ある祭りの日に
衣川 龗
ある日のこと
夏にかけて盛り上がっていくはずだったオリンピックも勇み足に終わり、街は流行病のせいでさながらデストピアのような風景である。
いたるところに下がる2020の横断幕は虚しく風になびき、人のいない街を一層寂しげに見せた。
——私、椎橋彩夏には本来なら春から華の大学生活が待っているはずだった。それがこんなことになるとは。
コロナのせいで卒業式もそこそこに、入学式に至っては無くなって、果てには心躍らせたキャンパスでの生活は家の中でもそれなりに済むものだとわかってしまった。仕方がないこととはいえ腐ってしまうものだ。
まあそうは言っても外に出なくて済むならそれはそれで楽だし、ダラダラしているだけで世界を救えると言われちゃあ逆らう理由はない。それなりに家での悠々自適な日々を謳歌していた。
ではなぜ直射日光の下に引きずり出されたかというと、母に引きこもりすぎては体に毒だと食料確保の任を仰せつかったからだ。
夏先のクーラーの匂いは妙に切なく懐かしい感がして一等好きなのだが、こうも毎日嗅いでいるとありがたみも無くなってきた。更にいえば、人は日光なしではおかしくなる。それゆえによかったとは思うものも、久方ぶりに視界に飛び込んでくる光の量に耐えきれなかったのはここだけの話だ。
(子供の頃見たアニメに出てきたアマビエが、一世を風靡する日が来るとは思わなかったなあ……)
そんなことを思い返しながら、きつく結んだポニーテールを揺らしてスーパーに向かって歩みを進める。横切る時目の端に捉えたポスターにもでかでかと『中止』の2文字が上書きされていた。
——本来ならば今日は夏の訪れを告げる祭典が行われるはずだったのだ。
人々の信仰は薄っぺらに、儀式は形だけ。信じる心も失われつつある中で追い討ちをかけるようにこの状況だ。やむなしとはいえ祭事が行われないのは、人にとっても神様にとっても寂しいことじゃないのかな。末法の世とはまさにこのことなのではないかと思う今日この頃である。平安の世の人なら阿鼻叫喚だろう。
聞きかじった知識だけで、そんな風な宗教家じみたことを考えてみる。
なんならこの病が人々を選別するための試練だとか言って盛り上がる新興宗教とかありそうなくらいだ。
「あれ……?」
そういえばやかましいくらい鳴いていた蝉の声が聞こえない。周りにそこそこにはいたはずの人々もいない。考え事をしていたとはいえこれはおかしい。
西日が差す中、不自然な静寂だけが私を包んだ。
——トン、トトントン。
突然、祭囃子が耳に飛び込んできた。
——じゃらん、じゃらん、じゃん。
重みのある鈴の音が力声とともに近づいてくる。
はっと振り返るとそこには、どこか異様な神輿があった。
揃いの鉢巻に、揃いの法被。異様なのはそれらをまとっている【もの】たちだった。
三者三様。妙に毛深いのもいれば、獣のような耳が生えてるもの、あるはずの何かが足りなかったり多かったりするものなど、説明できないくらいの異形のものがその神輿を担いでいる。
どうにも目が離せないでいると何かに袖を引かれた。見れば表情がうかがえないくらい長い前髪の少女がりんご飴を手に立っている。手にあるりんごと同じくらい真っ赤な着物が目についた。その子がついとこちらに差し出すと、私は思わずそれに手を伸ばした。
「ここで食べ物を食べたらいかんよ」
眩しい白銀の光が遮るように割り込む。
いや違う、人……?
しかし、人にしては美しすぎるそれはこちらをじっと見つめてきた。薄ら氷のような右目とシトリンのように澄んだ左目に引き込まれる。
その神秘的な容姿に反して、愛嬌のあるいたずらっぽい表情が私の思考を現実に引き戻した。
「……なるほど」
ここが異界と呼ばれる世界と仮定するなら、それが定説だ。
「おお、説明せずとも理解するとは聡いの」
「だって黄泉でも、ギリシャ神話の冥界でもその地のものを食べると戻れなくなるものでしょう」
「うん、それはよくわからんが」
「何よそれ」
私は銀雪のように光をはじく猫っ毛がぴょんと跳ているそいつの顔を睨めつけた。何故って? 何とも怪しい上に、何故だか憎たらしかったからだ。
「あなた名前は?」
「そこまで察しが良かったというのに名前を聞くなんて野暮だのう。まあ良いうむ、どれにしようか……そうだな、りんとでも呼んでくれ」
うん、それがいいと勝手に満足げに頷く。こちらにしてみればその言いぶりは煮え切らなくてモヤモヤを残す。更にいえば、すらりとしなやかな手足と衣まで真っ白な様は浮世離れしていて親近感どころか不信感を募らせた。どこまでも怪しい男だ。
しかし、助けてくれた手前彼を信用するしかなさそうだった。
「止めてくれてありがと。ところでここはどこなの?」
質問続きではないかとぼやきながらりんは応える。
「どこだと思う?」
「……質問に質問で返さないで」
怒気を孕んだ声に少し顔を引きつらせながらも、飄々と彼は答えた。
「見りゃわかるだろう。『祭り』の会場さ」
すると、ちょうど2人の前を次の神輿が横切る。
「祭り……?」
「そう、祭り」
「おかしいじゃない。中止されたはずでしょ」
りんはついと視線を促す。釣られて辺りを見回すと周りには数多くの屋台が出ていた。その店のものも、行き交うものも、神輿の担ぎ手と同様に人ではないのが明らかだった。
ふと見上げると、ほんのりと赤みを帯び温かみのある提灯の明かりが彼の横顔を照らす。少しばかり血色がよく見えるその穏やかな表情は、さっきとは違って柔和な印象を抱かせた。幻想的で、ノスタルジックなその光景に目が離せなかった。
「人が祀らにゃ我々が祀らねば」
しばしの沈黙ののち彼に尋ねる。
「なんで人間のためのようなことをするのさ」
「我らとて安寧に過ごしたいからのう」
妖たちのためってこと? その考えを見透かしたかのように、りんはにやっと笑った。
「ここに暮らしてるのは人間だけではないんよ。覚えといてな」
この街は近所づきあいなどはそれなりに残っているものの、ど田舎というわけではない。家々は所狭しと並んでおり、買い物にもそうそう困る事は無い。
だからこそ忘れていた。ハロウィンの夜、幼い頃の私は夜闇に怯えていたことを。
きっとこういった存在達は私たちの身近なところにいつもいたんだ。気付こうともしなかっただけで。
「神様ってのは人々の信仰なしでは神たり得ない。君らがちゃあんと覚えていて想いを寄せないと神ではいられない」
その言葉にどこかドキッとして、居心地が悪くなった。
「忘れられたら、どうなるの」
その問いかけに彼は目を眇めて答えた。
「何かに成るか、はたまた消えるか」
りんはこちらに背を向ける。
「ただ消えてくれるだけならいいが、化け物じみたものになるとしたら面倒だよなあ」
ひとりごちるようにそう続ける。
「何よそれ、まるで神様と妖怪が同じみたいな……」
自分で言葉にしてみてはっと気づかされる。
一緒、なのか。日本の神々や妖怪は善い面も、悪い面も併せ持つ。だからこそ古来の人々はそれを理解した上で、畏れ敬い共存してきたのかもしれない。みんなその感覚を忘れてしまったけれど。
「まあ神様って思ったよりも寂しがり屋さんなんよ」
りんは振り返って、首をこてんと傾ける。絹糸のような髪が一筋顔にかかった。
「ここで会ったのも何かの縁、君は覚えておいてな」
そう言うとケラケラ笑った。
◇ ◇ ◇
気がつくと元の場所に戻っていた。蝉の騒がしさもいつの間にか元の通りである。
今のはなんだったのだろうか。
夏の暑さが見せた幻か。それにしては妙にリアルだったような。
「まあどちらにしても、心にはとどめておこうかな」
さっきまでの夢のような出来事に思いを馳せると、薫風が通り過ぎる。
————ちりん。
と音がして視線を落とすと、足元で白い猫がにゃあと鳴いた。
ある祭りの日に 衣川 龗 @kinukawa_ryo
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