第15話 「可愛いだけの可愛さには、負けない」
夜空の闇の中で星が点々と瞬き、都市を月が煌々と照らした。
ここホテルパラダイスアアルの屋上は、周辺のどの建物よりも高度がある。眠らぬ都会の喧騒や照明はここまでは届かない。薄暗く、静まりかえっていた。
「あらあら……」
設置されたプールの水が月光を反射し、ゆらりゆらりと曖昧な紋様の光を浮かび上がらせる。
「虹ヶ峰、葉湖ちゃん。あなたはひょっとして……アンチ・カワイイカラテ・マスターをおやめになったのかしら?」
揺れる水面の光は、プール内に設えられた青白いライトにより、秘境たる洞窟の神聖なる泉といったような趣を醸し出す。
「うん。ぼくはやっと気づいたんだ。星衣羅が気づかせてくれたんだ」
神秘の泉にさざなみを立てる夜風が、ひんやりとした肌触りの空気を運んだ。
「カワイクナイへの道のりすらも、カワイイへの遠回りだったんだ。もうぼくは止まらない」
冷たい風はちいさな旋となり、ひゅるりと切るような音を立てて塵をさらっていく。
「そうですわ。わたくしたちは、数多ある選択肢から、カワイイへの道をあえて選び取りましたの」
地上の人々の足音や車の走行音は、この天空においては針の落ちる音以下にしか聞こえぬほどにかすかだ。
「〝真のカワイイ〟とは何か。それが、わかりかけてきたのですわ」
宇宙に肉薄するかのようなこの場所で、対峙する、美女と美少女。
美女は空中に咲く睡蓮の花の上に佇み、美少女ふたりは、かたや燃える黄金のドレスを身に纏い、かたや仄かに光る虹色の
異国の美女が、女王としての風格を漂わせながらも、落胆したように溜息をついた。
「はぁ……。どうして、誰も彼もが勘違いをするのでしょう」
細く長い五指を、褐色の肌をした頬に添え、憂う。
「妾以外の人間は、未来永劫、可愛くなどなれません。ましてや真のカワイイなど……それを自称するなんて、妾にしか許されないことなのですよ?」
「違いますわ。誰もが真のカワイイに到達できる可能性を持っている。……そうですわね。そもそもわたくしたちとあなたとでは、真のカワイイについての定義が違うのでしょう」
「そうかもしれませんね。凡人には想像も及ばない、それが〝真のカワイイ〟ですから」
女王はエキゾチックな衣装を夜の風になびかせ、清く可愛く美しく微笑んだ。
「妾はクレオパトラ。妾の全身は、髪の一本一本に至るまで、すべてがカワイイ細胞でできています。一切の混じりけのない、純度百パーセントのカワイイ・ボディ。それこそが、〝真のカワイイ〟の正体なのです」
言い終わるが早いか、屋上のいたるところから睡蓮が咲き誇り、無機質な壁や床もまたロータス柄へと上書きされていく。常識外れのカワイイオーラが可能にする、カワイイ固有結界である。並みの人間なら、その結界内にいるだけで発狂しかねない、暴力的で支配的な美圧。
しかし、星衣羅と葉湖は動じなかった。
合図もなしに、ふたりでおもむろに手を繋ぐ。
次の瞬間、星空が引きずり下ろされた。
そう錯覚するほどの光景がそこにはあった。足下にはアンドロメダ、左右を見れば天の川。無数の星々の光が星衣羅と葉湖の周囲で瞬いて、女王の睡蓮を散らし、固有結界を押し返していく。
それは星衣羅と葉湖がつくりだした、宇宙のカワイイ固有結界。
ふたりの美圧を合わせることで、めちゃカワになったのである。
「わたくしたちが見つけた〝真のカワイイ〟は……」
太陽のドレスの星衣羅が、傲岸にこちらを見下ろす女王を挑戦的な視線で射抜く。
「
虹の十二単の葉湖が、不敵な笑みを女王に向ける。
「ぼくは」「わたくしは」
「可愛いだけの可愛さには、負けない」
静寂。
沈黙。
そして女王が、くすっと笑う。
異常なまでの、絶対的な美貌で。
「そうですか。
……足掻きなさいな」
星衣羅が跳躍する。葉湖が腰を落とす。女王が凄艶に構えをとる。
激突する。
「シャイニング・ロリータカラテ……」
初撃は、星衣羅。
「〝
星衣羅を中心として球状の膜が発生。木星形のカワイイエフェクトである。その周りを回るのは四つの衛星。触れれば必殺の質量を持つそれらが、木星の軌道上で超高速の公転を始める。
攻防愛一体の美撃を見てもなお、女王クレオパトラは口元の笑みを崩さない。
「星を墜とせばよいのでしょう? 造作もありません。ネフェル・シェペト、
流れる指先。躍る足先。その脚線美は美の終着。
「〝耕し齎せ、豊穣のイシス〟」
目にも留まらぬ連蹴撃が、衛星を砕いていく。エウロパが壊れ、ガニメデが崩れ、イオが突破され、カリストが墜ち、最後に木星の星衣羅に鋭い蹴りが襲い来る。
しかし女王は脚を止めた。
真下から技を繰り出す葉湖の存在に気づいていたからだ。
「なないろ・やまとなでしこカラテ、錦上添花〝あかねさすあなたのほほのつつじかな〟」
それはカワイイエフェクトのみによる攻撃。
葉湖が繰り出した幾条もの赤光が女王を貫かんと襲いかかる。
星衣羅へ叩き込むはずだった蹴りを防御に使い、女王は葉湖の遠距離技を踏み潰した。
そこへ星衣羅が木星を纏ったまま、女王に強烈な正拳突きを浴びせる。
女王も間合いを詰めて指先をしならせた。
「〝
「〝妾の心に曇りなし、清らかに澄むナイルのように〟」
両者の美技がぶつかり合い、夜の天空にカワイイエフェクトの閃光を散らす。エフェクトが連続で発生するたびに、稲妻のような光と金属音のような甲高い音が鳴り響き、やや遅れて衝撃波がホテルの屋上をびりびりと揺らした。
技の威力は、女王の方が上回っていた。
「きゃあっ!」「星衣羅!」
吹き飛ばされた星衣羅を、葉湖が、がしりと受け止める。
打ち負けたとはいえ、星衣羅の側としてもダメージは浅い。
空中で身を翻し、女王は睡蓮の上に、星衣羅は小惑星の上に、葉湖は虹のアーチの上に着地する。
「んー……」
女王クレオパトラが、首を傾げる。
「おかしいですね……。あなたも技をぶつけてきたとはいえ、妾の技を正面から受けたのですから、ただでは済まないと思ったのですが……」
女王を睨む星衣羅と葉湖の瞳は、未だ折れていない。
「妾の技は〝ネフェル・シェペト〟……。プトレマイオス朝エジプトの時代に妾が編み出したこの美技から派生して、カワイイカラテは生まれました。つまり、すべてのカワイイカラテの祖なのです。
女王が星衣羅から目を移し、葉湖を見つめる。十二単の風雅な葉湖を。
「虹ヶ峰葉湖ちゃんがどうやってアンチ・カワイイを克服したのかも気になります。堕ちるところまで堕ちたはずなのに。あなたたちは、何なのですか? 何をしたら、まだカワイクナイ小学生のあなたたちがここまで強くなれるのですか?」
星衣羅と葉湖は再び互いの美圧を合わせ、カワイイ
「あなたに納得いただける説明ができるとは思えません」
「そだね。納得してほしいとも思わない。女王様、あんたは、ぼくと星衣羅に倒される。それで終わり!」
葉湖が腕を振ると、袖がふわりとはためいた。平安時代の画家が描いた和風の雲のようなカワイイエフェクトが発生し、葉湖の周囲を漂う。
次の瞬間、すべての雲が虹色に輝いた。
「〝うつくしくかがやきひかるにじあらし〟」
雲のひとつひとつが虹のカワイイビームを放つ。女王はそのいくつかを回避しつつ、星衣羅にも意識を割いた。
星衣羅もまた超高速移動し、自らの残像を生み出して、女王を翻弄しようとしている。
「スピードと近接の星衣羅ちゃんと、攻撃力と遠隔の葉湖ちゃん、ですか。よいコンビですね。でも……」
紅い唇が僅かに弧を描いて、女王の姿は星衣羅の視界から消えた。
「!? 消えっ……」
「
女王の美撃に打ち据えられ、星衣羅は屋上の外まで吹き飛ばされる。
「星衣羅!」
「そのビームも、
女王が技を繰り出すたびに、カワイイビームは防がれ、砕け散り、霧消していく。それどころか、女王の合図とともに出現したカワイイエフェクトのスフィンクスが大口を開け、葉湖のビームを上回るほどのカワイイ・ライトレイを放射した。
轟音とともに、星衣羅と葉湖が睡蓮の花びらのエフェクトに包まれ、見えなくなる。
「妾は……」
そして女王クレオパトラは傲然と語り出す。
「妾は全人類で最も美しい。それは紛れもない事実です。でも……それでも。妾のカワイイに迫るような可愛さを持つ者は、排除しなくてはなりません。全人類の中で、誰の追随も許さぬほど、突出した美しさを手に入れなくてはならないのです。妾の、崇高なる目的のために」
花びらのエフェクトが風にさらわれていき、星衣羅と葉湖の姿が見えるようになる。
星衣羅は吹き飛んで小惑星に叩きつけられた時のまま、文字通りのクレーターに身を沈めている。
葉湖も膝を突き、防護障壁も兼ねていた十二単の幾層かを修復しようとして、動けずにいる。
ふたりとも、既に満身創痍であった。
「あなた、の……」
それでも立ち上がる。真のカワイイを証明するために。
「目的を、聞いて、おこうかしら……」
「あらあら……そういえば、言っていませんでしたね。順序が逆でした。先に目的を話せば、事情をわかってもらえて、こんな無益な戦いをせずに済むかもしれませんものね」
女王は夜空を見上げた。
周辺では最も宇宙に近い高度にあるこの場所で、その目的を……
夢を、口にした。
「美という概念をつくりだした存在がいます。その存在は、いろいろな人からいろいろな名前で呼称されてきました。ヴィーナス、イシュタル、フレイヤ、アフロディーテ、……ネフェルトゥム。ですが、神秘が薄れてしまった現代、彼女らの存在を信ずる者はいません。その〝座〟は空席のままです」
女王の佇む足場、すなわち睡蓮が、ぐぐぐと成長して星衣羅たちを更なる高みから見下ろす。
「美の女神が存在しない今、妾こそがその座にふさわしい。ゆえに、妾以外のすべてのカワイイを零落させ、妾の美しさの価値を上げ、古き神々に妾を認めさせ……」
夜風が女王のために吹き、月が女王のために照らし、森羅万象が女王にかしずいた。
女王のために、世界が回った。
「妾が、女神になる」
星衣羅と葉湖は、圧倒的な美を前にして。
それでも、足場を踏みしめ立っている。
瞳の奥に宿るほむらは、星の炎と、虹の輝き、そしてふたりの絆のきらめき……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます