この海には砂金が埋まっている

猫背街 中毒

この海には砂金が埋まっている

2020年の夏になって世界は深い海に取り込まれていた。何層にも塗り重ねられたその海は見えないところで、我々によって作り出されていた。私はその海に溺れている。誰も助けてはくれない。私は、自分で自分を引き上げなければならない世界に落とされたのである。引きあがる力はないので唯一の趣味でこの世界から背を向けることにした。その趣味は私を温めてくれる。私もそれを大事に温めて、手塩にかけて成長させている。正方形の寄せ集めのような無機質な趣味とは格段にかけ離れている。そのいかれた個性が私のアイデンティティを確立していると断言しても過言ではない。

私は潜水艦を作ることが大好きである。子供のころから、余った紙に蒸気機関車や飛行機といった乗り物の設計図を作ることに時間を費やしていた。やがてそれは、成長とともにより具体的かつ魅力的なものに変化した。私は、毎日学校帰りに自分の部屋に閉じこもっては、帰り道の寄ったゴミ捨て場や廃材置き場で拾ってきた粗大ごみや廃材をちまちまと集めていた。それは私の理想を具現化するために必要な部品に改造して、少しずつ組み立てていた。その時だけは時間を忘れ、甘く旨い世界線に飛び込める。現実は黒い土砂のように無慈悲である。さらに、人喰い鮫のように理性的に都合の悪い事象を食い散らかす。反論の余地もなく、多くのものが悲惨な血を流して、帰らぬ人となる。それを私は短い人生ながら、まざまざと見せつけられた。私は、まだ心の中に回る気持ちを言語化できていない。2020年になって世界は封鎖された。それは諸事情によるものだが私にとってはなんら障害でもない。学校に足を運ぶ必要もない。ここ最近は外に出ていない。外は青く濃い海に浸されていた。

厭な想像が意識を支配する中でも生真面目に手は動いており、完成予定日まで数日を残して、潜水艦は大方完成した。下から親の呼ぶ声が聞こえた。うんざりした生返事を返して、私はやりかけの作業をそのまま放置して、下へ向かった。

今日の親の機嫌は最悪だった。それは日常である。いつものように私のことを見ることなく、ハイエナのように用意した夕食を貪っていた。私はその様子を向かいからみて少し憂鬱な気持ちになった。親は非情な程に怒りを私にぶつけてくる。理由はあるにせよ、怒りのあまりそれを語ることはなかった。私の心はズンと重くなった。それは、消費期限の切れた食品のような体に不調をきたすものだった。夕食の味は全くせず、大好物のハンバーグがただの遠い異国の小さな島国の置物に見えた。食卓の延長線上に伸びる親の顔は鬼のように狂ったものであり、どんな言葉を投げかけても怒りは収まる様子を見せなかった。そうして、夕食が終わると、後片付けを済ませて、私は一目散に部屋に戻った。鍵をかけて、かかったことを確認すると、又、潜水艦の組み立て作業に取り掛かった。


日付は明日になり、窓が白んだ頃、ついに潜水艦は完成した。私は心の中で歓声を上げ、小躍りをした。早速、潜水艦に乗り込み、スイッチを入れた。エンジンがかかり、子豚のような唸りをあげ、潜水艦はズブズブと床に沈み込んだ。暫くは真っ暗な景色が広がっていた。そのまま、のろのろと進んでいくと、一気に景色は変化した。フロントガラスには通いなれた道が映し出された。人通りは無く誰もいない町は深い海に沈んでおり、物騒な顔をした深海魚がゆらゆらと泳いでいた。

潜水艦のスピードを上げた。傍目の魚は潜水艦を殺すような眼で睨み避けた。操縦かんを左右に揺らして、バランスを整える。海の上辺は陽の光が乱反射して金色に輝いていた。

ふと、左側から伸びる路地裏に目が留まった。私はスピードを緩め、左に曲がり路地裏に入った。その先にはゴミや段ボールがひしめく廃材置き場があった。頻繁に通い詰めた記憶がふっと沸き上がった。すると、奥廃材がぐらぐら揺れていた。そこに移動したが外見には異常はなかった。それは真ん中がくり抜かれ空洞があった。丁度潜水艦が入り込めるほどの大きさだったので、ライトをつけて中を散策した。すると、そこに二匹の半魚人がいた。二人は密な様子でキスをしていた。ごつごつとした男の手が彼女の腰に添えられて、彼女の小さな手は男の首を回している。私は裏道に入ると、潜水艦を透明にして、彼らに姿が見えないようにした。男の心は熱く燃えていた。女の心は氷のように冷えていた。女の心は反発する磁石のように震えていた。次第に男はその場で行為に及んだ。男の心は炎に飲み込まれていて、周りの音も全て焼き尽くしていた。女の心は男の炎で溶けていた。溶けてできた水は彼女の身体に溢れ、雷鳴を連想させるほど悲劇的なものだった。私が潜水艦でじりじりと距離を詰めた。女の心は暴れている。その時、路地裏の壁に居た魚がバリケードを破壊した。私は一目散に逃げ、入り口まで戻った。追いかける様子は無かった。再び、路地裏に目をやると、彼らの姿はどこにもなかった。複数の泡沫を残して、路地裏は元の寂しげな風情に戻っていた。

路地裏の地べたに張り付くように二匹の魚の死骸が浮かんでいた。


潜水艦を進めて私がいつも通っている高校にたどり着いた。さっき見かけた男女もここの制服を着ていた。高校には人はまばらで、活気のない平穏な風が流れていた。校門を抜け、階段を上がり、自分のクラスの教室に到着した。誰もいない。隣の教室には人の気配がした。ボタンを押して潜水艦を柔軟な素材に補正し、教室の扉をすり抜けた。教室の中央に寄り集まり、わずかに人がいた。授業を受けに来た人が黙々と机に向かっている。教師は不在で、天井は黒く煤けていた。私は教室の後ろの方に回り込んで、ゆらゆら回遊していた。最初は何の変哲もない生徒の青い制服の背中姿だったが、教室全体が青く濃くなるうちに彼らの造形もどんどん変化していった。それはとてもいびつなものに変身し、体が黄色く光りその周りを取り囲むように大きく厚い泡沫が張り付いていた。そして小さな爆発とともに数人の生徒たちは醜い深海魚にその姿を変異させていた。深海魚には人間の手が生えており、その手には凶器が持たされていた。一匹の提灯アンコウは手に持つナイフで自分の身体を傷つけていた。またある一匹のデメニギスは日本刀を携えていた。そして近くにいた深海魚を次々に襲い掛かった。彼らは逃げまどい、潜水艦にぶつかって逃げ遅れる者もいた。やがてデメニギスは潜水艦のほうをじっと見つめた。そして大きく鋭くとがった黄色い歯を見せつけてこちらに向かってきた。私は間一髪でかわし、そのまま扉を抜けて逃走した。デメニギスは、日本刀を振りかざして追いかけてきた。スピードの出ない潜水艦にあっという間に追いついて振り回した日本刀が船尾のボディを鋭くえぐった。その音が何度も何度も飛び交って船内では警告音と赤いランプで犇めき合った。私は潜水艦の出力を最大限にパワーアップしてデメニギスと距離をとった。デメニギスはさらに興奮して体をしならせて、ぐんぐんとこちらに迫ってきた。私はその隙をついて操作パネルで一発の魚雷ミサイルを発射した。それはデメニギスに直撃し白い泡沫を残して、デメニギスは姿を消した。


潜水艦は大きな傷を負っており、一度止まって修理する必要があった。潜水服に着替えて船外へ抜けた。魚の通りは浅くかった。魚群がちらほら通り過ぎるたびに、私はさっきのデメニギスを思い出し、体が反射的に震えた。

すると金色の人影が風にあおられた鯉のぼりのように揺れていた。その人影は不穏な動作をした。刹那、物が落ちる強い音が鳴り、それとともに黒い液体が流れた。それは海の中でマンタのように大きく優雅に広がり、あっという間に海は黒に近い青に染まった。身動きが取れないまま、頭に何かがぶつかった。頭に取り付けたヘッドライトをつけると、白目を向いて泡を吹いた魚だった。ヘッドライトで周辺を照らすと、似たような状態を魚が次々と現れ、やがてそれは大きな大群となって私を取り囲んだ。それをすった魚たちは次々と骨になった。私は慌てて修理を済ませて船室に戻った。窓には口をパクパクさせた魚たちがぎゅうぎゅうに詰まっていた。私はその光景にひるみながらも、一目散に潜水艦を飛ばして家に向かった。潜水艦にばたばたぶつかる魚たちは皆、小さな泡沫を残して、水面に浮かんでいった。


家に到着し、潜水艦は私の部屋に静かに座った。私はそこから降りた。潜水艦は青黒く汚れており、所々ボロボロになっていた。

「もうこれは直らないな。」と私は実感し、疲れを背負ったまま机に座った。そしてさっきまでの光景をじっくりと回想した。魚たちの傍若無人な振る舞いに私は笑っていた。

カチカチと鼓動を鳴らす置き時計を見て私はニッと笑みを浮かべた。

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