不器用な

 世界中を襲う感染症の猛威が、世紀末感を漂わせながら、徐々に人生を狂わせる。死の恐怖は繁華街から人を消した。

 『経営が厳しく今月で店を閉めることにしました』

 個人経営の居酒屋はあっさり潰れた。簡素なメッセージでぼくは解雇された。返事はしなかった。というより、適切な言葉が見つからなかった。

 後日、給与とは関係ない、申し訳程度の金額の振り込みがあり、それっきり音沙汰ない。確かめに行ってみようとも思ったが、勇気がなかった。

 ある種の世界の終わりだった。そりゃあ何か月か食い繋ぐだけの貯金はあるけれど、それだけだ。それ以外にはなにもない。

 どうにもならない現実を前に焦燥感は湧かなかった。


 そういう人は五万といるんだろうと思っていた。ところが、そうでもなさそうだった。事業を縮小したり、在宅勤務に切り替えたりしながら、誰もがそれなりに仕事をしている。仕事という仕事がなくなっても、それらしい雑務をして毎日をやり過ごしているらしかった。自分以外の全部が、きっちり、社会の、経済の、歯車の中に納まっていた。

 また一人だけ。音楽活動をしていた頃もそうだった。一人ではなにもできないくせに、他人といると常に衝突していた。ぼくは随分と不器用なたちらしい。


 「あたしは一人で歌ってる。そのほうが好き勝手できていいよ」

 彼女は時折寂しそうな表情をした。強気な言葉を飲み込むほどの孤独を背負っていた。

 ぼくは自分の意思で見切りを付けて音楽を離れた人たちを密かに尊敬しながら、大袈裟に馬鹿にしていた。そうしないと崩れてしまうのが分かっていたんだろう。

 散々否定してきた後ろ姿は彼方にある。周回遅れのぼくは追いつくこともできない。

 自分に対してなのか、誰かに対してなのか、正体不明の後ろめたさが、つきまとっている。時間が経っても薄れそうにない。

 ぼくは完全に居場所を失っていた。


「じゃあさ、一緒にブルースやろうよ」

 あんまり無邪気に言うもんだから、つい。

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