さよならの選択肢

美玖(みぐ)

第1話 病院での出逢い

私は高橋真理、十七歳。

私は小さい頃から心臓の持病を抱えていた。

それは拡張型心筋症。


今まで内科的治療で病状の進行を抑えていたんだけど、二週間前に学校で倒れて緊急入院してからは、ずっと病院で暮らしている。


そして今日、両親と主治医の田中先生の診察室に行き、私の病状の説明を受けた。

「拡張型心筋症が大きく進んでいる。真理君の心臓はあと一年持たない可能性ある。この後、時期を見て人工心臓の手術をしよう。その間にドナーを待つんだ」

その先生の言葉に私はユックリと頷くしかなかった。


病院での毎日はとても退屈だった。唯一の気晴らしは病院の外の庭に出て散歩する事。そして庭のベンチで寛ぐのが私の日課になった。私は緊急事態を知らせる緊急ボタンを持っていた。いつ心臓が止まるか分らない私にはこれが最後の命綱だった。


入院して二ヶ月、2020年の夏休みになっていた。その日いつもと違う事が起こった。突然ベンチの足元にサッカーボールが転がって来て、それを追い掛けて男の子が走ってくる。


私はボールを拾い上げて立ち上がった。

「ごめん。ありがとう!」彼は満面の笑顔でそう言った。

私の心臓がドクンと高鳴る

「はいどうぞ。この病院に入院してるの?」

私はボールを渡しながら彼に聞いた。

「うん、サッカーを続ける為にね」

彼はボールを受け取るとハニカミながら応えた。でもとても病気には見えない。

「あなた元気そうだけど……」

彼は頭でボールをバランス取っている。

「脳に腫瘍があるんだ。手術しないと失明するし、もっと大きな影響が出るんだって」

彼はもう一度ボールを手に持った。

「君は? 君も元気そうだよね? 名前は? 」

「私は高橋真理。心臓の病気なの……」

彼は私を見つめている。

「そうか……お互い大変な病気だね。俺は小山内友也。友達になってくれる?」

そう言うと彼は右手を伸ばした。

私は彼の手を取って頷いた。

「うん、友也君。ありがとう。お願いします」

彼が満面の笑みで頷いた。

また私の心臓が性能を超え”ドクン”と打った。


それから私は毎日の散歩がとても楽しみになった。

友也は毎日やって来て色んな話をしてくれる。彼は県大会の準優勝チームのキャプテンだった事。高校を卒業したらプロに入る夢を持っている事。その為にも脳腫瘍を完治させたい事……。

彼は深刻な病気を持っていると思えない程、明るく前向きで本当にキラキラしていた。


「真理の手術はいつ? 手術で治るんだろ?」

その日、友也が突然聞いて来た。

私は空を見上げて少し考えて言った。

「私の完治には心臓移植が必要なの。でもドナー登録はしてるけど順番はまだ……」

「そうか……。俺の手術の日、決まったんだ。三日後」

私は大きく目を見開いた。(友也、もう直ぐ退院しちゃうんだ……)

「良かったね。手術が終わったら退院出来るね。おめでとう」

私は目に涙が浮かんで来るのを抑えていた。

「そうでもないんだ……」

「えっ?」

「脳腫瘍が大きくなっていて脳幹にも浸潤していて、難しい手術になるみたい。成功する確率は五分五分だって……」

「そんな……」私は驚いて友也を見つめた。

「でも必ず成功する。だから真理も退院したら俺とデートしてくれるかい?」

友也は真っ直ぐな目で私を見ていた。


「あっ、うん……。もちろん……」

私は彼の手術の難しさを聞いて、そして突然のデートの誘いにパニックだった。心臓が激しく高鳴る。でもそれは私の心臓には耐えられない負荷だった。


急に左胸に鋭い痛みが走った。急激に意識が遠のいて来る。私は右手の緊急ボタンを押した。

「真理! 真理!」遠くで友也の声が聞こえていた。


私が気付くとベッドの上だった。私の身体には沢山のチューブが繋がれている。

横を見ると母が涙を流している。

「真理、気づいた?」

「うん……私……どうなったの……?」

「あなたは倒れてから一週間も眠ってた。あなたの心臓は限界だった。でも幸いな事にドナーが見つかって心臓の移植手術が出来たの」

(そうかドナー……、見つかったんだ)

「お母さん……倒れた時……お、男の子一緒だったでしょ……友也、くん……。彼は……来てくれた……?」

母が首を振る。

「誰、その子? あなたは倒れた時、一人だったわよ」

私は驚いて母を見つめた。

「えっ……? だって……友也君は……」


私は少しずつ回復して行った。その間も友也は一度も姿を見せなかった。それから二週間で、私はやっと起き上がれる様になって、病院の庭にも出かけた。でも友也に逢う事は出来なかった。


私はこの突然の『さよなら』の理由が分からなかった。本当に友也は私の幻想だったの? 倒れていた間に見た『ただの夢』?


私は一ヶ月で退院した。私の新しい心臓は本当に私に合っていた。拒否反応も無く、私は完全に新しい日常を取り戻した。


でも……、私にはやる事がもう一つあった。

「必ず友也を捜し出すんだ」

私はそう決めていた。


彼が夢でない事はすぐに分かった。

彼は高校サッカーの準優勝のキャプテンだったから、新聞にもその名前が出ていた。新聞に載った写真を見た。

「やっぱり友也は居る……」

私はとても嬉しかった。高校もすぐに分かった。自宅の住所も調べる事が出来た。


その日、私は電車で三十分程離れた友也の自宅を訪ねた。

「どなた様ですか?」インターフォンから友也のお母様らしき声がする。

「高橋真理と言います。友也君はいらっしゃいますか?」

「真理さん? どうして……ここに?」

私は首を捻った。(私は友也のお母様に面識ないんだけどな……?)


すぐに玄関のドアが開いた。

「上がって下さい。結局、説明をするしかないと言う事ですね」

達也のお母様は俯きながらそう言った。


通された部屋で私は衝撃を受けた。仏壇に友也の写真が飾られていたのだ。

「えっ? 友也君は亡くなって……」

「そう。脳腫瘍の手術が失敗したの。あっと言う間だったわ……」

私は手で口を押さえた。絶え間なく涙が頬を流れるのを感じる。


友也のお母様は、私をリビングに通しソファに座る様に促した。そして私に説明してくれた。

「友也の手術は最初からとても難しいものだった。だから友也は最初、手術をするのを躊躇っていた。いつも塞ぎ込んで、そこら中にあたり散らしていた。でもあなたに会って見違えるほど元気になって、手術を受ける決心もした」

「あなたが倒れた日、友也はあなたを病院の中に運び込んだみたい。あなたのお母様から何度もお礼を言われたわ。でもあなたの容態が非常に悪いって友也は聞いて、とても落ち込んでいた」

「友也は自分の手術の前に、もしもの事があったら全ての臓器を提供する同意をしていたわ。そして心臓だけは特別の対応をする様に担当の医師にお願いをしていた。心臓が適合すれば、『あなた』に友也の心臓を移植する様に……」

「えっ?」私の『新しい心臓』がドクンと波打った。


「友也の手術は腫瘍の脳幹への浸潤が酷くて失敗した。友也は脳死状態になったの。私達は本当に悩んだけど、友也の意志を大事にしたくて移植に同意した。網膜は九州の女の子に、肝臓は埼玉の男性に、腎臓は青森の女性に移植されたと聞いている。そして『心臓』は適合してあなたに……」


私は左胸を押さえた。ドクンドクンと音がする。

(そうか、この命は友也が繋いでくれたんだ……)


「普通、ドナーの家族は移植先を知らされる事はないのだけど、あなたの移植は友也が望んだものだったから、私達もあなたのご両親も知っている。でも友也が死んだ事をあなたに知らせない様に、友也の存在は無かったことにしようと私があなたの両親に提案したの」


私は大きな声を上げて泣き崩れた。涙が枯れ果てる程、泣いて泣いた。


私が落ち着くと、お母様は私を友也の部屋に案内してくれた。

「友也、入院中に日記つけてたのよ。今時、手書きなんてと私も思ったけど、脳腫瘍が右手の動きにも影響を与えていたから、リハビリも兼ねてね……。あなたに読んで欲しくって……」


その日記は入院初日から始まっていた。最初は、苦痛、怒り、不安に綴られていた日記がある時から大きな変化を見せていた。


それは……。


「今日も、あの娘はベンチに座っていた。声を掛けようと、もう三日もグズグズしている。本当に意気地なしな俺……」


「やった、声をかけたぞ。名前も聞いた。高橋真理。友達になった。でも心臓病だって。苦しんでいるのは俺だけじゃないんだ」


「彼女を見ていると元気が出てくる。俺も手術の決断をしなくちゃいけないな。元気になって、彼女も元気になって、一緒にデートするのが夢だ」


「真理が倒れた。深刻な状況だと聞いた。手術まで毎日お見舞いに行こう」


「もう心臓移植しか真理を助ける手段は無いと真理の母さんが泣いていた。俺の手術も明日だ。成功率は五分五分どころか二割未満だって知っている。手術が失敗した時は、真理に俺の心臓を使って欲しい。もし手術が失敗しても真理が元気になるなら……」


「今から、手術だ……。臓器提供の同意をした。そして心臓は真理との適合を確認する依頼を先生にした。これで心置きなく手術に行ける。成功も失敗もそれは運命だから」


「二人とも死んでしまうのか? 俺だけ生き残るのか? 真理が俺の心臓で生き残るのか? この三つ選択肢なら、真理が生き残るオプションが望みだ。それが自分の命より大事なのは、とても変な気持ちだけど、これが本当に素直な想いだ。だって結局、二人で居られる唯一の選択肢だから……」


日記を読みながら頬を伝う涙が止まらなかった。私の命を救い、普通の日常生活をくれた友也に本当に感謝した。そして彼の最期の想いが実現できた事にも……。


私は、もう一度、左胸を押さえて友也の心臓の音を確かめた。

「そうだね、友也。この結果は『さよなら』じゃなかった。これからはいつも一緒だね……」

私は左胸の奥に居る友也の存在を感じていた。


FIN

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