第10話 「あらあら……見てしまったのですね」

 夜であった。

 月が雲に隠れ、星も見えない。煌々と光る街灯が、眠らぬビル群を照らしている。信号が青になり、人々が交差点に足を踏み出した。賑やかなようにも見えて、大抵の人間は互いに干渉することはない。すれ違う相手と何の関係も持たず、孤独に夜の都会を歩いている。


 そして、その会話もまた、ほとんどの人間にとって関係のない場所で行われていた。


「まおチャンが戻っていない?」


 素っ頓狂な声を上げるのは、ベリーショートヘアのキツネ顔なオネエ、屋久島やくしまイズミ。スレンダーな長い脚を急がせて、ふたりの少女とともに街を走っている。


「そうなのいずみん! 探してもいなかったの! うち、心配だよぉ。連絡もないし……いつものように猫カフェで時間を忘れてるだけならいいんだけど……」


 制服を着崩した中学生ギャル・常夏とこなつ心那ここなが、オレンジ色に染めたツーサイドアップの髪をなびかせて、イズミの隣を駆ける。不安そうに瞳が揺れた。


「おかしいワね……ひょっとして、敵に負けてしまったのかしら」

「でも、まおちゃんには〝げきおこ・にゃんにゃんカラテ〟があるんだよ? そう簡単に負けるわけないよ!」

「敵が……それだけつよいのかも……」


 ゴスロリ少女、アリス・ブラック・ロイエルメイエが口を挟む。かなり小柄なうえ、両手でフリルパラソルを差しているので走りづらそうだったが、ブーツを鳴らしてしっかりとついてきている。


「それに……敵には……まだ謎がおおい……」

「そうねぇ。かつてカワイイカラテの使い手だった虹ヶ峰にじがみね葉湖はこチャンが、なぜアンチ・カワイイカラテを使うようになったのか。アンチキューティーの頭目は何者なのか。目的は何なのか……わからないことばかりだケド……」


 イズミは立ち止まった。

 心那とアリスも同様に止まり、目の前の建物を見上げる。

 そこは、都随一の高級ホテル『ホテルパラダイスアアル東京』であった。


「今に全てがわかるワ」


 まおに持たせていた発信機が示す座標は、このホテルを示していた。




     ◇◇◇




 ホテル・パラダイスアアル。

 地下、六階。

 アジトへの潜入を開始した猫柳ねこやなぎまおは、巨大な鉄扉の前に辿り着いていた。


(なんだ……? この先に、何があるっていうんだ?)


 ゴクリと息をのむ。

 扉は最初から僅かに開いていた。

 注意深く、扉の隙間に体を滑らせていく。


 扉の向こうは、とてつもなく広い空間だった。天井は高く、暗くてどこまで続いているのかが見えない。薄明かりが床に点々とついており、なんとか周囲のものを視認できた。


「うっ……」


 思わず声を漏らす。腐ったような異臭が鼻をついた。何がこんなにも臭っているのか。まおは薄暗がりに目を慣らすまで、その場で立ち止まる。

 何か、小さく音がする。

 粘着質な音だ。汚泥を咀嚼するような、べちゃり、ぬちゃりという不快音。


(何だ……? 何かわからないけど、やばい。引き返すか? でも、もう目が慣れてきた……)


 まおは目を凝らして空間を見回す。徐々に視界が輪郭を取り戻していく。


 ここには一体、何がある?


 アンチキューティーの秘密兵器か何かだろうか。テロを実行するための巨大な兵器が保存されているとか。あるいは、人質が集められているのかもしれない。アンチキューティーはカワイイカラテ使いの美女たちを数多く拉致しているから、あり得ない話ではないはずだ。


 暗所に順応したまおの目が、何かを捉えた。


「にゃ……」


  ぐぢゅ


  ぢゅじゅぐ


  ぬじゅぐぢゅり


「うにゃああああああっっ!?」


 視界に飛び込んできたに、思わず悲鳴を上げて、まおは尻餅をつく。


「あらあら……見てしまったのですね」


 背後から声。

 振り返るまお。

 しかし次の瞬間、まおの首を何者かが絞め始めた。

 物凄い力。

 このままでは絞め落とされる。

 まおは、混乱した頭で、考えた。


(サイアクだ……)

(アジトの地下にがいるなんて)

(あんなのを解き放ったら……カワイイカラテは……)

(知らせなきゃ……みんなに……)

(イズミ……アリス…………ここ……………………――――)




     ◇◇◇




 ホテルの従業員入口から潜入を果たしたイズミたちだったが、心那が急に立ち止まった。つられてイズミとアリスも足を止め、振り返って心那を見る。


「どうしたの、心那チャン」

「まおちゃん……?」

「ココナ……? さっさとはしれ……」

「毒舌振るわれた! てかそうじゃなくて、一瞬、まおちゃんの悲鳴が聞こえたような……」


 不安げに声を震わせてから、心那は再び走りだす。イズミとアリスも彼女を追いかけた。


「こっちから聞こえたのね、心那チャン!?」

「うん! 階段を下りたずっと先!」

「行かせると思うか?」


 幼い声質に似合わぬ言葉が聞こえて、心那たちは止まり、身構える。

 白い無機質な廊下の真ん中に、いつの間にか、黒衣の虹ヶ峰葉湖が立っており……

 既に技を放っていた。


 闇色をしたアンチ・カワイイエフェクトの衝撃波が廊下を削りながら突き進んでくる。


 咄嗟にイズミが心那とアリスをかばうように前へ出た。


 そして叫ぶ。


可愛カアッッ!!」


 裂帛の気合いを乗せた大声と衝撃波がぶつかり、パンッと破裂音が響く。

 互いを相殺し合って、衝撃波は消え去った。


 イズミたちには、傷ひとつない。


「ウフ。その程度の攻撃、ビューティー・オネエカラテを使うまでもないワ」

「……ふうん。さすがの強さだ。ならばこちらも搦め手を使うしかないらしい」

「ッ!?」


 イズミが振り返ると、心那とアリスが、黒衣の女たちに羽交い締めにされていた。そして、首元に刃物を突きつけられている。


「い、いずみん……!」「イズミ……!」

「屋久島イズミ。それ以上動くな。動けば迷いなく、ふたりのアンチ・カワイイカラテ使いがきさまの仲間を傷つけるだろう」


 イズミは額に青筋を浮かばせ、鬼の形相で葉湖を睨む。


「てめェらァ……ッ!」

「今、われらの〝女王〟がおでましになる。裁定は下されるだろう」

「……は~、残念だワァ」

「何?」


 一転、穏やかさを取り戻した声でイズミが言う。彼女の顔が怒りに歪んでいたのは一瞬のことで、今は呆れたような表情だ。


「かつて、一級品のやまとなでしこカラテの使い手だった葉湖チャンが、今やこんなに落ちぶれちゃって。京都で一生懸命修行していたのに、可哀想なコ」

「…………」

星衣羅せいらチャンも、悲しんでいたワよ。あなたの幼馴染み、千条院星衣羅チャン。アナタのことが大好きだったのに、こんなことになっちゃって、苦しがっていたワ」

「……その名を、出すな」


 葉湖の声に、僅かに感情が滲み出る。戸惑いと、苦しみだった。イズミは心の中で、ごめんなさいねと謝り、あえて憐れみの目をつくった。


「それでも星衣羅チャンは信じていたワよ。あなたが完全に堕落したわけではないということ。星衣羅チャンは、アナタが一時的に自分の可愛さを信じられなくなってしまっただけだって思っているワ」

「やめろ」

「葉湖チャン。やまとなでしこカラテ使いの葉湖チャン。あなたは何故、アンチキューティーに所属してしまったの? 星衣羅チャンの推測の通り、悲しい理由があったの?」

「やめろ……」


 イズミが、本心からの悲しみを言葉に乗せた。


「星衣羅チャンとの友情は、忘れてしまったのかしら?」


 葉湖が激昂し、叫びながら拳を引いて飛び出した。迎え撃つイズミは構えすらしない。しかし隠しきれぬ美圧がほとばしった。イズミの狙い通りだった。コンマ一秒後、葉湖はイズミと激突する……

 はず、であった。


「あらあら……」


 葉湖の体は既にそこになく、いつの間にか廊下の突き当たりで謎の美女に抱き締められており、葉湖を気絶させるためのイズミの手刀は空を切っていた。


「挑発だなんて、美しくないですね……」


 異国の美女であった。

 褐色の肌に、墨の川のように艶めく長い黒髪。ゆったりとしたエキゾチックな衣装に身を包み、顔はヴェールで隠している。葉湖の体を床に座らせて自分は立ち上がると、丸みのある腰を振りながら、ゆっくりと歩いてきた。豊満な胸が揺れるさまは、扇情的でもあったが……今はむしろ不気味なまでの荘厳さを醸し出している。


 そしてイズミたちは瞠目した。

 白く無機質だった廊下が、いかなる魔術によるものか、姿を変え始めたのだ。


 床はふかふかの絨毯が敷かれた温かみのある色合いに。

 壁は高級感あふれるロータス模様の壁紙に。

 天井の蛍光灯はムーディーなサフランイエローの光に。


 そして美女が床を踏むたび、足下から睡蓮の花が育ち、咲き誇っている。


 心那とアリスを羽交い締めしていた黒衣の女たちが、美女に向かってひざまづき、頭を垂れた。解放された心那とアリスは、しかし、言葉を失っている。

 イズミだけが、冷静に状況を分析していた。


「廊下が変化したようにも見える。でも違うワ……! 絨毯も壁紙も照明も、全てカワイイエフェクト。圧倒的なカワイイオーラが可能にする、〝カワイイ固有結界〟……!」


 もはや疑いの余地はない。

 彼女こそが、アンチキューティーの女王。


「……アンチキューティーの頭目というくらいなのだから、どんな〝アンチ・カワイイオーラ〟の持ち主かと思っていたケド。これはどういうことなのかしらね……?」

「この固有結界を見ているというのに平静を保てるのですね。わらわ、びっくり。これは久しぶりに驚かせてくれたお礼です」

「何を言っ……」


 イズミの体が廊下の反対側の突き当たりまで吹き飛ばされる。『ずがぁん!』と轟音を立てて壁にめり込んだ。ぱらぱら、と壁の破片が落ちる。

 遅れて心那とアリスがイズミの名を呼んだ。

 イズミは顔を伏せ、応えない。


「あらら……? 意外と脆いですね。まだ技も出していないのに。妾、ざんねん。さあ、あなたたち。この子たちを連れていきなさい」


 女王の呼びかけに、黒衣の女たちは再び心那とアリスを捕まえようとする。しかしふたりはなんとかそこから逃れ、イズミをかばうように立ち、構えた。


「いずみん! 立って! お願い!」

「……心那チャン、アリスチャン……。逃げ、なさい。アタシのことは、いいから……」

「やだ……! 逃げない……!」

「うちも逃げない! 最後まで戦う! だって、まおちゃんを助けられてない!」


 ほとんど泣きそうになりながらもカワイイカラテの構えを解かないふたり。

 彼女らに対し、女王は「くふっ♪」と笑みをこぼした。


「まおちゃん? ああ、もしかして……?」


 心那は、えっ、と声を漏らした。

 女王に促され、黒衣の女のひとりがフードをとる。

 そこには、猫耳カチューシャをした、見知った美少女の姿があった。


 猫柳まおの表情は、虚ろであった。


「猫柳まおちゃんは、アンチキューティーの理念に賛同してくれたんです。一緒に来ないかと誘ったら、それはもう、即決でした。


 ヴェールが揺れて、女王の口元をちらりと見せる。

 紅い唇は僅かに弧を描き、微笑を湛えている。


「う……ううう……!」


 心那が大粒の涙を流しながら、美圧を高める。


「ううううう……!!」

「心那チャン、ダメ!」

「うああああーっっ!! ちびギャルカラテ、拾捌ノ型ぁっ!!」


 技を繰り出そうとした心那を、アリスが必死に引き留めた。


「だめ……! ココナ……!」

「放してっ! マジありえない! あいつ絶対許さない!」

「冷静になれ……! おちつかないと勝てない……!」

「くうう……!」

「あらあら、まだ妾を倒すつもりなのですね? 妾、しょんぼり。仲良くなれるかと思いましたのに。でも、大丈夫ですよ」


 女王がゆっくりと手を上げ、自分の顔を隠すヴェールに触れた。


「妾の顔を見れば、きっと仲良くなれますから」





 遠くから……

 破砕音が聞こえる。





「ん? この音は、何でしょう」


 顔を見せようとした手を止めて、女王が訝しむ。破砕音は頭上から聞こえてきていた。


 ……がん! ……すがん! ……ずがん!


「なに……? この音……」


 アリスも疑問に首を傾げ、心那も息を荒げたまま天井を見上げ、イズミも壁に埋まった体を引きずり出して眉をひそめる。


 ……ずがん! ずがん! ずがんずがん!


「何かが、落ちてくる……?」


 女王が唖然として呟いた。


「何かが上の階を突き破って落ちてくるというの!?」


 ずがんずがんずがんずがん、


 どっがんっ!!





 遂にこのフロアの天井を突き破り、彼女は降り立った。

 カワイイエフェクトでできた黄金のドレスを身に纏いながら。

 美しいブロンドを縦ロールツインテにして風になびかせながら。

 母親譲りの碧く澄んだ瞳の中に、あの日の誓いを宿らせながら。


 太陽の炎にも見えるカワイイエフェクトを全身からほとばしらせて、千条院星衣羅は、顔を上げる。


 その視線の先には、黒衣の、虹ヶ峰葉湖。


 視線が交わった。


 葉湖の表情はフードで読み取れなかったが、星衣羅は、その奥で潤う瞳の光を見た。


「アンチキューティーの、女王」


 女王を見据えて、構えをとる。

 今までのビューティー・ロリータカラテとは、やや異なる、優雅さ極まる構え。


「葉湖を、返していただきますわ」

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