Boooon! Gooood!

もり ひろ

Boooon! Gooood!

「明日のミッションは、一時間目から順に、算数、社会、理科、国語。そして、五、六時間目には図工がある」

 万年筆長老の声に、おお、と歓声が上がる。明日は、ここにいる文房具たちがほぼオールスターで学校へ行くことになる。使ってもらえる、ということは僕ら文房具にとって嬉しいことなのだ。

「そして」

 万年筆長老は少し重々しい声を出した。皆が「何かあるな」と、出てもいない唾を飲んだ。

「漢字テストがある」

 阿鼻叫喚だった。コンパスは両足で駆けて澱粉糊に躓き、コンパスに貫かれた澱粉糊は液漏れを起こして、惨事に驚いたステープラーはココココココココココココココココと無駄撃ちを続けた。三角定規の直角二等辺三角形と直角三角形は抱き合い、絵の具は朱を吐き、筆ペンが今の想いを短歌で書きしたためた。

「静かに!」

 口々に悲鳴を挙げて暴走する文房具たちを、万年筆長老が一喝した。しんと静まり返る机上。

「チームマスマティクスにも図工チームにも関係なかろう」

 それに気づいていたのは、僕と長老だけだったらしい。みんな、あからさまな安堵の表情を浮かべた。ま、文房具に顔はないのだけれども。

「HB。HBは居るか?」

 長老に呼ばれた僕は、やっぱりなと思った。漢字テストのたびに同じ展開になる。ここでの「オヤクソク」なのだ。

「はい、なんでしょう、長老」

「明日の漢字テストは、お前と2Bでバディを組め」

 はあ、と声を出す。いつもそうです、という言葉を発しかけて飲み込んだ。場をしらけさせないためにも、それっぽく続けた。

「しかし、長老。現地へはどう行くのですか?」

「安心せい。現地へはペンケースで輸送する」

 それから段取りが発表された。月曜日から金曜日まで、ほとんど同じことをしているのに、ここのみんなはこういう茶番劇が好きらしい。

 段取りはこうだ。

 明日の朝、タイチくんが僕らをペンケースごとランドセルに入れる。あわてんぼうのタイチくんのことだから、中身を確認せずにランドセルに放り込むに違いない。タイチくんが起きてくるまでに準備を終え、定位置にスタンバイする。

 小学校までは後方支援の消しゴム、コンパスなどのチームマスマティクス、図工チームとともに、チーム教科書、ノートブック連合に混じって行く。タイチくんのことだから、教室についてもしばらくはランドセルから出られない。グッと堪えてその時を待て、とのことだ。

「それと、今夜。夕ご飯を終えてからタイチくんが明日の予習をするはずだ。その時に、HBと2Bは漢字を覚えるように」

 僕らが明日のテストに出る漢字を見れるタイミングは、今夜の一回きりらしい。その時に僕らがどれだけ漢字を覚えられるか、それにかかっている。

 ところで、と僕は辺りを見回す。

「長老。2Bが見当たりません」

 むむ、っと長老は、眉はないけど眉をひそめていそうな声を出した。

「なんじゃ、2Bはどこじゃ」

 2B、と長老が呼ぶ。皆もなんとなくその名を呼んで、探している風体をしていた。

「うっせーやつらだ」

 2Bの先端は綺麗に尖っていた。削りカスがはだけている。後ろに隠れるように、鉛筆削りがついて来ていた。鉛筆削りも少し乱れているように見えた。

「おかげでお楽しみが台無しじゃねえか」

「2B、お前はまた情事に現を抜かしておったのか」

「じじいには関係ねえことだろ」

 彼は皆を睨み、でん、と腰を下ろした。

 鉛筆削りも申し訳なさそうに、周りを見回し、2Bの隣に腰を下ろした。

 僕は、あの光景を見るたびに「なんで?」と思う。なんで彼なんだろう。なんで彼女は2Bを選んだのだろうか、と。

 僕も2Bも鉛筆削りも幼馴染だ。鉛筆削りの生まれはイギリスで、ペンソゥシャープナーという本当の名前がある。僕と2Bがまだ長かった頃に、彼女はここへやってきた。それから、僕ら三人は一緒に過ごすようになったのだ。

 負けず嫌いで尖がった正確の2B、丸い性格だけど頭のかたい僕、そして僕らのやりとりを優しい笑顔で見守る鉛筆削り。

 時が経つにつれ、僕と2Bの間に溝が生じていった。時に彼は非行に走ることもあり、柄の悪い連中とも一緒にいることが増えた。

 それから、彼はこまめに鉛筆削りと接するようになった。彼女はそんなやんちゃな彼に対して、まんざらでもない様子だった。一人になった僕は取り残された。彼ばかりが早く大人になっていくように思われた。

 二人でバディを組んでタイチくんの授業に出るのはほぼ毎日のことなのに、2Bや鉛筆削りとの会話もどんどん減っていった。そのうちに、僕は消しゴムと親しくなっていった。消しゴムに想いを寄せているにもかかわらず、僕はこころのどこかで消しゴムと鉛筆削りと重ね、比べていた。

 明日へ向けたブリーフィングは、長老の一言で終了した。皆、それぞれに持ち場へ戻った。


   ◇


 緊急事態が発生した。

 タイチくんがテスト勉強をせずに寝てしまったのだ。あんなにママさんに「タイチ、ちゃんと勉強しいや」と念を押されていたのにもかかわらず、だ。

 これにいち早く反応したのは、意外にも2Bだった。勉強机の隅でじっと出番を待っていた僕のところへ、彼が知らせに来たのだ。

「おい、HB。起きろ。タイチが寝た」

 僕は飛び起きた。なんだって、と叫びそうになるのを堪えた。

「お前、明日のテストに出そうな漢字はわかるのか?」

「わからない。きみも?」

 彼は、ああ、とだけ呟き、辺りを見回した。そして、彼の視線が止まった。僕もつられてそちらを見る。

 僕らがいる勉強机の横に置かれた引き出しの上に、休息中の教科書チームの背表紙が見えた。あたらしい算数、小学生の理科、歴史資料集の下敷きになるように、国語の教科書がいる。

「あれだ」

 彼はすたすたと歩み寄った。見上げると、引き出しは思ったより高さがある。僕らの長さの倍はあるだろうか。

「おい、国語、起きろ」

「2B、やめなよ、タイチくんが起きちゃうよ」

「起きたなら、それで勉強させりゃいいだろ。起きねえなら、俺たちでどうにかする、それだけだ」

 彼は呼びかけ続ける。それでも教科書チームはうんともすんとも言わなかった。

「くそ、ダメだ」

 彼は吐き捨てるように言った。

「2B、きみは今日の国語の授業に出ていただろ?」

「ああ、それがどうした」

「だったら、その時に出てきた漢字を思い出せないかな」

「それなら、全部じゃねえけど覚えている」

「僕も一昨日の授業で習った漢字なら覚えているんだ。それを僕ら二人で勉強しよう」

 2Bに鼻で笑われるかと思ったが、案外素直に受け入れてもらえた。


   ◇


「いいかい、ゲンザイの『現』は、『王』を『見る』だ」

 彼は僕が伝えた漢字を空中に書いた。余計な点が入っている。

「違うよ、それは『玉』って漢字。『王』は、こう」

 僕が彼の誤りを正す。ムッとしているのがわかる。彼はあまり漢字が得意ではないことを、僕は知っていた。

「次は、『サイナン』の『災』だけど、これは、『くくく火』って覚えればいいと思う」

 空中に書かれた彼の字を確認する。『く』がぐちゃぐちゃに並んでいた。僕も全身を使って、『災』を書く。

 「月くくく」「木ツ女」「鍋蓋シイタ~」。僕らは次々と空中に書き続けた。僕らの息が上がり始めたので、少し休憩をしようと、その場に腰を下ろした。

「やっぱ、お前だな」

 2Bは遠くを見ていた。

「ん? 何が?」

「鉛筆削り。お前のことが好きなんだよ」

 これには率直に驚いた。すぐにそれを否定する。

「いや、鉛筆削りが好きなのは、きみだろ?」

 彼はゆらりゆらりと身体を揺らす。少し言いにくそうにしながら、遠くを見たり、足元を見たり、少し落ち着かない様子だった。

「あいつはさ、HB、お前のことが好きなんだよ。いつもお前のこと気にかけてさ。はやくくっつきやがれってんだ」

「でもさ2B、きみはどうなんだよ」

 彼のゆらゆらが一段と大きく、そしてゆっくりになる。彼は大きく息を吸い込んで、静かに吐き出した。

「俺はさ、そりゃあいつのことが好きだ。初めて会った時から。それはお前も一緒だろ?」

「うん」

「だから、はやくくっつけっての」

「きみの気持ちは? 鉛筆削りには告げたのか?」

 ゆっくりと首を振った。諦めが滲み出ているようにも見えた。普段の態度なんかを見ていると、なぜ彼女が2Bなんかと一緒にいるのかと憤りを感じることもあった。こんなやつなんか、そう思うこともあった。最近じゃ、僕が消しゴムと親しいから、二人のことがそれほど気にならなくなっていた。それでも、彼女と初めて出会った日を思い出すこともあった。

 今日の彼を見ていると違う感情になる。明日の漢字テストに向けて、誰よりも先に行動を起こした。突然のことで困惑する僕なんかより、断然たくましかった。

「だったらさ、きみの気持ちを彼女に告げたらどう?」

「俺に振られて来いっての?」

 彼はぐっとこっちを睨んんだ。凄みを帯びていた。僕にない、力強さがある。

「振られるかどうかなんて、わからないじゃあないか。それで、もし、きみが振られたら」

「あん?」

「僕が彼女に告白するよ」

 僕は2Bに強い視線を向けた。こちらは本気なんだぞというメッセージを届けたかった。きみも本気なんだろ、と念を押すつもりで。

「そういうことなら、俺とお前の勝負みたいなもんだな。俺は負けねえぞ」

 僕も力強く頷いた。

「明日の漢字テストが終わったら、俺は鉛筆削りに告白する」

 彼はすっかり短くなった体で、胸を張って見せた。


   ◇


 僕と2Bはテストをこなした。途中、転がった2Bが机から落ちてしまうトラブルが発生したが、担任の先生が拾い上げてくれて事なきを得た。授業中の行方不明はこうして発生するのだ。落とし物箱に収容されれば良いが、そうでなければ掃除の時間に箒で掃かれて、そのまま捨てられてしまう。

 帰りのペンケース内に彼の姿はなかった。ランドセル中で彼を探したが、姿はなかった。鉛筆削りもひどく心配していたが、ついに彼は帰らなかった。


 彼の訃報が流れたのは、その日の帰宅後だった。

 タイチくんがクラスメイトに借りて、返しそびれていた蛍光ペン氏がその一部始終を語ってくれた。

 随分と短くなっていた2Bは、図工の授業中に捨てられてしまったらしい。引き出しの奥で忘れ去られていた鉛筆キャップは「私がいれば」と嘆いた。誰もが彼の死を悼んだ。

 僕は昨夜の彼の顔が脳内にこびりついて離れなかった。鉛筆削りを想う彼には、強さがあった。あれを見た時、僕は勝てないと思っていた。だからこそ、彼にはちゃんと鉛筆削りへ想いを告げて欲しかった。

 僕は悲しみに暮れる皆から離れ、スタンドライトに持たれて座り込んだ。

 隣に誰かが腰を下ろした。鉛筆削りだった。

「やあ、鉛筆削り」

「二人で話すのなんて、久しぶりね」

 そうだったね。そんなことしか言えなかった。

「彼ね、あなたのこと、とても心配していたのよ」

 え、と声が漏れる。

「あいつは俺がいないとダメなんだって、いつも言ってた。HBくん、どんくさいからって」

 彼女はふふっと笑った。僕も彼も、この笑顔にやられたのだ。初めて会った時と同じ笑顔だった。

「昨日も2Bと一緒にいたよね?」

「ああ、あれね」

 彼女は控え目に笑った。

「彼ね、みんなに隠れて漢字の勉強していたの。勉強が得意なHBくんに負けている気がして悔しかったみたい。それで先が丸くなったから、削らせてくれって頼みにきて」

 彼女の笑い方は、柔らかくて、そして優しかった。僕と2Bが話している横で、あの頃もこんな風に微笑んでいたっけ。

「ねえ、鉛筆削り」

「なあに?」

 呼びかけておいて、僕は言おうか言わまいか悩んだ。けれど、彼女が不思議そうに僕をみるものだから、ついには言うことにした。

「2Bはさ、きみのことが好きだったんだよ」

 彼女はすっと視線を落とした。気まずい沈黙が流れる。

「知ってた」

 やっぱり、と思った。

「だって、彼、そういう空気すっごい出していたんだもん」

 彼女は足元に転がった消しカスをぐりぐりといじくった。

「わたしも彼が好きだった。いじわるして、好きじゃないって顔して彼とは接していたけど」

 僕は、素直に負けを認めた。2B、お前の勝ちだよ、と心の中で告げた。だから帰ってきてくれ、とも言い添えた。

 死んだ文房具には勝てない。僕は一生、彼を超えることはできない。僕の気持ちを彼女に告げるまでもない。僕の数年越しの恋が散った瞬間だった。

 僕は立ち上がった。

「ああ、あいつの葬儀の準備しなくちゃな」

 できるだけ、座っている彼女の方を見ないで言った。下を向くと、出てもいない涙がこぼれてしまう。幼馴染を失った悲しみと失恋をいっぺんに受け入れられるほど、僕は強くない。

 想い人を失った彼女の悲しみを計り知ることはできない。僕なんかより、ずっと深い悲しみだということしか、僕にはわからない。それでも彼の話をするときに笑ってみせた彼女の愛情の強さには、僕が入り込む余地などないように思われた。

 告げなきゃわからない、なんて大口を叩いた僕は所詮、この程度だった。それを噛みしめて、僕は生きていこう。


  ◇


 月日が経ち、僕は消しゴムと交際を始めた。僕が書くそばから消していく、という彼女の横暴さに呆れながらも、それなりに楽しく過ごしている。僕らは歩幅を合わせるように、少しずつ小さくなっていく。

 鉛筆削りは、シャープペンと結婚して幸せそうに過ごしている。共存しがたい二つの文房具がどうやって共に過ごしているのかは僕にはわからないが、幸せそうならそれで良いのだ。

 僕らはそれぞれの道で、それぞれに生きてゆく。別れもあれば、出会いもある。壊れたり行方不明になる文房具もいれば、最後まで使い切ってもらえる文房具もある。そうやって僕らは文房具としての一生を全うしていく。

 そう思って、僕らのことを少しだけ、大切に使ってくれるとありがたいです。

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