【番外編】ラストラブソング(後編)
枕元に置いたスマートフォンのアラームが鳴り、手のひらにおさまらないスマートフォンを握り締めると手の中で震動が響く。眠い頭で待てよ、と思った。ここずっと文字通り不眠不休で、確か昨日その原因だった文化祭が終わったはずだった。なのになんでアラームなんてセットしたんだっけ? 考えながら目を開くと、液晶画面には一人の名前が表示されていて、目覚ましではない着信だ! ……と慌ててあたしは起き上がった。
「も、もしもし!」
『もしもし、ヤマモトですが』
そんなの表示されていたから知っている。もどかしく思いながら部屋の壁時計を見ると、午前十一時を指していた。
『もしかしたらまだ寝てましたか?』
スピーカー越しのヤマモトの声が耳の鼓膜を通り、その背後に人々のざわめきがあることに気付いた。ということはヤマモトは家にいるわけではなくて、外にいるのか。昨日の今日に? 元気だなぁなんて思っていると、
『午前十時半に駅前って、ジュリアさんが言ってましたよね?』
「え……?」
ベッドから立ち上がって、髪を掻き揚げたのと同時に、昨日の記憶がヤマモトへの罪悪感が一緒くたにやって来て、あたしはなんとも言えない声で叫んだ。
まず誰かに訊ねたい。こんな醜態をさらされても、あたしをジュリア様と崇拝できますか。
手に感触が残る。後ろからヤマモトを抱きしめた感じ、一晩経ったのになんで忘れないのだろう。
生徒会のみんなで花火を見上げて、あたしが頼んだ向日葵の花火が空に咲いたとき、あたしは心から幸せだと思った。
それまであたしは自分の家族だったり生まれた環境だったり、そういうものに対してどこかで恨みみたいな汚い気持ちを持っていたし、だからあたしはこんなに歪んだのだと信じきっていた。だけど、あたしが自由になれば、久保も自由になって、そしたら過去のことなんてくだらなく思えた。父が唯一あたしに与えてくれたバイオリンを弾けば、少し心が軽くなったし、何よりその頃からあたしの中では、久保と歩いてきた道が輝き、そしてまだ分からない未来が残った。
その未来に、なぜかヤマモトが微笑んで立っているのが見えた。
ヤマモトは不思議な人だった。特別な人ではないはずなのに、その澄んだ瞳を見た瞬間、あたしは同時に悲しみを知った。今まであたしが普通に生きてきたことを悲しいことだと逆に訴えられるような、そんな影も伴っていて、あたしは思わず声をかけてしまった。なんだか放っておけなくて。
あたしは誰かの救いになりたかった。いつも救われてばかりいたから。
服も適当にクローゼットから取り出して、でもこれって久保以外との初めてのデートだよねと思い、夏の終わりに買ったひざ丈のスカートを取り出す。今年流行の形で、それに合わせてお気に入りの上着も選ぶ。慌てて着替えて、髪の毛をブローして、ちょっとだけ睫毛をカールして、家を飛び出した。
「ヤマモト!」
駅前の時計の前に走っていくと、ぼんやりとしていたヤマモトがあたしに焦点を合わせると、安堵したような表情であたしを迎えた。
「おはようございます」
「っていうか、遅刻! ごめん! 十時半待ち合わせだったのに……」
「五十分遅刻ですね」
冷たく、でもどこか温かみのある声で言うヤマモトに、あたしは泣きそうになる。
明日映画に行こうよって誘ったのはあたしだった。あたしは本気で女王様になりたいわけではないのに、ヤマモトにはどうしても甘えてしまう。久保にはない温かさを持っているから、つい寄りかかってしまう。
それを一度だけ、ヤマモトに指摘されたときは本当に落ち込んだ。だけど、事実だった。だからあたしはもう二度とヤマモトに寄りかからないようにしようと思った。春も終わるあの日の出来事。
「ええと……、映画何時からだったっけ……」
「十二時からだったと思いますけど……」
「うーん、あと四十分……。お昼ごはん食べた?」
「まさか。俺は十時半からここにいましたから」
今度はにやりと笑いながらヤマモトが言い、じゃあすぐ目の前にあるファーストフードに行こうということになった。
適当に注文をして、空いている二人席のテーブルに座ったとき、ヤマモトが意外な顔をしていた。
「ジュリアさんもファーストフードって食べるんですね」
「え、なんでー?」
あたしは包みを開けながら言う。
「あたしはジャンクフードも大好きだし、安いものも大好きよ。確かに昔は父も怒っていたけれど、今は関係ないよー」
あたしの家のことを知っていることに驚きながらも、本当の気持ちを話すと、ヤマモトは納得をしたように笑った。
「でも似合ってますよ」
「何が? ジャンクフードが?」
「庶民的なのが」
ヤマモトの言うことがいちいち面白くて、あたしは吹き出しそうになりながらも笑う。声を出して笑うのは久しぶりな気がした。久保なら絶対に言えないセリフだ。
久保がいないと生きていけないと思っていた。
あたしが家族を嫌い、家を嫌い、居場所をなくしたとき、久保が救ってくれた。いつも久保が一緒にいてくれた。学校も好きじゃなかったけれど、久保がいれば平気だった。からかわれても、陰口叩かれても、関係なかった。だけど、いつだって傍にいてくれたのに、久保の存在は遠くて、あたしはどこかで孤独感に襲われていた。
忘れもしない、絶望の日。久保の態度が急変した中学二年生の春。あたしは名家のお嬢様なんかじゃなくて、普通の人間だよってずっと思っていて、久保はそれを理解してくれていたのだと勘違いしていた。結局どこに行ってもあたしは浮いていた。
それでもあたしには久保しかいなくて、久保がいつかあたしの傍を離れるその瞬間を想像しただけで、胸が苦しくなり、恐怖に襲われそうになっていた。まるで母親にすがる子供のように、どうしようもない依存心ばかりがあたしの心の中で増長していた。
だけど、十七年生きてきて初めて出会えた。依存じゃなくて、ただ単純に傍にいたいと思える人。対等にあたしと向き合ってくれる人と。
そして思えたのだ。あたしは久保を解放しなければならない。
誘った映画はあたしがどうしても見たかったアメリカのアクション映画で、画面の中は派手なシーンを繰り返し、あたしは興奮を覚えながらも魅入っていた。
少しシリアスなシーンになって、ふと隣の寝息に気付いて、脳が現実に戻る。そっと隣を横目で見てみると、ヤマモトは椅子にべったり寄りかかって眠っていた。顔だけこちらに向けているので、映画の明るさのおかげでヤマモトの寝顔もばっちり見えた。
普段のヤマモトは背筋を伸ばして歩いているような、少し無理をしている雰囲気が漂っているけれど、こうして見る寝顔はそういう緊張からも解放されて、いつもよりも幼く見えた。
昨日まで不眠不休の日が続いて、休みもなく今日朝からあたしが予定を勝手に立てて、その上あたしは忘れてて遅刻なんかしちゃうし、眠いよなぁなんてあたしはぼんやり考えながら、そっとヤマモトの髪の毛に触れた。ヤマモトはまぶた一つ動かさない。
映画なんてどうでもよくなった。あたしの心に支配する気持ちが溢れて、胸が締め付けられたように切なくなった。
いつからこんなになっちゃったんだろう。
どこか寂しげな瞳を寄せるこの人を、いつの間にこんなに好きだと思うようになったんだろう。
暗い映画館の中で、泣き出したくなるような衝動をこらえて、それでもヤマモトを起こしたら駄目だと自分に言い聞かせて、あたしは両手をぐっと握った。今にもヤマモトに抱きつきたいと思った。今度は後ろからじゃなくて、正面から。
映画が終わったけれど、結局結末は分からずじまいだった。隣に意識が集中してしまっていたのだ。エンドロールも終わり、会場がざわつきだしたと思ったら明るくなった。暗闇に慣れていた目には少し眩しくて、あたしは目を細めた。それなのにヤマモトはまだ爆睡中だ。こんなになるほど疲れていたのに、朝の待ち合わせにちゃんと来てくれたという気持ちがすごく嬉しくて、あたしは更なる幸せを望んでしまう。
係の人も会場に入ってきたので、あたしはそっとヤマモトを起こすことにした。本当はもう少しヤマモトの寝顔を見ていたかったのだけど。
「ヤマモト、起きてー」
「ん……」
心臓がどくんと跳ね上がる。人の起きる瞬間ってこんなにときめくものなのかな。またはそれはヤマモトだからかもしれない。
「ヤマモト。映画終わったから。帰ろう?」
「え!?」
やっと目を覚ましたのか、ヤマモトが急に身体を起こした。あたりを見回すけれど、もう他の人たちは帰っていて、会場に残っているのはあたしたちと係の人だけだ。
「終わったって……、え? 俺、寝てました?」
「うん、ばっちりー」
あたしが答えると、ヤマモトは愕然としたように肩を落とした。そんなに気にしなくてもいいのに。とりあえず会場を出ようとあたしが言い、二人して映画館を後にした。
屋外に出てもまだ明るくて、あたしたちは更に目を細める。
「すみませんでした、ジュリアさん」
隣を歩いていたはずのヤマモトが急に立ち止まったと思ったら、急に頭を下げだして、あたしは困惑をした。
「どうして?」
「だってせっかく映画に誘ってもらえたのに、ね、寝るなんて……。最悪です、俺……」
沈んだ声でヤマモトがうな垂れて言うものだから、あたしが悪いことをした気分になる。
「そんなことないよ。あたし、ヤマモトが来てくれて嬉しかったよ。あたしも朝、忘れてて……。ヤマモトだって疲れているのに、本当にありがとう」
あたしが言うと、ヤマモトはやっとあたしのほうを見て、目を細めた。
「・・・ジュリアさんが俺を呼べば、いつだって行きますよ」
はっきりとした口調で言うヤマモトを見て、ああこの人はモテるんだろうなとなんとなく思う。女の扱い方を知っている。
いつだってそうだった。例えばあたしが久保と唯ちゃんの二人を見て沈んだときだって、音楽室で一人で泣きそうになっていたあたしを見つけて、声をかけてくれた。あの頃の記憶は悲しみと共に少しずつ薄まってきているけれど、ヤマモトの言葉は忘れない。ヤマモトの優しさを忘れるはずがない。まるでラブソングをあたしのために歌ってくれた、そんな気がした。あたしがヤマモトを救ってあげたかったのに、結局あたしが救われてしまった。いつだってあたしは救われてばかりだった。
「文化祭、終わっちゃったねぇ」
「そうですね。昨日、花火を見ながらもそんな会話をしましたけれど」
やりきれなくなって会話を変えても、ヤマモトはついてきてくれる。たったそれだけのことだと思うかもしれないけれど、あたしがどんなに安心していられるか、きっとヤマモトには分からない。
「まだ実感が湧かなくて……」
「明後日、片づけをすれば嫌でも湧きますよ」
ヤマモトが言い、あたしは笑う。文化祭が終われば、特に大きな行事もなく、あたしは生徒会を引退してしまう。その頃、あたしはどうなっているんだろう。そう思うと怖くなった。今みたいに無条件にヤマモトに会うということが出来なくなってしまったら、あたしはどうするんだろう。
再び歩き出すヤマモトを見て、あたしはまた涙が出そうになる。今日何度目だろう。
「ヤマモト!」
慌ててヤマモトのシャツを掴む。驚いたようにヤマモトはあたしに合わせたように立ち止まり、嘆息をこぼしてから人通りに邪魔にならない場所まで移動した。ショッピングモールの前の柱の横。
「……どうしました?」
休日の夕方は人混みで溢れているのに、あたしたちはまるで二人きりになったように、耳の奥がしんとなって、心臓の音がうるさい。あたしが何も言えずにいると、ヤマモトがそっとあたしの目を覗き込む。
「あんなところで急に立ち止まっても、危ないですよ」
あたしを気遣うヤマモトの瞳の色はとても澄んでいて、尚更言葉が出ない。混乱が増長して、心の中がぐちゃぐちゃになって、あたしは本当に涙を溢れ出させてしまった。これじゃヤマモトがあたしを泣かしているみたいだ。ヤマモトを困らせたくないのに、どこかで困らせてみたいと思うあたしがいる。どこまでだったらヤマモトは許してくれるのかな。
あたしのわがままに答えてくれる理由だって、本当はあたし、知っている。だから余計たちが悪い。あたしはこんなあたしを好きじゃない。だけど、ヤマモトといると唐突に心が騒ぐのだ。
「ヤマモト……」
「なんですか」
「ヤマモト、あたし、ヤマモトが好き……」
ヤマモトの顔なんて見ていられなくて、うつむいたまま、鼻をすすりながらつぶやく。頭の上で驚愕した声がして、ゆっくり顔を上げると、意外なことにヤマモトは顔を赤くして、やっぱり驚いていた。
「……ヤマモト?」
「え……、ちょっと……、びっくり、して……」
「なんで。あたし、好きでもない男と二人で出かけたりしないよ」
あたしが言うと、その言葉の選び方にデジャブを感じて二人で笑ってしまった。
―――俺は好きでもない女を抱きしめるほど、いい加減ではありませんよ。
あの時のあたしと同じで、ヤマモトも今頃ドキドキしているのだろうか。同じだったらいいと思った。想いの大きさも、全てが同じであれば、不安になることなんて何もないのに。
「これで終わりなんかにしたくないよ……。これからだってあたしはヤマモトに会いたいし、たまにはこんな風に学校が休みの日にも会いたいよ」
「だって、久保さんは……?」
ヤマモトが意外な問いを投げかけてきて、あたしは意表をつかれた。なんて説明すればいいだろう。恋愛だったかもしれない。でも今のヤマモトへの気持ちとは大きく違うということ。
「えっと……」
あたしが言葉を考えていると、ヤマモトは優しい目をあたしに向けてきて、きっとこの人なら理解してくれると思った。初めて出会った、あたしをジュリアという枠に当てはめない人だから、信じられる。
「話は長くなるけれど、いい?」
あたしが訊ねると、ヤマモトはもちろんだと言って、微笑んだ。だからあたしは安心して話そうと思う。家のこと、久保のこと、ジュリアのこと、そして本当のあたしの名前を。
二日後、学校中で文化祭の片付けが行われて、生徒会はその最終チェックもしなければならなかった。
「ジュリア、なんだか幸せそうじゃねーの」
一緒にまわっていた川口は目敏い男だ。一般女子はこういう男が好きなんだろうなーとうなずけるような男を、あたしは睨む。
「うるさいなー。早く終わらせて、部屋に戻ろうよー」
「はいはい。女王様は怖ぇな」
そういえばこの男もあたしを一度もジュリア様なんて呼んだことなかった。だから一緒にいて楽なんだろう。いつだってカノジョを切らさないのがあたし的に疑問であるけれど、憎めない。
「川口ー、ありがとうね」
きちんと片付いているか、ノートに記録しながらあたしが言うと、川口はこの世に存在しないものを見るかのような目つきであたしを見た。
「……どうした。何か変なものでも食ったか?」
「ううん。楽しかったよねって思って」
「相変わらず分からない奴だなー。もうここで最後だろ? 俺、もう帰りたいんけれど」
川口が急かすように言う。何の予定があるのかなんて関係ない。サボリ魔なのは慣れた。あたしは手を振って川口と別れ、生徒会室に向かって歩いていると、ヤマモトに出会った。
「あ、ヤマモトー。おはよー」
「おはようございます。お疲れ様です」
一昨日は一緒に映画を見に行って(映画なんて見ていないけれど)、昨日は電話をした(生徒会のことなど他愛のない話しかしていないけれど)。なんだかくすぐったい気持ちになる。
「久保はもう部屋に戻っているー?」
「はい。俺より早く戻っていると思いますよ」
「ふーん。じゃあさ、ちょっと久保を脅かしてみない?」
「え・・・・・・?」
あたしたちは並んで歩き、あたしが悪巧みを言うとヤマモトは絶句した。そんなヤマモトを無視して、あたしは生徒会室のドアを開ける。
「あたしたち、付き合うことになりましたぁ!」
室内にいた久保の反応を楽しみにしながら、あたしは笑顔で声をあげた。
明日の存在は希望の証、あたしは今日もヤマモトの手の温もりを知るのだ。
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