第4話 お仕事しましょう
「それにしても渡辺さんって、ほんっとうに謎よね」
黒塗り高級外車の広い後部座席でゆったりと足を組み替えながら、小太りのマダム姿の絵里は自分の手荷物をもう一度確認する。
車の中に積んだ2つの黒いジュラルミンケース。
柔らかい布で覆われた中の貴金属は、全部が本物。
ダイヤも時計も指輪もタイピンも、全てが数百万単位の代物だ。
ニセモノは、名刺と財布の中のカードの名前のみ。
「こんなもんホイホイ用意するわ隠し子はいるわ「渡辺」も偽名だわ。大体何歳な訳? あの人。調べれば調べるだけ事実に行き当たらないっておかしいわよね」
絵里たちは2年前からずっと渡辺さんの素性を知ろうとしている。
彼は名前も年齢も、出身地も家族構成も交友関係も全てが嘘っぱちでできていた。
嘘だ、ということは分かっても、不思議なことにどこを探しても正しい事実が見つからない。
いつもマンションの管理人室でのほほんとお茶をすすっているか、外を掃除しながらふらふらと散歩に出ているか。
追いかければ見失い、見失うまいとすればぴくりとも動かない。
どこから「こちら側の仕事」を請け負ってきているのか、どんなふうに金が動いているのか、彼の周りには正確な情報が微塵も纏わりつかない。
4人が彼について事実として知っているのは、欧州に双子の隠し子がいるらしい、ということだけだ。
それすらも詳細は分からない。
助手席から雪也が苦笑いをした。
「まぁ渡辺さんに関しては、もう詮索するだけ時間の無駄だろ。ま、別に良いじゃないか。何がどうあったって、俺達は渡辺さんのために生きてる」
「まぁね」
それだけは何があっても変わらない。
彼は、彼らの存在理由だ。
雪也は鞄の中に商品リストの紙を仕舞った。
「それにしても、25年も前の幼なじみにそこまで固執するっていうのもな」
「恋心なんて可愛いものからではないわね、多分。うちに頼みに来るなんて、余程何か裏がある」
「それは間違いないだろうな。絡んでるのは金か、隠し事か」
「でもそれこそ考えるだけ無駄よ。私達はそこまでは請け負わないわ」
ふたりのやり取りを遮るようにして、ルームミラー越しにちらりと目線をやった尚人が、運転席から声を掛ける。
「そろそろ着くぞ。データしっかりしてんだろうな」
「大丈夫、へまはしないよ」
雪也が隣でにっこりと笑ってみせる。
ニセモノの証拠は掴ませない。
データは全て頭の中だ。
「さあ、お買い物、してもらいましょうか」
入り口の門を開けたのは、内側から。
―5―
「おかえりー。どうだったー? って、みんななに、その格好……。雪也はそれ完全にヤバイ人じゃん……」
3人がすっかり疲弊して帰ると、結季がキッチンでひとりでレトルトカレーを食べていた。
椅子の上に立て膝で行儀悪くスプーンをくわえている。
ヒールの高い靴を脱ぎ捨てて、未だ小太りマダム状態の絵里が床に雪崩込んだ。
「つーかーれーたー。神経削れるわあぁ……」
床に寝そべる絵里を跨ぐようにして尚人は先に室内に入った。
雪也も続けて絵里を跨いでいく。
「おいコラ結季。お前何もしてねぇ癖に誰よりも先にメシ食ってるとはどういう了見だ」
「煩ぇよ、居ないからだろうが。で、収穫は?」
悪態をつく結季に、雪也が尚人の後ろから笑いかけた。
にっこりではない。
にやり。
悪役の笑い方だ。
「あるよ」
結局みんなでレトルトカレーだ。
絵里が先にシャワーを浴びている間に結季は食べ終わり、尚人は3人分のレトルトパックを温める。
辛いのが苦手な絵里だけはいつもハヤシライスに代えてもらっている。
絵里がシャワーから出て尚人が3人分のレトルトパックを開けると、雪也がガラステーブルに広げた設計図に早速それぞれがスプーン片手に目を落とす。
雪也と尚人はカレー、絵里はハヤシライス、結季はデザートのプリンだ。
「警備は入口近辺の格好だけだな。中に入ってしまえばガラ開きだ」
雪也がスプーンの先で、設計図の上をぐるりとなぞる。
自分たちが動くことのできた範囲はごく僅かだ。
「でもやっぱり上の階には行けなかったわ。それなりに人数はいるし、トイレを借りて迷子のふりをしようと思ったけど、2階には上がれなかった。家主の男は、ちょっとよく分からなかったわね。自分のものは疑いもなく選んだけど、女性ものには目もくれなかった。優男って感じで、そんなに警戒心があるようにも見えなかったけど」
絵里に続いて運転手役だった尚人も、スプーンの先で自分が見て回った範囲をくるりと指し示した。
「外もそれなりに見て回ったけど、塀が高いだけで特には何もなかったな。犬飼ってる訳でもなさそうだったし。少なくとも、上空はノータッチだ」
尚人は下に向けていたスプーンを今度はピッと上に向けてみせた。
結季は嫌そうにそれを見る。
「つまり?」
「中からには限界がある。ついでに言うと二度目の訪問は断られた」
雪也が結季ににっこりと笑いかけた。
「お前の出番だな」
「こういうのをさ、世間では『丸投げ』って、言うん、だー、よー……ねっ、と」
薄いグローブを嵌めた手の平がひとつ上の木の枝を掴む。
「やれやれ」
深夜を待ってから結季は目的の屋敷から少し離れた場所に植えられている樹木のてっぺんまで登り、比較的太い枝を選んで跨がった。
黒ずくめの軽装の腰には七ツ道具入りのポーチ。
護身用の硬いジャケットの下には念の為小型の拳銃がひとつ。
顔には尚人特製送受信機能付き高性能ゴーグル。
彼女のいつもの装備だ。
因みに画像も音声も送受信可能。
ノイズもなく耳元に尚人の声が届く。
『大丈夫、お前の前世は確実に猿だ。俺らが保証するわ』
「車の中でだれてるだけの送迎係は黙ってろ」
『だれてるだけではないんですが』
「もう一本向こうの木にするべきだったかな。跳び移るにはちょっと遠い」
『聞けよ』
「っていうか木より塀のがちょっと高いんですけど。これほんとに触っても大丈夫な塀?」
『問題ないよ、なんの変哲もない只のブロックだ。お前がその怪力で破壊して物音立てない限りは大丈夫だ』
「尚人、後で覚えてろよほんと」
やはり隣の木が良かったとまじまじと見て、今いる場所から降りる前にポーチの中から小さな双眼鏡を取りだし、ゴーグル越しに屋敷を覗き見る。
塀が高いので全容は見えない。
ただ、塀からはみ出した屋敷のてっぺんなら見える。
深夜にも関わらず未だその室内には明かりがついている。
その明かりを頼りに見える範囲には、比較的広そうなバルコニーがある。
閉じ込めているらしいわりに開放的に見えるのは、落ちれば命がないような高さ故か、それとも本人の意思故か。
「お姫さまはっけーん」
大きな硝子窓の向こうには、長い黒髪の女。
シーツみたいなゆったりとした白い服を着ている。
カーテンは閉まっていない。
窓の端に纏まっているのが見える。
「うーん、顔が見えるかな」
こっち向けこっち向け、と念じながら双眼鏡の倍率を上げピントを合わせる。
もっと窓際に来い。
もっと来い。
もっと来い。
「もうちょいこっちを向いてくれたらなー……。ま、駄目か。尚人見える?」
『見えるよー。良い女な予感』
「ねえねえあそこまでさあ、どうやって行けばいいと思う? 伝うようなものもないし、塀から遠すぎる」
『空飛べばいいんじゃね?』
「死ね」
『いやいやまじで。静かにあの距離飛べればいいんだろ?』
「……まじで言ってんの?」
『俺様に不可能はない』
Quartet 夏緒 @yamada8833
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