雪シネマ

Mondyon Nohant 紋屋ノアン

前編


「ひと冬にたったの一日、それも早暁あけがたのほんの数分だ」

 室内には二人しか居ないのに王爺ワンじいさんは、大げさに辺りをうかがい声を低くして語り始めた。

「きまった日に、行なわれるの?」

年初一しょうがつからひと月のうちだが、日はきまっていない」

 前の晩から降りつづけたぼた雪が夜中のうちに止むと、川面かわもからもやがたつことがある。

 靄は凍みた雪原をい上り、夜明け間近まぢかにはむらひとつ被うほどの濃い霧となる。

 ひと冬にそんな朝は何回かあるが、いくつ目の朝かはわからない。ただし、年初一ネンチョイからひと月の間だ。その朝を逃したら、次の年まで観ることはできない、と王爺さんはくり返した。

 生まれて初めて映画を観た日だった。映画館からの帰り道、僕はワン爺さんの家に寄った。

 玄関を上がるなり、怪獣映画のスペクタクルを得意満面とくいまんめん身振みぶ手振てぶりで再現する僕を見て、「まるで、雪電影シェ・ティェンイェンを見ているようだ」と、ワン爺さんは笑った。

「シェ・ティェンイェン?」

 王爺さんは映画のことを「電影ティェンイェン」というのだ。

 その日観た映画に刺激され過敏になっていた僕の好奇心は、当然、王爺さんにめ寄った。……それはどんな映画で、何処どこの映画館でみたのか。

戲院こやで映す電影ティェンイェンじゃないんだ。外で、それも、朝早くにやる」

 木戸銭きどせんは払わなくてもいいんだが、よほど運がくないと観ることは出来ない、と王爺さんは言った。

 僕が育った雪国の盆地ぼんちには、幅三町さんちょうほどの大きな川が北に向かって流れていた。街の外れにある僕の家からその川までは一里いちりくらい水田が続いており、冬の間は一面の雪の原となる。

 晴れた朝は雪の上面うわつらみていて、それが堅い時には雪上を自転車で走ることもできた。ただし、早めに戻らないととんでもないことになる。

 まれに、川で発生した霧が雪原いっぱいに広がる朝があった。

 霧の朝も晴れた朝と同様、雪面はカチカチに凍みている。僕は、自転車をり出して霧の中へ突入とつにゅうする。右も左も判らなくなり、ちょっとした不安にられるが、天も地も真っ白で雲の中に浮いている気分だ。そんな真白闇まっしろやみの立ち往生おうじょうを、何回か楽しんだことがある。

 雪電影シェ・ティェンイェンが上映されるのは、雪面がカチカチにみていてしかも濃い霧が出ている時だと王爺ワンじいさんは言った。

「友達とわたりをして遊んでいたんだが、いつの間にか自分独りだけ霧の中に迷い込んでしまった。大声を出しても、遠く離れてしまったらしく友達からの返事はない。明るいことは明るいが、どっちを向いても周りは真っ白だ。右も左もわからない。みがけてしまったら、雪の上を歩いては帰れない。さすがの王さんも困ってしまった」

 れだって町を歩いている時、喧嘩けんかや酔っぱらいを見かけると王爺さんはすくめた首をゆっくり振りながら「アイヤー」と小さく言う。「困ってしまった」と言ったとき、王爺さんは、その「アイヤー」の表情かおをした。

「そのうちに、何処どこかから音が聴こえてきたよ。最初は、風の音か、遠く離れたむらしゅう朝支度じたくをしている音だと思ったんだ。ところが、自分は一歩も動いていないし何かが近づいてくるでもないのに、だんだんとその音は大きくなってくる。しまいには、はっきりと聴きとれるくらいになった。そう、チンジャンチンジャンという音だ」

「チンドンの音だね」

「王さんの国にはチンドン屋さんはいなかったけどね。その音にあわせて、走馬燈そうまとう影絵かげえみたいなものが、ぼんやりと見え始めた。やがてそれは、ちょうど幻燈げんとうのピントが合っていく時みたいに、はっきり見えてきた」

 見えてきたのは、あかや黄やあおのぼり水彩すいさい大看板おおかんばん、何枚ものチラシだ。銅鑼どら三弦サンシェン胡弓こきゅうも見える。

 のぼりに書かれていた字は王爺ワンじいさんのまだ習っていない字ばかりだった。大看板やチラシや楽器はつるされたように宙に浮き、わずかにれている。

 やがて、大看板の下あたりの霧の壁が向こう側から押したとびらように開いたかとおもうと、中から妙な格好かっこうをしたけものが出てきて、

「ご当地とうち馴染なじみの雪シネマ、ようこそいらっしゃい」 *1

 鳴物入なりものいりの呼込よびこみを、にぎやかにやりはじめた。

「狐だよ」

「キツネ?」

 狐狸の物語は、ほかの年寄りからうんざりするほど聞かされていたが、王爺さんからこの手の話を聞くのは、そのときが初めてだった。

「王さんは狐に化かされてしまうのかと、いっとき悲しくなったんだが、ふと、化かされてみるのも面白いかもしれないと思った。化かされて死んだとか大怪我をしたとかって話は聞いたことがないし、狐や狸や妖怪には素直すなおに化かされるのが無難ぶなんだとむらの年寄りにも聞いていたからだ」

 王爺さんは、きもたまえたのだった。

「まさか人間は見物しておるまいなあ」

 と狐が言った。

 鼻先はなさきは他を向いているが、横に付いている眼は、しっかりと王爺ワンじいさんを見ている。

 こいつめ俺がここにることを知っているくせに、と思ったが、王爺さんはわざと「おるまいおるまい」と、とぼけてこたえた。

「もし見物していたら、どうしてくれようか」

 と、狐がそっぽを向いたまま言った。

 王爺さんはこんなふうに問われた時のこたえ方も村の年寄りから聞いていた。

「福をさずけてたたるがよい。千金せんきん与えて祟るがよい」

 そうこたえるのだ。すると相手は、

「ようし、もし見物していたら、福を授けて祟ろうぞ。千金与えて祟ろうぞ」

 とたのしそうに言う。

 この時、恐れずにこたえることができた者は、以後、長寿財福徳福ちょうじゅざいふくとくふくに恵まれる。しかし、おびえたり逃げだしたりした者は幸運から縁遠えんどおくなる。

 王爺さんは、息をいっぱいに吸って、大声で返事をしようとした。ところが、さっきまで憶えていたはずの言葉が出てこない。馬鹿忘れをしてしまったのだ。

 「福を授けて……」という文句もんくが、全く憶い出せなかった。

「もし見物していたら、どうしてくれようか?」

 狐は声を高くして、問いただすように言った。

 どうしても憶い出せず、切羽詰せっぱつまった王爺さんは、

「ちゃんと憶えていたのに忘れちゃったんだ。でも、大人になったらきっとおもい出すよ」

 と大声で言ってしまった。

 狐は、「福を授けて祟るがよい」というまった台詞せりふが当然出て来るものと期待していたらしい。ところが、王爺さんが変なこたえ方をしたので呆気あっけにとられてしまった。

 口をポカンと開き、舌を横にらしてしばらく黙っていたが、

「コ~ン、コンコンコン」

 と大笑いして、

「ようし、もし見物していたら大人になってからおもい出してもらおう」

 そう言うと、鼻先はなさきを天に向け、コーンとひと鳴きした。

 その合図あいずを待っていたかのように、

 のぼりやチラシや大看板がいっぺんに消え、

 カシャカシャと映写機のまわる音が響き、

 雪電影がはじまった。


*1 シネマ(cinema)イギリス英語≒movie。映画興行、映画館といった意味もある。中国では一般的にcinemaは影院(映画館)と訳される。戲院=劇場。


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