・徳川光圀
大名火消も頑張ったようだが、惨憺たる被害じゃのう。
その被害の中で、何とはなしに、吉良めが焼き出され屋敷を移ったという話が、気にかかった。
というのも、吉良めはどうにも評判の良くない男であった。
加藤泰恒、戸沢正庸、朝日重章、亀井茲親と、吉良めに怨恨抱くというものは中々多い。
……尤も、それらの話がどこまで真実かは分からぬがな。一部は根も葉もない噂やもしれぬ。
はて、根も葉もないといえば、儂もあれこれとやんちゃな事から立派な事業までやってきたが、こう年を取ってしまえば、果たしてどれが夢でどれが現やら。
何やら随分とあちこち旅をして、悪を懲らしめてきた気もするし、学問一辺倒だった気もするわい。悪い事もしたようだが、良い事もしたような。蝦夷の事も唐国の汁麺の事も、夢か現か。
まあそれはともあれ。
吉良めの事が引っかかってしょうがないのは、やはり昔の事を思い出すからじゃろう。
稲葉正休。大老の堀田正俊を斬り、即座に斬り殺された。あの鬱陶しい綱吉めの、嫌らしい
いかな法度において刃傷は悪とはいえ、何も調べず切り刻んで埋めて仕舞いで、果たして何の正しさが、何の善があろうか。少なくとも、理由を知らねば対策も何もあるまい。
わしが何度皮肉を言おうが諫めようが脅かそうが、綱吉めは改めぬ。……あれでは
理想を求め学問を修める事と、理想を他人に押し付ける事は全く別じゃ。無論理想を死蔵する事はまかりならぬ。理想は余に用い人を正さねばならぬ。じゃが理想を以て個々の人を正すのではなく、理想を以て世を支配し、理想に従わぬものを排斥するのは覇道じゃ。王道とは、理想を皆が自ずから慕うもの。
じゃが、何時の世もそれは変わらぬのじゃろうな。わしももうじき死ぬだろうが、わしが死んだ後も、死んで百年の後も二百年の後も、押しつけがましい正しさが世をまかり通り、少数者を圧殺する事は変わるまい。
せめて、少しばかり手を打ってみるとしよう。ほんの僅かな抵抗じゃろう。徳川の印籠を突きだせばその権威で敵が平伏すように甘くはいくまいが。
誰かある。一つ、伝えて欲しい事がある。
もしも、吉良めの行いの結果それに抗うものが出たのであれば。その者に出来れば少しは良い噂や風聞を流してやってくれい。真っ平に塗り潰された世は詰まらん。世直しをする爺や、仇討をする忠義の士や、素面で桃太郎を名乗る者や暴れる将軍が居ても良い。そう、わしは思いたいのじゃ。
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