第9話 「言葉が……欲しい。葉湖からの、本心からの言葉が……」
柔らかいブランケットをかけられている。あたたかい。母の匂いがして、安心する。
体に残る適度な疲労感がむしろ心地よかった。
しばらくして、ここは千条院の邸宅の、母が使っている部屋だと気づいていく。
意識が覚醒していくにつれて、何故ここで自分が寝ているのかを思い出してきた。
数十分前。
『そ……そんな……』
『んー、残念。なかなかの威力だけど、そんなんじゃあ、アタシたちと一緒には戦えないワねェ』
いちの型〝胸のざわめき・ひとめ惚れ〟の直撃を与えても……
ビューティー・オカマカラテの使い手、
イズミに一撃浴びせてみろというこの挑戦。一撃の威力次第では、星衣羅もキャラメル・キャンディのメンバーとともにアンチキューティーへの攻撃に同行できるはずだった。
『ごめんなさいね。星衣羅チャンは連れて行けないワ』
確かにロリータカラテの使い手は、年齢が幼い関係上どうしても膂力の面で一歩劣る。しかしそれでも、全身のカワイイ細胞に働きかけ、最大威力の型を放てば、ダウンに追い込めると信じていた。
実際には、イズミはびくともしなかった。
『ま、待って……! お待ちくださいませ! わ、わたくし、威力では劣っても、スピードなら!』
『速さで勝って、手数で上回って、相手に効かなかったらどうするの?』
『う……!』
『弱いアナタを巻きこむわけにはいかない。大丈夫、
『待っ……』
イズミはそれ以上話す気もないのか、踵を返す。
星衣羅は激昂した。
脚に力を入れ、イズミに飛びかかる。
『ふざけないで! わたくしは絶対に』
次の瞬間イズミの体がブレて、後頭部に衝撃を食らった。覚えているのはそこまでだった。
記憶が甦っても、星衣羅は変わらずソファの上で寝て、天井を見つめたまま動かなかった。
起きられないわけではない。ただ、敗北感に打ちのめされていたのだ。
厳しい鍛錬を超えて、カワイイカラテの技を磨いた。
数々の猛者を倒し、全国大会で優勝した。
だというのに、上には上がいて、技が通用しなかった。
自分の弱さをここまで痛感したことはない。
こんな自分では……
葉湖を救えない。
「あら?」
視界に、上から覗き込む人の姿が入ってきた。
長いブロンドの美しい、星衣羅の母、レイラである。
黒いシャツにジーンズパンツのラフな出で立ちだった。
「……お母さま」
「起きていたのね。ちょうどホットココアを用意してもらったところなの。一緒に飲みましょう?」
星衣羅はけだるい体に鞭打ち、上体だけ起こした。隣にレイラが座る。メイドが現れて、低いテーブルにふたり分のマグカップを置いた。レイラが礼を言うと、メイドは一礼して部屋を出ていった。
ココアからは湯気が立ち昇っている。星衣羅はレイラに促され、一口飲んだ。
熱いココアが体の芯をあたためていく。
静寂の時間が過ぎていった。
壁掛け時計の針の音と、かすかな息づかいだけが部屋を漂っていた。
イエローホワイトの明かりが、まるで昔ながらの暖炉のようにぼんやりとふたりを照らしている。
「お母さまは……」
口を開いたのは、星衣羅だった。
「どこまで知っていらっしゃるの? わたくし、家の前で倒れていたはず。その理由を聞かないということは……何か、ご存じですの?」
レイラはマグカップを置き、星衣羅の顔を見て微笑んだ。
「イズミとは、お友達なの。そんなに仲良くないけどね。気絶したあなたを抱えたイズミから、いくつかのことは聞いたわ」
「そう、なんですのね……」
母には謎めいているところがあると星衣羅は以前から思っていた。だから、イズミと知り合い同士だったことも、すんなり受け入れてしまえた。
「葉湖は……」
声を震わす星衣羅。
「あの子は、忘れてしまいましたの? わたくしと過ごした時間。楽しかったはず。うきうきして、ドキドキの日々だったはずですわ。でも……葉湖にとっては、違いましたの? あの笑顔は、嘘だったんですの?」
「星衣羅……」
「きっと葉湖は、自信をなくしているだけだとは、思いますわ。何かの理由で、自分の可愛さを信じられなくなっているだけ。ひょっとしたら、敵に操られているのかも……。そうは思いますけれど……わたくし、不安ですの。あんなに敵意を見せつけられて……まるで一年生の頃、わたくしをいじめようとしてきた女子たちの、あの瞳のようでしたわ」
「…………」
「……ねえ、お母さま」
星衣羅がレイラの肩に頭をもたれかけ、服をぎゅっと掴んだ。
「わたくし、苦しい。葉湖を信じられなくなりそうで」
頭の中がぐちゃぐちゃだった。葉湖を救いたい。でもそれは求められていないことかもしれない。葉湖の気持ちがわからなかった。こんなことは初めてだった。葉湖が引っ越した後も、電話やチャットで交流をしていたし、その時も葉湖の考えていることはお見通しだった。だが、今は、葉湖から敵意しか感じない。物悲しいほどの、敵意しか。
「言葉が……欲しい。葉湖からの、本心からの言葉が……」
だというのに、星衣羅はキャラメル・キャンディたちと同行はできなかった。
葉湖に理由を問いただすことはできなかった。
何もできない。
星衣羅は、無力だった。
「言葉ならあるわ?」
レイラが言った。
あっけらかんとした声色だった。
ソファの脇に置いていた、ラッピングされた立方体の箱を取り出す。
「お母さま……?」
「これはね、葉湖ちゃんからのプレゼント。実はね、葉湖ちゃんが引っ越す前に預かっていたものなの」
「えっ……」
「『星衣羅が寂しくてたまらなくなってそうな時が来たら、お母さんから星衣羅に渡してあげてください』って言われてね? ちょうどそれは今かなあと思って、持ってきたわけ」
お手紙もあるから、とレイラが便箋を差し出す。星衣羅はおずおずとそれを受け取った。
何枚かある三つ折りの手紙は、確かに葉湖の筆跡だった。
せいらへ。
この手紙をあなたが読んでいるということは、もうぼくはこの世にいないかもしれないし、いるかもしれないのでしょう。いない場合は①に、いる場合は②に進んでください。
①→ええ!? ぼく死んじゃったの!? うそぉ!? ってことはぼく、天使になっちゃったかもしれない。ぼくってば、かわいいからね。きみがつらいとき、ぼくは天国からふわーっとおりてきて、きみの心を守るよ。というわけで③に進んでください。
②→まあ、そりゃ~まだこの世にはいるよね。というかぼくが生きてるのにさみしくなっちゃったの? せいらは本当にさみしがりやさんだな~。さみしかったら会いにくればいいのに~。おいで、ぎゅーってしてあげるよ。はい、ぎゅーっ。元気出た? 元気が出たら③に進んでください。
③→ぼくが遠くに行っちゃっても、せいらはひとりじゃないんだよ。だって、せいらの中にはぼくとの思い出がいっぱいあるからね。いろいろあったよね-。ぼくが公園のすな場にほったおとしあなにはまるせいら。ぼくがこわいお面をつけておどかしたらこしをぬかしちゃったせいら。おもらししてなきべそかくせいら。メイド長さんにおしりぺんぺんされるせいら……。そんなかんじの、今までの思い出貯金があればだいじょうぶだよ。さみしくても、ひとりじゃないよ。というわけで、プレゼントを開けてください。プレゼントの中の、④につづく。
星衣羅は顔をくしゃくしゃにして涙をあふれさせながらその手紙を読んでいたが、最後まで読むと、プレゼントボックスを手に取った。二十センチ四方もある、大きめの立方体。泣きじゃくりながら、箱を開封する。
次の瞬間、
「きゃあっ!?」
バネ仕掛けの先端についたぬいぐるみが飛び出てきて、星衣羅はひっくり返りそうになった。びっくり箱だった。困惑しながら、星衣羅は、ぼよんぼよんと今も伸縮を続けるそれを見る。
ぬいぐるみの頭には、紙が貼られていた。
④だった。
星衣羅は顔を近づけて、それを読む。
〝④→てってれーん♪〟
それ以上は何も書かれていなかった。
「…………くすっ」
思わずこぼれた笑い。
星衣羅が理解したことが三つある。
一つ。葉湖は星衣羅のことをいつも気にかけてくれていたということ。
二つ。こんな状況でも笑顔を思い出させてくれる葉湖のことが星衣羅は大好きだということ。
三つ。
葉湖がどんな状態だとしても、星衣羅は、無条件で葉湖のために命を懸ける覚悟が今この瞬間にできたということ。
「……お母さま」
「んー?」
「わたくしは、葉湖のことが好きです」
こんな手紙を作ってしまうような、カワイイところも。
びっくり箱で最後までからかい続けてくるような、カワイクナイところも。
虹を探しに行かないかい、と誘ってくれたあの日の、カワイくてカワイクナイ、葉湖のことが。
「葉湖の全てが、好きですわ」
レイラは、星衣羅の瞳を覗き込む。
その双眸に燃えるほむらを見て取ると、「ふぅ」と軽く息を吐いた。
彼女なりにも安堵したのだろう。
星衣羅という大切な娘が、意志を定まらせたことに。
「星衣羅。あなたはきっと太陽になる。それはたとえ夜になっても、世界を眩く照らすでしょう」
レイラが星衣羅の小さな体を抱きしめ、囁いた。
「お母さんが……ロリータカラテの奥義を教えてあげる」
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