第17話 「みーんな、可愛くなっちゃえ――――――っ!」
夜空の上。
純白に輝き鎮座する祭壇の、眩い光に紛れて、彼女が飛んでいた。
可愛く。
優美で。
誇り高く。
白銀の神光を浴びた、気品あふれるシャム猫のように。
「あれは……!」
星衣羅が、瞠目する。
「猫柳、まおさん!!」
「にゃんにゃんカラテ、拾ノ型」
女王の背後から放たれる、まおの決め技。
「〝ネコと和解せよ〟」
「!?」
まおから猫形のカワイイエフェクトが大量にあふれだす。ある猫は女王に纏わりついて動きを阻害し、ある猫は女王に爪を立ててひっかいた。猫の量は尋常ではなく、また、女王の絶美圧でも消し飛ばないほどの強度がある。それはまおの中のカワイイオーラすべてを費やしたとしても不可能なはずの美技であった。
はっとして星衣羅が視線を下げると、屋上には、まおを見上げる心那とアリスとイズミの姿。
まおの猫の種類は四つ。三毛猫に加えて、トラ猫、黒猫、白猫。
星衣羅は電撃的に理解する。
まおが放ったカワイイエフェクトは、まおだけのものではない。
心那たちがまおにカワイイオーラを流し込むことで、一度きりのカワイイブーストを可能にしたのだ。
「星衣羅! ねこちゃんが!」
葉湖に促され、再び頭上を仰ぐ。
猫まみれになった女王から、まおが、美の神器を奪い取っていた。
ティアラの形をしていた神器は、まおの手に渡ったことにより、まおに合わせた形状へと変化していく。
脳裏で聞こえる讃美歌の質が変わった。
先ほどまでは女性の厳かな声だったが、今は、猫たちのにゃーにゃー讃美歌となっている。
まおが祭壇から飛び降り、空中で神器を抱き締める。
その形は、猫耳カチューシャ。
「星衣羅……!」
「ええ……! 神器を手に入れるのは、クレオパトラではありません!」
「そのとおりにゃ!」
心那が顔を輝かせ、アリスが口角を上げ、イズミが頬に両手を添える。
まおから神気があふれ出る。
「女神となるのは、この猫柳まおにゃぁっ!!」
鈍い音がした。
肉を貫く『ドズッ』という音。
まおは表情を固まらせて、自分の胸元を見る。
女王の褐色の腕が、背後から胸を貫いている。
そしてそのまま、まおの持っていた神器を、掴み取っていた。
まおは、悲鳴を上げることさえできない。
女王が耳元でささやく。
「ないない。ないですよ……? そんなことは、万に一つも……」
「あ……が……」
「ほら、神器の方も、すぐにティアラへと戻っていきます。まおちゃんの蛮勇は、無駄でしたね。可哀想に……でも、大丈夫ですよ。苦しまないように、女神クレオパトラの力で、価値観を変えてあげます。女神のために死ぬことこそが、人類最大の幸福なのだと……」
「にゃ……にゃはは、は……」
「……? 何が可笑しいのですか?」
睡蓮の花の上に立った女王と、女王の腕に貫かれ体を脱力させたまおが、夜空に浮かんでいる。
「元々……まおは可愛くなんてなかった」
ゆっくりと語り出したまおに、辞世の句でも言うのかと思い、女王は仕方なく耳を傾ける。
「心那のおかげでこの道にいるけど、心那がいなければ、ただの根暗なオタクだったんだ。アリスちゃんや、イズミがいなければ、カワイイの猛者と渡り合えるほどの可愛さを手に入れることもなかった。今だって、根暗ぼっちオタクだったまおには分不相応な可愛さなんじゃないかって、たまに思う……」
「…………」
「だから……女神なんていう大それたカワイイがまおに備わるったって、ピンとこないよ。まおが目指したのは、飼い猫のような、すぐそばにある平凡な可愛さだ」
「……あなた、さっきから何を言って……」
「だけど、あの子たちは違う」
まおの声の震えが止まった。
「あの子たちは、誰よりも可愛くあろうとしている。きっと世界一の可愛さを求めてる。並大抵の努力じゃあなれないけれど、それでもあの子たちは、その道を選んだ。まおほどのカワイイカラテ使いなら、目を見ればわかるよ。星衣羅ちゃんも、葉湖ちゃんも、意志を定めたんだなって。だから女神になるべきは、あの子たちなんだ」
「興ざめですね。話が長すぎます」
「そうだにゃ~。これくらい話を長くしとけば、時間稼ぎにはじゅうぶんかにゃ?」
「……!? まさか!!」
女王はまおの肩越しに、それを見た。
掴んだと思ったティアラが、化かされたように消える。
それどころか、まおの体自体も、カワイイエフェクトの残滓を散らして霧消していく。
「にゃんにゃんカラテ拾壱ノ型……〝ねこまた・はたまた・ねこだまし〟。あんたが使ったエフェクトの幻影と同じにゃ。ただ、小手先の騙くらかしにおいては、にゃんにゃんカラテの方が一歩先をいく」
「あ……あなたはッ……!!」
「認めることにゃ。原典は、未来に生まれる真作のためにあるのだっていうことを」
純白の神の祭壇にて……
カワイイオーラが爆発する。
女王はゆっくりと振り返り、そのオーラの源を見た。
天使の羽根の降り注ぐ天界が夜空に浮かんでいる。
そして、そこには、ふたりの世界があった。
息がかかるほどの近さで向かい合う、千条院星衣羅と、虹ヶ峰葉湖。
互いに左手を差し出し、互いに右手で神器を持っている。
神器は、指輪の形をしていた。
星衣羅は、葉湖に。
葉湖は、星衣羅に。
細く短い薬指へと、小さな指輪をはめ込んだ。
「わたくしたちは」
「誓うよ」
「望めば誰もが可愛くなれる」
「それを証明するための」
「太陽となり」
「虹となる」
ふたりの幼き女神は、あどけなく微笑んで。
無垢に輝く神光を奔らせ、夜空を真っ白に染めた。
「みーんな、可愛くなっちゃえ――――――っ!」
星衣羅と葉湖から発せられるSinカワイイオーラの奔流が、一条の光となって遥か夜空に突き刺さる。それは成層圏を突破した直後、しずくの垂れた水面の波紋のように広がった。
地球をカワイイが包んでいく。
空からスパンコールのように煌めくカワイイエフェクトが降り注いだ。
こんな夜中でもカワイイカラテの修練を積むあの子へと降り注いだ。
彼氏とSNSでやりとりをしながら部屋のベッドで枕を抱くあの子へと降り注いだ。
不幸にまみれて傷だらけの手首をカッター片手にじっと見つめるあの子へと降り注いだ。
何もかもが嫌になってもまだ殺しきれずに血塗れの心で声を上げて泣くあの子へと降り注いだ。
好きな人に勇気を出して告白をするあの子へと降り注いだ。
新しい職場で心機一転がんばろうと自らを鼓舞するあの子へと降り注いだ。
小さな縁側に座り亡くした伴侶を想いながら孫に囲まれて笑顔になるあの子へと降り注いだ。
まだ何もわからなくて母を求めて泣きわめくことしかできない揺りかごのあの子へと降り注いだ。
可愛くなくても可愛い、すべての人々へと降り注いだ。
全人類のカワイイ細胞が、生まれ変わっていく。
宿るのはSinカワイイ細胞。
それはカワイクナイすらも前を向く力に変えてくれるだけの、ほんの少しの変化であった。
「この……力は……」
そしてSinカワイイ細胞を手に入れたのは、女王も例外ではなかった。
「これが……あなたたちの……」
「そうですわ」
美の女神となった星衣羅が、縦ロールツインテの金髪を穏やかな風にふわりふわりと揺らす。
「あなたは、カワイイの次のステージに進みましたの。そしてそれは、すべての人もまた同じ」
「全人類に、Sinカワイイ細胞を与えたというのですか……!?」
「うん。だって、その方がいいでしょ? きっとがらりとは変わらないと思うし」
同じく美の女神、葉湖が、おかっぱの青髪に煌めきの粒子を纏っている。
「理解が……」
女王は自らの得た新たな力の振るい方を考えながらも、声を震わす。
「理解が、できません。なぜ自分以外の可愛さを認めるのですか。Sinカワイイ細胞という自分だけの力を独り占めすれば、他者よりも可愛くなれるはずです。世界一のカワイイを求めるカワイイカラテの使い手でありながら、なぜカワイイを分け与えるのですか!」
「あら、単純な話ですわ」
星衣羅と葉湖は目を合わせ、笑い合う。
「わたくしは葉湖が可愛かったから可愛くなれた」
「ぼくは星衣羅が可愛かったから可愛くなれた」
「みなさんが可愛くなれば、わたくしたちはもっと可愛くなることができる。その先に、誰もが可愛くなれる世界があるはずですわ」
「ぼくらが見たのは、そんな未来なんだ。その予想図に、クレオパトラ、きみの姿もあるんだよ?」
ふたりの幼い手が、差し伸べられる。
「一緒に可愛くなりましょう、女王様」
女王クレオパトラは……
あまりの眩しさに、目がくらむような思いだった。
胸が苦しい。それなのに、全身を甘美な震えが伝っていく。
この感覚の正体を、女王は知らなかった。
終ぞ知ることがないはずだった。
しかし本能で理解した。
これが、他の人を、『可愛い』と思うという感情なのだと。
「ああ……」
その美貌を、とろけるように綻ばせる。
夢見心地で呟いた。
「これが……〝カワイイ〟……」
女王自身の価値観を、がらりと変える、出会いであった。
理解してしまったからには、女王に選択肢はひとつだけ。
いつだって女王は、美神の高みを目指している。
睡蓮の花の上で、ネフェル・シェペトの構えをとった。
はっとする星衣羅と葉湖に、語りかける。
「千条院星衣羅ちゃん。虹ヶ峰葉湖ちゃん。……妾は、あなたたちのカワイイが何なのかを知りたい。そして上を行くのは、妾でありたいと思っています。
だから……
あなたたちを美少女と認め、妾は、闘います。
女王でもなく、クレオパトラでもない、ひとりの、名も無き女として……」
絶美圧が覇気となって空間をびりびりと揺らした。
彼女のカワイイにはもはや支配的なオーラはなく、ただ澄み渡るのみ。
星衣羅と葉湖は、彼女の決意に応えなくてはならなかった。
「いいでしょう」
「……ふふふ」
ふたりは女神としての力を神界に返還する。
そして構えた。
シャイニング・ロリータカラテと、なないろ・やまとなでしこカラテ。
三人分のSinカワイイオーラがほとばしる。
闘気と美気を瞳で燃やし、ふたりとひとりは、それぞれの相手に敬意の眼差しを向ける。
同時に跳躍、激突した。
「いきますわっ!!」
「はぁっ!!」
「せぇやぁっ!!」
カワイイカラテ・バトル。
己の可愛さを武器に戦う、女の子ならではの決闘。
いま、それぞれの美を持つ女子たちが、自らの信じたカワイイをぶつけ合う。
彼女らは、この決戦が幕を閉じても、カワイイを磨き続けるのだろう。
やがて夜を裂き朝日が昇る。
それはあまねく人々を照らす、めちゃカワの太陽。
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