番外編 2 ネモの戦記
少年は鳥になりたかっただけ。美しく、世界を覆う玻璃の硝子のような続いている空を自由に飛び回りたかっただけ。
ただそれだけだった。
泣きたいほどの群青色の空が自分の真上にある。レヴァン帝国空軍に所属している少年は、何か決心したような顔で空を見つめると、帽子をぐっと深く被り、『空飛ぶ缶切り』と呼ばれている飛行機のコックピットの中へ入っていた。
少年の名は
手先も運動も勉強も不器用で、変わったことがあるとすれば、触手を操る能力なのに、空軍に属しているということだ。陸軍に所属していれば、それなり活躍が期待されただろう。
だが、残念ながら彼が選んだのは幼い頃から好きな『空』だった。
群青色の空が目の前に広がる。
憧れていた情景。幼い頃父に「鳥になりたい」と言ったら、父が笑いながら、「なら、飛行機乗りになりなさい」と言ったことを思い出す。あの瞬間ズィーガーの夢は決まった。
鳥はいい……どこにでも自由に飛べるのだから。誰にも縛られず、なにか強要もされることも無い。
「いい大学に入り、いい就職先に入る。それが貴方の幸せなのよ」
幼い頃から、母が言い続けた言葉。それを実現させるべく、ズィーガーは勉強も運動も頑張った。結果としては全然良くならなく、テストの結果を見せる度に「なんで?」「どうして?」と叱責される日々。
「私はね!貴方の為に言っているの!」
ある時気づいた。もちろん夢である飛行機乗りになるには運動、学力はある程度必要であろう。しかし、母が言っている『幸せ』は、果たして自分にとって本当に幸せになるのだろうか……?と。
しかし、疑問に思いつつなるべく考えないよう過ごしていたら、10年近くの年数経ち、
高校の卒業の数日前に受験大学の合格発表に行くと、自分の受験番号が掲示板にどこにも載ってない。
寒い風が頬を撫で、横で母親の怒りが混じった啜り声が聞こえ、無意識に自分の息が荒くなってたと同時にもしかしてこの生活から抜け出せるのではないかと六等星のような希望を抱いた。
結果としてはその通りだった。
そこから元々誰かの役に立ちたいという時に、戦争が激化し、人が居なくなった空軍の勧誘ポスターを見て自ら応募した。母親は少し複雑そうな顔をしたが、「出世してお国のためになり、あなたがそれでいいなら入れば?」と言った。父も複雑そうな顔をしたが「良かったじゃなか。鳥になれて」と言い、頭を撫でた。
尊敬する上官に囲まれ、寄宿舎で同じような歳の子とふざけ合い、夢だった空が間近にある。本当に幸せで堪らなかった。
昔のことを思い出していると、やはりあっという間に敵に囲まれていた。落ち着け。上官の言う通りにやれば逃げられる。ズィーガーはレバーを下げる。下げてからコンマ数秒で、体が浮きそうなほどの急降下。鼓膜が破れるじゃないかと思うほどの痛みと、耳鳴りと血が移動する感覚をおぼえる。それから操縦レバーを思いっきり左に傾けた瞬間同じように期待は左になる。それでも敵機はついてくる。1度狙った獲物は逃がさない当たり前だ。いつまでも追いかけてくる敵機。やられっぱなしは嫌だと、ズィガーは機関砲を撃つ。掘削機のような音と同時に前方の敵機の白銀の翼がもげるのが見えた。
ーー翼がもげた鳥はもう二度と飛べないーー
日光が当たって白鳥のように白く見える翼はクルクルと周りながら落ちてゆき、やがてバラバラになって空へ溶けた。
一機倒したから終わりではない。まだまだ敵機はいる。引き続き、ズィガーは機関砲を撃ち続ける。しかし、直ぐに避けられてしまう。ああ、悔しいなと思いながらレバーを握り続ける。先程撃ち落とされた反撃というように向こうもこちらへと撃ってきた。ズィガーは必死に上官に教わった回避方法で避ける。翼に当たったら二度と地上へと戻れない。5分ほど撃ち合いが続いただろうか?ズィガーは雲の中へと逃げ込み、何とか敵をまいた。
「はぁ……ヒヤヒヤしたよ〜」
気が緩んだのか思わず独り言を呟く。
溶けてしまいそうな真っ白い霧の中を鋼鉄の鳥は飛んでいく。霧を抜けると群青色の空が目の前に広がる。ズィガーは口角を上げる。
もうここはアルキュミアだ。現在北部の黒い森の上空付近を飛行している。
「さてさて〜!あとは偵察と黒い森の戦車をぶっ潰すだけ!」
意味の無いカッコつけだけの独り言を叫びながら、ズィガーはテンションが上がった時の癖である猫のような八重歯で唇を噛んだ。
任務を終え、レヴァンに戻ろうと北方を目指す。任務も運良く敵国の戦闘機に出くわすことも無く、偵察も今までの中で1番出来たような気がする。見てみろ!自分はやれば出来る子なんだと証明できた気がした。
と思った瞬間だった。遠く微かに敵機の影が見えた。ズィガーは直ぐに気分を切り替え、レバーを握り直す。降下して急いで雲の中に隠れ撒こうとするが、雲が無い。目の前に広がるのは群青色の広い空。きっといつもなら喜ぶ大好きな空の姿。
こうしている間に敵機は近づいてきた。そしてこちらに向けて撃ち始める。ズィガーはレバーをあちこち移動させる。避ける度に機体はグラグラとして気持ち悪くなってきた。喉の奥から酸味の液体が込み上げてきそうで、喉がカタカタと笑うように痙攣する。
左部に隕石が落ちたような衝撃が走る。ズィガーはその瞬間弾が被弾したと気づいた。
それでもズィガーは生きることを諦めたくは無かった。緊急ボタンを押し、ずっと前に習った。被弾した時の対処法を呟きながら一生懸命操作するが、降下は止まらない。そしてクルクルと機体が回り始めた。ここまで来るともう助からない。そしてズィガーは操縦レバーから手を離した。
下は海。広い海。ああもう助からない。例えクッション代わりの触手を出しても、中途半端に生き苦しむだけだ。
ズィガーはその瞬間を待った。不思議と怖くなかった。
ーーただ一つ無念があるとすれば……もっと生きたかった。もっとふざければ良かった。もっと教官から色々なことを教われば良かった。もっと……もっと……本当は教官のようになりたかった。
……ああ、本当は……本当の願いは……人を殺さずに平和に幸せに暮らしたかったな……
その瞬間、戦闘機羽がバラバラに崩れた。もう戦闘機は白鳥のように美しく飛ぶことは出来ない。ズィガーの小さな躯は蒼空へ放り出される。戦闘機の部品と一緒に落ちてゆくズィガーはまるで羽が生えたようだった。それに気づいたズィガーは空を掴むように両手を広げ、ニコリと笑った。
ーー最後の最期にズィガーは鳥になった。ーー
小さなズィガーの躯はやがて青い深い海へ部品とともに沈んでいって二度と地上の土地を踏むことは無かった。
これは小説の主人公になれなかった
傷ついて四葉のクローバーになる 八月朔 凛 @sakarasaku
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