僕らの春は青かった

椎野

僕らの春は青かった

——————暑い。


四月下旬、ふと僕は暑さを感じる。

じわじわと出る汗を拭い、葉桜になってしまった桜並木を眺めながら僕は思う。


まだ四月だぞ。


何もかもがめまぐるしかった春が終わったばかりなのに。


窓側、一番後ろの席で下敷きを仰ぐ。


風を入れるために全開にした窓からは淡い夏の匂い、空の青さと新緑の緑が夏の知らせを持ってきたようだ。


「磯崎 隼人!」


僕の名前が呼ばれた。自分の世界に入りきっていた僕は突然のことにビクッと体を反応させてしまった。が、平然を装い先生の元へ。担任から紙を受け取る。と、同時に「がんばれよ」の一言。


進路希望調査。

真っ白な志望校欄にため息がでる——わけではなく、とりあえずMARCHで埋めた志望校欄を見てため息がでる。

僕の通っている橘高校は県内トップクラスだ。そのためMARCHはもちろんある程度有名な大学に進学する。それだからか「橘高に通っている」というだけで周りからは「頭のいい偉い子」というレッテルを貼られる。その分校内では「橘高生というプライドを持って生活しろ」という威圧感がつきまとう。高校で真ん中ら辺な僕にはいい迷惑なんだけれども。

まあそんな周りの雰囲気流され目指してもない大学を並べた進路希望調査は僕にはすこし息苦しかった。


将来の夢。

僕はこの言葉が嫌いだ、なぁーにが将来だ。夢は叶わないとかいうくせに夢を持てだの目標を持てだの大人の言っている言葉はよくわからない。


「磯崎ィ、お前の夢はやっぱりバンドマンか?」

隣で岩屋が笑う。


岩屋ハルキ。僕のクラスメイトだ。

というか仲良しさんだ。というか親友だ。

僕は軽音楽部でギターボーカルをやっているが、ハルキは僕のバンドのリードギターを担当している。ガタイの大きさからは想像のつかない彼の繊細なピッキングは僕の憧れでもあった。


「おっ!てか磯崎!お前俺と高校三年間ずっと同じクラスだな!運命だな!そうだな!」


相変わらず暑苦しいやつめ。ハッハッハッと高らかに笑うハルキの額には汗がにじんでいる。

——そういえばこいつはどこの大学を目指すんだろう。

帰りにでも進路を聞いてみるか。



午後五時半、今日も一時間十分のバンド練習を終え活動日誌に練習内容を書き込む。


「一か月後までに仕上がるかなあ」

と、ほざく倫太郎。僕のバンドのドラマーだ。


「もういっそ簡略化しちゃえばいいかな⁈」なんて馬鹿げたことを言ってる倫太郎の隣で「俺はもうできるから」と、高飛車なのはベースの悠斗。


自分で言うのも何だがこの個性の強さでよく二年半もバンドを続けられたなと思う。隣ではハルキが楽しそうに日誌を書いている。


あと一か月。あと一か月で僕たちは軽音楽部を引退する。

僕の学校の軽音楽部は階段下の小さな防音室をバンドごとにシフト制で回して練習している。

週に2回しか回ってこない一時間十分のここでの練習が僕は何よりも好きだった。

引退という終わりを意識した途端なんだか哀愁深くなってしまった僕は気持ちを切り替えるために自販機に向かった。


——ガシャンッ

と自販機からメロンソーダが落とされる音が廊下に響く。

勢いよくそれを取り出し喉に流し込む。

ここまでが僕のバンド練習のルーティーン。学校で買うメロンソーダはどんな喫茶店で飲むメロンソーダよりもうまいと思ってしまう。

日誌を書き終えたハルキが「帰ろーぜ」と来る頃には飲み干していた。

チャリで帰る倫太郎たちと別れるころにはグラウンドが真っ赤になるほどの夕焼けに染まっていた。


「…なぁ」

「ん?」

「今日の練習めっちゃ良かったと思うんだけど」

「ん!それ俺も思った!なんか倫太郎と悠斗、最近スゲー息ぴったりだよな」


嬉しそうに笑うハルキに本題を。


「…なぁ」

「なんだよ」

「お前大学どこいくんだ?」

「………」


しばしの無言。そして今度はハルキが、


「…なぁ」

「…」

「おまえには夢があるか?」

「…」

「俺さ、音楽で食っていきたいんだ」

「…ぇえ?!!?!」


思わず間抜けな声が漏れる。

ハルキは確かにうまい。うまい。うまいけど、本気で音楽をやっているというのは感じられなかった。いや、やる気がないとかじゃなくて、ハルキは現実派というか、スポーツも万能だし頭もそこそこ良い。音楽以外のものに恵まれている。

だから、いたって現実派のハルキが音楽で食っていきたいなんて現実離れしたことを言うのにすごくすごく驚いた。


「夢、見すぎだよな。自分でもわかってる」


でも、僕には夢を持っているハルキがかっこよかった。

自分で夢を口にできるのがかっこよかった。

でも、何も言えなかった。

だって、僕には、


「卒業までに曲…作りたいなって思って今年に入って軽く作曲始めたんだ。そしたらたまらなくなって、やっぱ俺音楽好きだなぁって。」


僕には、眩しすぎた。


「お前も自分の話しろよ、俺のだけ聞いておいてずるいだろー」


「えー…っと僕は…」


その日、僕はハルキと夜まで語り合った。

バンドのこと、音楽の事…もちろん僕の進路のことも。

実は昔から宇宙に興味があったこと。無理だと思って誰にも言わず潰そうとしてた夢の話も。


すっかり暗くなってしまったいつもの帰り道。

ふと空を見上げるとオリオン座が少し暖かくなった夜空に輝いていた。


「オリオン座のペテルギウスってさ、寿命はすでに99.9%に達していて超新星爆発がすでに起こっているかもしれないんだって。でも地球との距離がありすぎて超新星の爆発の光が届くのにすごい時間がかかるんだ。だから僕たちが見ているこのペテルギウス実はもうとっくになくなってるかもしれないんだ。」


「え、ってことは俺らはもうないものを見てるってこと?」


「さっきの仮説が事実ならね。」


ハルキは、ほー。不思議ー。と強い光を放つペテルギウスを睨みつけている。

ぬるい風が頬をなでる。夏がもうすぐそこまで来ている。


「なんか久しぶりにお前のうんちく聞いたな。でもやっぱうんちくかたってるときのお前スゲー楽しそうだしなんか輝いてるな。原石って感じ?」


こいつはまあ恥ずかしいことをべらべらと。まあでもハルキに背中を押されたのは事実だ。

とりあえず今は、


「お互い、夢かなえような」


照れくさそうに笑いながら「おっ!じゃあ俺こっちだからじゃあな!」と手を振るハルキに別れを告げ、僕も家に向かう。

なんだかすっきりした気持ち。目の前の靄が消えた感じ。


その夜、僕はハルキにメールした。

「ハルキの作った曲、卒業ライブでやろうよ」



それからの毎日は目まぐるしいほどに忙しく、それでいて瞬きをしたら一瞬で終わってしまうような儚さがあった。


 終業のチャイムが鳴る。僕は急いで塾に向かう。早くしないとお気に入りの席が埋まってしまう。


「隼人!」


スピードを緩めず僕は振り返る。


「明日模試だろ!がんばれよ!」


ハルキ。模試ごときで大げさなんだから。

「おう!」と元気よく返事をし、僕は早足で教室を出る。

イヤホンから流れるあの日の音楽。音漏れするかしないかの瀬戸際までボリュームを上げる。

帰り道の僕のルーティーンだ。



暑い夏の日。蝉の声が騒がしい。

ハルキの右手にはGibsonのピック。僕の右手にはペンが握りしめられていた。

戦争が始まる。僕らの自分戦争が。真っ白な戦地に踏み入れる足取りは確かだ。


2021年、八月、僕らの夏は始まったばかりだ。

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僕らの春は青かった 椎野 @shiino_

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