと取った。




 さあ、終わらない歌を歌おうか。


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終わらない歌 天野蒼空 @soranoiro-777

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