世界のはじまり

 それからは毎日ちょっと狂ったくらいにギターの練習をした。再び音楽に対する情熱が沸いたというより、ほかにすることがなかった。

 インターネット上には、あらゆる楽曲の譜面や国内外の演奏動画が数多あまた存在していた。なんでも無料で手に入る世の中に月日の流れを感じる。

 そのうち彼女の動画も見つけた。目を疑った。擦り切れるほど聴いた楽曲の数々が彼女のものだった。

「オリンピックってどのくらいの人が観てるのかな?」

「どうだろうなあ」

「例え何千万の味方がいてもさ、一人で歌わなきゃならないんだよね」

 誰もいない渋谷で出会った彼女は、ぼくが生まれた日に亡くなったそうだ。もう五十年も前の話になる。

 古びた映像の中で愛を叫ぶ姿は、あの日と寸分の狂いもない瞳で必死に訴えていた。

「最後は独りなんだよね」

 何度考えてもそれはぼくの見間違いで、でも、何度見直してもこれは彼女でしかない。頭が混乱した。

「ねえ。これは世界の終わりなのかな」

「はじまりにしよう。はじまりは独りぼっちなんだ」

 以前より上達したそれを、誰かに、いや、彼女に聴いてほしくて、部屋を飛び出した。会えないと分かって、会いに行こうと思った。

 朝も夜もないどんよりした部屋を出ると、真夏の朝日がセミを叩き起こしていた。

 うるさいな。街には人がまばらに歩いている。

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あの夏で待ってる @sonohigurashiii

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