第5話 「それでも、今の星衣羅ちゃんよりは、まおの方が、強い」

「ええ。ありがとう、お母さま。星衣羅せいらがここまで来られたのは、お母さまが支えてくださったからですわ。ええ。はい。はい……そうですわね。それでは、後ほど」


 スマートフォンの通話を切り、星衣羅は車窓の外に目をやった。夕方の西日に照らされた都会。降り始めた雨粒が窓の外側を流れていく。


 リムジンは高層ビル街を走っていた。


 全日本カワイイカラテ選手権大会が閉幕し、その帰路であった。執事が運転するリムジンは千条院せんじょういん家の邸宅を目指して穏やかに走行中だ。

 星衣羅は座席に積まれたトロフィーやら花束やらを慈しむように見つめる。そのプレゼント類の大部分を占めているのは、女児向けのキャラクターのぬいぐるみであった。


 星衣羅は女児向け雑誌からの取材で、こういったぬいぐるみが大好きだと明かした。するとファンたちから、ことあるごとにぬいぐるみが送られてくるようになった。今もリムジンの座席はふわふわのキャラクターだらけ。わざわざリムジンを出させたのは、移動中もぬいぐるみに囲まれていたいという、たまにしか言わない星衣羅のわがままであった。


(はあ……シナモンかわいいですわ……)


 ぎゅ、とぬいぐるみを抱き締め、頬ずりをする。星衣羅のぷにぷにとした幼い頬がぬいぐるみに押されて、もちっとした。そのまま長座席にぱたんと倒れ込み、ぬいぐるみを顔にもふもふしながら「うふふふへ……」と笑みをこぼす。

 全国大会のプレッシャーから解放され、そこには九歳本来の無邪気さが戻っていた。

 そんな様子を、運転席の老執事(『じいや』と呼ばれている)は、ミラー越しに、微笑ましそうに見つめているのであった。


 星衣羅はぬいぐるみたちに埋もれながら、今回の勝利に思いを馳せる。


(たくさんの方に支えていただいたからこその、勝利ですわ)


 この勝利を、両親やメイドたちや、友達や、幼馴染みに、捧げたいと思った。


 かけがえのない、幼馴染みに……


 星衣羅は記憶をたぐり寄せ、一年前までよく一緒に遊んでいた女の子のことを思いだす。

 思い出の中で、小学校のチャイムが聞こえる――――




     ◇◇◇




 私立絢爛小学校。

 品行方正な校風で知られるその小学校は、その日も陽光に照らされ淡くぽわぽわと光っていた。


 敷地内は石畳で舗装され、マロニエの並木やラベンダーの植え込みが美しく並ぶ。さながらパリのシャンゼリゼ通りな並木道を抜けると、赤いレンガ造りの広々とした校舎が構えている。

 どこからか漂うのはロイヤルハーブティーの香り。

 児童たちが交わす挨拶は上品な「ごきげんよう」。

 私立絢爛小学校とは、正真正銘の良家の令嬢が通う、華麗で瀟洒なお嬢様学校なのである。


「っていう学校に通ってる設定でぼくと遊ぼうよ、星衣羅」

葉湖はこ……あなた、何を言い出しますの……」


 提案するのは虹ヶ峰にじがみね葉湖。

 じとっとした目つきになるのは千条院星衣羅。


 このふたりは友達同士で、かつては同じ小学校に通っていた。その校名は、私立絢爛小学校……ではなく、市立白雲小学校。普通の小学校である。確かに星衣羅は令嬢だが、両親の教育方針により、現在もこの学校に通っている。


「じゃあ星衣羅~」


 思い出の中で葉湖が微笑む。ここは三年一組の教室。時刻は昼休みで、児童たちは思い思いに過ごしている。

 葉湖のおかっぱにした青髪が揺れて、青紫色の瞳がきらめいた。


「きみは睫毛がめっちゃくちゃ長い御令嬢役ね。ぼくは黒髪ロングの和風お嬢様役やるから」

「睫毛の長さを指定する意味はありまして……?」

「あらあら千条院さん、ご機嫌よう。今日も睫毛がうるわしゅうこと……痛っ、いたたた、千条院さんの睫毛がぼくの目に」

「どんだけ長いんですのわたくしの睫毛!?」

「いけません!」


 葉湖が自分の髪をロングヘアの女子がやるようにファッサーと撫でつける動作をする。短いおかっぱなのに。


「全然なっておりませんわぁ! 睫毛がむちゃくちゃ長い令嬢は、もっとエスプリに富んだ言い回しをするものでしてよぉ!」

「睫毛関係ありますの!?」

「さあ、あなたもこのランドセルを使ってモノボケしてみてくださいまし」

「モノボケって言っちゃってますわ……。えーと……こほん。おーっほっほっほ! この真紅のルージュのような色彩、これこそ、わが千条院財閥にふさわしきランドセルですわー!」

「あ、エスプリ皆無なこと言ったから睫毛が縮んだ」

「そういうシステムでしたの!?」

「このままでは睫毛がマイナス成長して千条院さんの眼球を睫毛が突き刺してしまう……」

「想像しただけで痛いですわ!? た、助けてくださいませ、葉湖~」


 なんかノってきた星衣羅が葉湖にしなだれかかる。葉湖はそんな星衣羅を受け止め、にっこりとして彼女の頭を撫でた。


「あっ、星衣羅、トリートメント変えた?」

「わかりますの? この前、葉湖がおすすめしてくれたものに変えましたわ」

「毛先とかいー感じだ。ぼくの星衣羅がまた可愛くなっちゃったね」

「えへへ……」

「あ、でもよく見たらここハゲてる」

「嘘ぉっ!?」


 星衣羅が慌てて頭に手をやる。その様子を見て、葉湖は声を立てて笑った。


「嘘さ。かわいいなあ、星衣羅は」

「あ~な~た~は~!」

「ふひぇ~、ほっぺたひぎれるぅ~!」


 ――――星衣羅と葉湖は仲良しだった。家が近いとか、クラスが同じとか、そういう理由があったわけではない。いつの間にやらふたりは出会っていて、気づいた時には無二の親友になっていた。葉湖は星衣羅のことをよくからかった。星衣羅はそのたびに、怒り、溜息をつき、そして笑った。ふたりはいつも一緒に遊んでは、喧嘩なのかじゃれ合いなのかわからないことで機嫌を損ね、帰り道を別れ、そして、どちらかがどちらかを追いかけて、謝るのだった。

 ふたりは幸せだった。

 ずっとこの幸せは続くはずだった。

 そのはずだったのだ。




     ◇◇◇




 リムジンが急ブレーキを踏んだところで、星衣羅の回想は途切れた。


 タイヤがアスファルトを擦って甲高い音を立てる。トロフィーが倒れ、積まれたぬいぐるみたちがどさどさと崩れる。星衣羅も放り出されかけるが、カワイイカラテの使い手としての体幹コントロールにより踏みとどまった。


「ご無事ですかお嬢様!」

「じいや、何事ですの!?」


 運転席の老執事が、やや慌てつつも普段の落ち着いた声で状況を報告する。


「子供が飛び出してきたのです。危うく突き飛ばしてしまうところでした。急停車してしまい申し訳ございません」

「そう……。事故にならなくて良かったですわ。……でも、どうして止まったままですの?」

「それが……子供が道路の真ん中に立ち塞がっておりまして」


 星衣羅は怪訝に思い、運転席前方を見る。


 背の低い、黒いパーカーの子供が佇んでいた。

 顔はフードで隠れ、両手はポケットに突っ込んでいる。

 大粒の雨に打たれるに任せ、ただ者ならぬオーラを放って仁王立ちしていた。


 そしてその黒衣の刺客は、いつの間にかリムジンの目と鼻の先にいた。


「!?」


 リムジンが跳ね飛ぶ。

 黒衣の刺客がバンパーの下部を蹴り上げたのだ、と気づいた頃には、リムジンは宙を一回転半して真っ逆さまに道路へ叩きつけられていた。


 大爆発が巻き起こる。

 いかな頑丈な高級車といえど、圧倒的な暴力の前では、ひしゃげて、燃え上がり、ただの焼け焦げた金属塊と成り果てるより他はない。


 人間の悲鳴や怒号、警察に通報する声、車のクラクションが周囲で鳴り響く。

 そんな混沌とした雑音を全く気にした様子のないまま、黒衣の刺客は、大雨の中、歩みを進める。

 リムジンの残骸に、近づいていく。

 死体を確認するため、リムジンをもう一度ひっくり返そうというのだろう。

 だがその必要はなかった。

 星衣羅は執事を連れて、ぎりぎりのところで脱出していたからだ。


 揺らめく炎の向こうから、怒りに燃える声がする。


「ビューティー・ロリータカラテ、にの型〝初恋ふらっしゅ〟!!」


 それは最速の拳打。

 炎に身を隠し、炎の壁を通って現れた星衣羅が、黒衣の刺客の鳩尾を狙う。

 しかし刺客は反応した。

 拳を腕で絡め取り、星衣羅の力を利用して、そのまま空高く投げ飛ばしたのだ。


「えっ!?」


 驚愕する星衣羅。自らの最速の技がいなされた上、攻撃を返されたのだ。動揺し、普段なら華麗に着地できたであろうところを、あえなく失敗。しかし運良く、落ちた先は道路の中央分離帯の柔らかい土の上だった。

 それでもダメージが脚に響く。すぐには立ち上がれない。


「あっ……くっ……」

「カワイイカラテ全国大会の覇者、千条院星衣羅。きさまには生け贄となってもらう」

「な、何を言って……」


 そこで星衣羅は、はっと気づいた。黒衣の刺客が言っていることの意味がわかったわけではない。むしろ、更にわからなくなった。


「どうして……? その声……あなたは……!」


 黒衣の刺客の声は、聞き慣れた少女のものだった。


「あなたはっ! わたくしの幼馴染み、虹ヶ峰葉湖なのではなくて!?」

「…………」

「いいえ、絶対にそう。わたくしが聞き間違えるはずありませんわ。葉湖……どうしてこんなことを」

「きさまと喋る時間に意味はない」


 びくっ、と星衣羅が肩を震わす。

 心臓を氷の針で突き刺すような声だった。

 黒衣の少女が、腰を落として構える。

 技の名を、呟いた。


「アンチ・カワイイカラテ、禍ノ闇――――〝毒毒濁流黒塵波〟」


 黒衣の少女が繰り出した拳から禍々しい闇色のカワイイエフェクトが発生する。

 否、その様相を、と表してもよいものか。

 そのエフェクトは――――


「〝アンチ・カワイイエフェクト〟だ。闇に呑まれて絶望しろ」


 暗黒の濁流のごとき衝撃波が、道路を破壊しながら突き進んでくる。

 星衣羅は動けない。為す術はない。身を固くして、目を瞑る。


 次の瞬間、声がした。


「にゃんにゃんカラテ玖ノ型〝ぽよよん肉球〟ッッ!!」


 星衣羅の身体が何か弾力のあるものに弾き飛ばされ、宙を舞う。歩道に不格好に着地した。先程まで自分がいた場所は衝撃波で抉り取られて、見るも無惨な有様である。

 隣の猫っぽいコスプレをした少女に視線をやった。


「あなたは、猫柳ねこやなぎまおさん!?」

「いろいろ説明してる時間はないよ。立てる?」

「え、ええ。ね、猫柳さん、口調が……?」

「いいからさっさと逃げて! アイツの狙いは星衣羅ちゃん、あなただ。あなたさえ逃げ切れば、まおたちの勝ちだ!」

「ど、どういう」

「星衣羅チャンっ!」


 突如走行してきたバイクがけたたましい音を立てて急ブレーキをかまし、ふたりの前で停まった。フルフェイスヘルメットをかぶったボディスーツの女性が「乗りなさい!」と鋭く叫ぶ。


「えっ、えっ」

「いいから早く! まおチャン、時間稼ぎお願いね」

「任せて!」


 強引に腕を引っ張られ、何が何だかわからないまま、星衣羅はバイクの後部座席に乗らされる。「しっかり掴まりなさい! 振り落とされたら死ぬワよ!」そう言われて、ぎゅうっと前の女性の腰にしがみついた。

 バイクが急加速する。

 ちょうど放たれていた闇の衝撃波は、しかしバイクには当たらず、今回も地面を砕くにとどまった。


「ひぃや~~~~!!」

「黙ってなさい星衣羅ちゃん、舌かむワよ!!」


 女性と星衣羅を乗せたバイクは、夕焼けの街をスピード違反で駆け抜けていく。






 バイクを見送り、猫柳まおは、黒衣の少女と向き直った。

 少女がぼんやりと呟く。


「……逃がしたか」

「ざまぁないにゃ~。今どんな気持ちなのにゃ? にゃふふふふ」

「どんな気持ちか、だと? 決まっているよ……」


 まおが表情を引き締める。

 少女の声が、殺気を帯びたからだ。


「生け贄の代替品として、きさまを選んでもいいかな、という気持ちだ」

「……やれやれだにゃ。これほどまでの〝アンチ・カワイイオーラ〟……心那ここなとアリスが仕留めきれないわけだにゃ。でも、心那とアリスは退却したから……あんたもまた、カワイイカラテの使い手を仕留めきれなかったことになるにゃ」

「……何が言いたい」

「アンチ・カワイイカラテは謎のカラテ」


 まおもまた、瞳に剛気を込めていく。


「にゃけど、心那とアリスがあんたから得たデータであんたを分析すれば、アンチ・カワイイカラテの謎も解明できる。アンチキューティーの破滅も近いにゃ」

「そうはならない」

「なるにゃ? さて、まおも本気を出すかにゃ~」

「大会で星衣羅の使い手に負けた雑魚が何を言う?」

「程度、なんて言ってたら星衣羅ちゃんに足下すくわれるにゃ? 星衣羅ちゃんはこういうアングラなバトルに慣れてなくて、気が動転していただけにゃ。だけど、まあ……」


 まおが、にゃんにゃんカラテの構えをとる。


「それでも、今の星衣羅ちゃんよりは、まおの方が、強い」


 ――――猫被り、解除。

 まおの呟きとともに、カワイイオーラが爆発する。

 通常、技を繰り出した時にしか見えないカワイイエフェクトを、常時発生させるほどの美圧。

 まおの身体を、猫耳や猫尻尾の形のエフェクトが纏った。


「できればコレは封印しておきたかったんだけどにゃ」

「ふうん。なぜ?」

「この状態だと、一切の手加減ができないから」


 地面を蹴る。

 めちゃカワの、絶技。


「げきおこ・にゃんにゃんカラテ、肆ノ爪! 〝化け猫デスエッジ〟ッッ!!」

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