第12話 「葉湖。ぜったい、救けますわ!」

 一ヶ月ほど前。

 満月の照らす京都の夜。

 虹ヶ峰にじがみね葉湖はこは信じられないものを見た。


 カワイイカラテの神髄を学ぶために訪れた京都。そのとある道場で、やまとなでしこカラテの師範に教えを請い、カワイイオーラを磨く生活をしていた頃のことであった。

 道場の正門に、異国の女王が立っていた。


 その美貌を見た瞬間……

 この世の全てが、その女王にひれ伏し、讃え始めるかのような錯覚を抱いた。


 星が何万光年の彼方から光を届けるのは、女王の足下をうやうやしく照らすためだった。月が満ちて夜に輝くのは、女王の肌を青白く光らせ荘厳にさせるためだった。京都の歴史ある建造物たちは、女王の背景となって引き立たせるためだけに存在した。


 絶対的かつ、支配的な美。

 それはカワイイにおけるひとつの到達点であった。


 道場にいた女子たちが、女王にひれ伏し始めた。それはやまとなでしこカラテにおいて最強と噂されていた師範もまた例外ではなかった。誰もが〝真のカワイイ〟の前に無力と化し、自分の持つカワイイはカワイクナイだったのだと理解した。こうしてその夜の制圧は、女王が貌を見せただけで終わった……はずであった。


『あ……あぁあ……』


 葉湖だけが、ギリギリのところで自分を保っていた。体をがたがたと震わせてはいたが、まだ、かろうじて自分の可愛さを信じられている。

 女王は、葉湖に興味を示した。


『あらあら……可哀想に。死にそうなのに死にきれない苦しみに、耐えているのですね』


 靴を静かに鳴らして歩みを進め、葉湖を見下ろしその頬に触れる。


『ああ……きっとあなたは、自分より可愛い存在といつも高め合ってきたのでしょう。だから、妾のような存在にもある程度は耐性があった。嫉妬の日々だったでしょうね……。でも、もう大丈夫ですよ。これからは妾だけを神のように崇めていればいいのですから』


 豊かな胸の間に葉湖の頭をうずめる形で、抱き締めた。


『う……うぅ……』

『妾という〝真のカワイイ〟の前では、妾以外の全てがみな平等にカワイクナイ。あなたが妬んだその誰かも、あなたと同じで、カワイクナイのです。そう思えば、楽でしょう? さあ、身を委ねて……』

星衣羅せいら、は……!』


 女王が眉を僅かに上げる。

 矮小な存在と思っていた葉湖が、弱々しい力とはいえ、女王を押し返し、突き放そうとしていたからだ。


『星衣羅は! おまえより可愛い……! ぽっと出のよく知らないおまえなんかよりも、百万倍……!』

『あらあら、なるほど……。そういうタイプですか。それならそれで、壊しようはありますけれど』


 くふふっ、と女王が愉しげに笑う。涼やかな風が女王のために吹き、京都の鈴虫が女王のために鳴いた。カワイイ固有結界が発動し、女王の指が葉湖の心をこじ開ける。


『あなたのそれは、嫉妬なのですよ』

『嫉妬……!?』

『そう。嫉妬。あなたは、星衣羅ちゃんという子を愛していると自分では思っているかもしれませんが……それは間違いです。その裏に強い嫉妬心がある。それが純なる愛と言えるでしょうか?』

『ぼくは……違う! 嫉妬なんかあるわけが……』

『嘘ですね』

『あ……が……!』


 葉湖の体内で育ったカワイイエフェクトの睡蓮が、口の中から咲き誇っていた。その花弁の形で、女王は占ったのだ。葉湖の本心を。


『なるほど。千条院星衣羅。この子と同い年のビューティー・ロリータカラテ使い。太陽のような親友、ですか』


 女王の舌なめずりが、紅い唇を湿らせる。


『いずれ……お会いする時があるかもしれませんね。

『う、あ、あ……ああああ――――――――っっ!!


 京都の夜に葉湖の叫びが響く。

 引き裂かれるような悲痛な声は、誰にも届かなかった。




     ◇◇◇




「シャイニング・ロリータカラテは太陽のカラテ……そうおっしゃいましたね」


 時は戻り、ホテル・パラダイスアアル地下四階。

 廊下の真ん中で、アンチキューティーの女王が余裕たっぷりに語り出す。


 星衣羅は、夥しいほどのアンチ・カワイイオーラを纏う葉湖から目を逸らせずにいた。


「太陽は闇を消し飛ばす。確かにその通りです。でも……強烈な光は濃い影を生むこともまた、事実なのですよ?」

「葉湖……」

「うう……うううう……!」


 次の瞬間、葉湖が床を蹴り、星衣羅の腕に掴みかかった。じゅ、と焼け付くような音がして、星衣羅の柔肌が腫れていく。カワイイ細胞が殺されているのだ。


(アンチ・カワイイオーラを、相殺しきれない……!)

「大切な幼馴染み相手に、果たしてどれだけ本気を出せるのでしょうね? さて、その間に妾は、正気に戻ってしまった子供たちともう一度お友達に……」

「させないワ!」


 鋭い声に女王が振り返った時、既に技は放たれていた。


「ビューティー・オネエカラテ、喫茶拳闘サイド・バリスタ! 〝キリマンジャロ・ローストシュート〟!!」


 イズミの強烈な回し蹴り。オネエの誇りにかけて放ったその一撃を女王は無視できず、ガードせざるを得ない。空から山岳が降ってきたのかと錯覚するほどの風圧。女王の意識はイズミに釘付けになる。

 その隙に、心那とアリスが黒衣の少女たちを連れ、この地下四階から逃がしていく。


「あらあら……? 子供たちはいくらでも替えが利くからいいとして……あなたの、この、蹴りの威力。妾よりも美圧で劣るというのに、なぜこれほどまでのオーラを?」

「世の中は、美圧だけで回ってるわけじゃあないってことヨ。どういう意味なのか、アナタにはわからないでしょうケドね……」


 女王は眉をひそめる。イズミが哀れむような語調で言ったからだ。しかしイズミは一転、力強く叫ぶ。女王の背後の仲間に向かって。


「星衣羅チャン!」


 星衣羅がイズミと目を合わせた。

『ごめんなさいね。星衣羅チャンは連れて行けないワ』

 そう言い渡されたあの時、星衣羅はイズミを恨んだ。だが、それは少しだけだ。イズミの示した理由はどこまでも正当だったから、後になって納得した。しかし、悔しいことには変わりなかった。葉湖への想いならば誰にも負けない。それなのに、実力が足りなかった。肩を並べて戦うことは不可能だった。


 今は違う。


「女王はアタシたちがなんとかするワ! 葉湖チャンをお願いね!」

「――――わかりましたわっ!」


 星衣羅は答えを返しながら、葉湖に向き直り、技を放つ。


「シャイニング・ロリータカラテ!」

「アンチ・カワイイカラテ、魔ノ闇……!」


 カワイイとカワイクナイが激突する。


「〝火星ノ舞まーず〟!!」

「〝劣等厭武〟」


 互いの技がぶつかり合い、激しい衝撃波を周囲にまき散らした。美圧カワイイオーラ醜圧アンチ・カワイイオーラ、ふたつの巨大なオーラが膨れ上がり、耐えきれなくなった壁や床に亀裂が入り始める。

 ふたりは互いの両掌を押し合い、相手を吹き飛ばそうとしている。


「それにしても、きさまの、この力……!」


 拮抗する中、葉湖が声を発する。


「ほんの少し前までは、なかったはずの力だな……」

「ええ……! あなたを救けるために手にした、力ですわ……!」

?」

「!?」


 葉湖が星衣羅を押す腕を、引いた。星衣羅の力を、方向はそのままに受け流したのだ。慌てて星衣羅は振り返ろうとするが、既に葉湖はその背後で技の発動を完了している。


「堕ノ闇〝奈落遊増・魔逆様〟」


 凶悪なかかと落としが星衣羅を襲った。床にできていたひび割れが遂に崩落し、大穴を開ける。真下へ吹き飛ばされた星衣羅の体は四階の床を突き破り、地下五階の広間の床で止まった。


 意識を失いかけるが、涙を拭いて体を起こす。

 この広間は何か大きなものを入れておく倉庫のようだったが、今は使われていなかった。


「千条院星衣羅。きさまは恵まれすぎている」


 葉湖が広間へと降り立つ。照明が点いて、部屋の隅々を照らす。


「富裕層の家に生まれ。生来の美貌を持ち。あらゆる分野に才能があり。性格も魅力的。そんなきさまは今回、シャイニングロリータカラテという新たな力を手にした……。あまりにも、都合が良すぎる」

「……葉湖」

「どうやってその力を得たかは知らないが。おおかた、母親にでも授かったんだろう。〝おかあさんカラテ〟は指導や育成に長けたカワイイカラテだからな。……今回のように何の努力もなく力を得る。必死で努力をしてきたわれとしては、ばかばかしくなるよ」

「葉湖。それは少しだけ、違いますわ」

「……何?」


 服についたコンクリートの破片や埃を払い、星衣羅はゆっくりと立ち上がる。


「確かにわたくしは生まれついて恵まれてはいるのでしょう。それは葉湖の言うとおりですし、今は謙遜する場面でもありません。ですけれど。わたくしは都合よく力を得たわけではありませんわ」

「きさまの力は、鍛錬の積み重ねで得られる範疇を超えている。それでも、降って湧いた力などではないと?」

「お母さまは、おかあさんカラテによってわたくしを可愛くしてくれた。そしてカワイイ細胞は、自らを可愛いと信じることで活性化し、時に莫大な力を発生させますわ」

「……まさか」


 フードに隠れて表情は見えないが、葉湖が苦々しい声を出す。


「心の力だとでもいうのか? きさまは自らの可愛さを、未だかつてなく信じたとでも? ああ、それこそばかばかしい。心を強く持つことでパワーアップする、それが一番のご都合主義ではないのか」

「いいえ、ご都合主義ではありませんわ。それがなぜなのか、あなたもわかっているはず。だってあなたは……心を強く持つことの難しさを知っている」

「…………」


 黙りこくった葉湖に対し、星衣羅はあくまでも優しく、語りかける。


「わたくしも、つい先程まで、心を挫けさせていましたわ。カワイイカラテは、心の力で強くなれるけれど……それができないから、苦しいのです」

「…………」

「でも、そんな時、思い浮かべるのはいつも同じ人でした。いつもわたくしを気にかけてくれた。落ち込むわたくしと一緒に泣いてくれたし、浮き立つわたくしと一緒に笑ってくれた。ときどき、からかわれすぎてちょっとイヤになることもありましたけれど……それでも、大好きなともだち」

「…………っ」

「その子から、プレゼントとお手紙をいただいたのです」

「……!」


 葉湖のアンチ・カワイイオーラがぐらぐらと揺らぐ。それを見て星衣羅は確信を強める。

 この子はまだ、救われたがっている。


「その贈り物のおかげで、わたくしは、思い出しましたわ。カワイイあなたのこと。カワイクナイあなたのこと。そんな両面を持つあなたのことが好きということ。それから――――わたくしはあなたのためならいくらだって心を強くできるということを」

「……やめろ」

「あなたの友達であるわたくしがそうなのだということは」


 星衣羅が、大切なものをそっと置くような、そんな雰囲気の声音で言った。


「わたくしの友達であるあなたも、そうなのですわ」

「うるさいっっ!!」


 黒衣のフードの奥から、爆発した感情を乗せて声が響く。一歩踏み出し、荒々しい。


「そういうところなんだよっっ!! いつだって星衣羅は聖人みたいに心が綺麗で、そのくせたまにドジる人間らしさもあって!! 憧れだった!! まぶしかった!! でも、間近で見るにはまぶしすぎる光だったんだ!!」


 握った小さな拳は震え、俯けば涙の雫が床に落ちる。


「いつか、ぼくが自分を虹に喩えたことがあったよね。ああそうさ、ぼくはきみという太陽がいたからこそ輝けた虹だった。でも両者の眩しさは天地の差だ! ぼくは本当は星衣羅、きみと張り合いたかった!!」

「…………」

「だから京都で修行した! 京都のやまとなでしこカラテはレベルが高かったから、ぼくはそれまでの何倍も頑張ったんだ! でもあの日、アイツが、女王が現れて……! 全部台無しだ! 真のカワイイに、ぼくは絶対に勝てない。どうしたらいいかわかんなかったんだよ! 星衣羅にわかるか、あの壁を前にした時の絶望が!! 恵まれすぎてるきみにわかるのか!?」

「…………」

「カワイクナイぼくに残された道は、カワイクナイを極めることだった……!」


 声が嗄れてもなお、葉湖は荒ぶる感情を抑えられず、吐くように叫び続ける。


「カワイイとは別方向のカワイクナイでなら、一番になれるかもしれない。だからぼくは自分を呪った。ぼくは醜い。ぼくは不細工。ぼくはあばずれ! そうして行くところまで行ったんだ!」

「……っ!」


 葉湖のアンチ・カワイイオーラが闇の濃さを増す。


「きみが燦然と輝く太陽なら、ぼくは何者にも照らせないブラックホールだ!! もう二度と戻れないんだよっっ!!」


 絶技が放たれた。

 アンチ・カワイイエフェクトで形成された暗黒の衝撃波。

 床を削り取りながら凄まじい破壊力で迫り来るそれを、星衣羅は真正面から静かに見つめた。


(……ねえ、葉湖)


(憶えているかしら?)


(虹を探したあの日の、思い出貯金のこと)


(もし仮に、あなたが、自分を照らされることが怖くても)


(あなたの中の思い出が、あなたの胸の内側で、必ず光を放つでしょう)


(必ず……)




   シャイニング・ロリータカラテ

      〝太陽ノ舞さんしゃいん




 衝撃波が星衣羅に直撃し、そして光とともに弾け、火の粉のような粒子となって消えた。

 カワイイエフェクトにより形作られた黄金色のドレスは、燃え上がるように光り輝く。

 決して揺らがぬカワイイが、ひとつの想いで煌めいた。


「葉湖。ぜったい、救けますわ!」

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