第3話 「ふしゃあああ――――――っっ!!」

 小学生の頃の猫柳ねこやなぎまおは、体が柔らかいこと以外これといって特徴のない、地味な美少女であった。


 自らの可愛さに自覚がなく、おしゃれにもあまり興味がなかった。同世代の女子たちがメイクに目覚め始めていることは知っていたが、自分もいつかはやるのかな、程度にしか思っていなかった。


 むしろまおの興味はアニメやマンガに向いていた。

 人気アニメを一通り見て、男子向け・女子向け問わずマンガを読み漁り、六年生になる頃にはすっかりオタクに染まっていた。しかし当時からその性質は隠しており、クラスでは『地味で何考えてるかわからないけど真面目な女の子』との評価を受けていた。まおはその立ち位置に満足し、カワイイカラテの存在を知っても、内心「や、私キモオタクだからな~……」とナチュラルに自虐しつつ敬遠していた。


 そんなまお自身よりも早くまおの可愛さに気づいたのが、同じクラスのちびギャル、常夏とこなつ心那ここなであった。


 心那は、六年生の始業式にまおの小学校へ転入してきた転校生だった。転入初日から底抜けの明るさと誰にでも好かれる楽しさを発揮し、あっという間にクラスに馴染んでしまった。〝ちびギャルカラテ〟の使い手である心那はおしゃれの情報通でもあるため、転入から一ヶ月経つ頃には既に女子たちから一目置かれる存在になっていた。


 一方、まおは相変わらず陰気だった。アニメを見、マンガを読んで、趣味のイラスト描きを続けていた。イラストは一時期、学校でも休み時間に描いていたが、褒められたり茶化されたりするのが面倒になって、その頃は描いていること自体も秘密にするようになっていた。


 しかし心那にバレた。


「まおちゃん、プリントの落としものだよ! てかこれやば! このプリントの裏に描いてある絵、鬼滅のねずこちゃんでしょ!? めっちゃうまいんですけど! これまおちゃんが描いたの!?」


 その日から心那がやたらと纏わり付いてくるようになった。休み時間になるたびに話しかけられ、絵を描いてとせがまれる。まおは困惑した。うんざりもした。穏やかに日々を過ごせていればそれでよかったのに。だから言ってやったのだ。放課後、心那がまたにこやかに話しかけてきた時のことだった。


「だから絵は描かないって言ってるでしょ。私みたいなブスに話しかけることで自分を引き立てて、満足した?」


 言ってやった時の心那の顔。

 傑作だった。

 まおは自分で言っておきながら罪悪感により自分で大ダメージを受け、「ごめん」と小さく謝ってから逃げるように帰り、次の日、学校を休んだ。


 休んだその日、プリントを持ってきてくれたのが、心那だった。

 まおは玄関口で気まずそうに心那からプリントを受け取る。そしてすぐ扉を閉めようとした。

 ところが、心那は無断で玄関に入ってきた。


「は? ちょっ! 何!?」

「まおちゃんはブスじゃない」

「何!? ちょっと腕掴まないで、痛い! どこへ連れてく気!?」

「だいじょうぶ。たくさんコスメ持ってきたから」

「話が通じてねえ!」

「はい座って。じっとしててね」


 洗面所の鏡の前に座らされるまお。わけのわからないまま、心那に身を委ねる。

 一時間後。

 まおは生まれ変わっていた。


「ほら可愛いじゃーん! 明日からこれで学校に来ること! いいですか!」

「え、いや、でも」

「でもじゃない! まおちゃんは可愛いの! それをみんなにわかってもらうのっ!」

「常夏さん……」

「ずっと、気になってたんだよ? 絵のことは、話しかけるための口実だったの。まおちゃん、可愛いのに、ずっと暗い顔してるの、もったいないよ! 可愛くなって、人気者になろうよっ!」


 涙さえ浮かべて力説する心那に、まおはおろおろしながら「あ、ありがとう……」とお礼を言った。そんな様子をまおの両親はこっそり見ており、友情ね……青春だ……とほろり涙を流したのであった。


 その後……

 一ヶ月に一度は男子から告白される日々を過ごしたまおが、自分の可愛さを自覚し、調子に乗った結果――――




     ◇◇◇




「行っくにゃー! うーにゃにゃにゃにゃーっ!!」


 まおのねこパンチが空を裂く! あざとい動きが星衣羅に襲いかかる!

 にゃんにゃんカラテを繰り出すまおの表情は、輝いていた!


 ここはカワイイカラテ全国大会会場、KAWAII闘技場アリーナ

 決勝戦の攻防は熾烈を極めている……!


《なんということかーッ! スピードで圧倒し続けていた千条院せんじょういんの動きに、猫柳がついていけるようになり始めていますッ!》


 にゃんにゃんカラテ、不赦ふしゃかまえ

 威嚇する猫のように体勢を低くするその構えになった途端、まおの反応速度が上がった。

 星衣羅の攻撃のことごとくを、かわし、いなし、受けきっている。


《解説の美女平びじょだいらさん、これは一体どういうことなのでしょう? あの体勢、逆に動きにくいようにも思えますが……》

《はい。まおちゃんの使うにゃんにゃんカラテは今大会まで一切データがなかった新しいカワイイカラテの形です。ゆえに詳しいことは私からは言えません。ただ、あえて想像だけで述べるのなら……

《野生に帰っている……!?》

《人間は天敵のいない世界にあぐらをかき、いつしか本能を鈍麻させていきました。しかし、猫はどうでしょうか。カラス、蛇、猛禽類……外に出ればこれらの存在に命を狙われる危険に晒されます。本能を呼び起こさなければ、猫は生き延びられない。まおちゃんはあの構えをとることで、そんな猫の本能をトレースしているのかもしれません》


 解説者の見立ては当たっている。

 不赦ノ構は、天敵と遭遇し、それでも立ち向かおうとする猫をトレースするための構えである。

 猫になりきり、猫の気持ちになることで、猫並みの愛くるしさそして本能を手に入れる。……それはあるいは、動物の姿を真似た武術・象形拳の目指す極致なのかもしれない。わからないが。しかし、このにゃんにゃんカラテの奥義のひとつともいえるこの技には、デメリットも存在する。


 長時間使いすぎると……まるで猫に乗っ取られたかのようになり、人語を忘れてにゃーにゃー言うだけのすごく可愛い生物になってしまうのである!


(タイムリミットはにゃがくて三分……! 時間切れが来る前に、終わらせるにゃっ!)


 まおが俊敏な動きで翻弄し、星衣羅を真横から攻める。


「にゃんにゃんカラテ漆ノ型〝にゃんにゃんあそび・キャットタワー〟!!」


 星衣羅の肩に手を突いて、そのまま跳んで宙返り。アクロバティックな動きで星衣羅の真上をとり、そのまま星衣羅の肩に飛び乗る。


「わたくしをキャットタワー扱いしないでくださいませ! さんの型!」

「弐ノ型!」


「〝つんでれバックブロー〟!!」

「〝ねこだんごタックル〟!!」


 技の打ち合いを制したのは、まおであった。


 空中のまお目がけて放たれた星衣羅の裏拳バックブロー。しかしそれを華麗にかわしながら背後をとったまおが、着地と同時に猫っぽく丸まりながらショルダータックルを見舞った。体重を乗せた高威力の技に、星衣羅はたまらず吹き飛び、地面を跳ねる。


《千条院、吹き飛んだァーーーーッッ!! 不赦ノ構、強い! 猫柳、完全に流れをものにしていますッ!》


 倒れた星衣羅に、まおはずんずんと近づいていく。

 不赦ノ構も、まだ一分は持続するだろう。


「終わらせる……」


 そしてまおが凶暴な猫のように飛びかかった。


「これで終わらせるにゃっ! ふしゃあああ――――――っっ!!」


 観客の誰もが、これがとどめの一撃であると予感した。

 これで決勝戦にケリがつく。優勝者は、猫柳まおであると。


 しかしそうは思っていない者がふたりいた。


 星衣羅と、まお自身である。


「ビューティー・ロリータカラテ、にの型」

「にゃ……っ! やはり、まだ動けるかっ!」


 星衣羅が視界から一瞬消えるが、ギリギリでまおは反応する。先程は追えなかった星衣羅の分身が、今は、目で追える。


「〝初恋ふらっしゅ〟」


 最速の拳打が風を切りまおに襲い来る。しかし。


(無駄にゃ! その技は確かに超速。でも直線的! 今なら避けられる! ――――ここにゃっ!)


 まおの本能が拳の軌道を察知する。

 不赦ノ構の恩恵により、星衣羅の打撃を回避しきった、その時であった。


 目の前に、何か、しゃらしゃらしたものがある。


 それは初恋ふらっしゅを放った後、星衣羅が空中に放り投げていたものであった。


 先程ねこだんごタックルを食らった時、星衣羅は受け身をとっていなかった。とれなかったのではなく、あえて、とらなかったのだ。

 何故か?

 吹き飛ばされる僅かな時間、自分の赤いドレスを裂いて千切り取るのに専念するためだ。

 何のために?

 ドレスのフリルを用いて、ためだ。

 


「ふにゃっ……!? 体が、勝手にっ……!」


 ――――猫じゃらしを、である。


 空中に放り投げられた即席の猫じゃらしに、まおの体は反応してしまう。普段なら無視できたはず。しかし今のまおは、不赦ノ構により、猫の気持ちになっている。


 ひらひらと宙を舞うドレスのフリル。

 じゃれるまおに、狙いをつけた。

 これだけの隙があれば――――突ける。


「あなたの敗因。それは……猫の真似事キャラづくりに頼りすぎたせい、ですわ」


 腰を落とし、拳を構えた。


「次は素顔のあなたと戦いたいですわね。それでもわたくしが、勝ちますけれど」




「ビューティー・ロリータカラテ、いちの型!!」




「〝胸のざわめき・ひとめ惚れ〟っっ!!」




 ロリータカラテの技の中で、最大威力の正拳突き。

 全身に込めた力を拳に乗せて一気に解き放ち、敵に強烈な打撃を叩き込む。

 そう、それはまるで……

 一目惚れをした時の、自分の世界がぐわんと揺れる、あの衝撃のように。


《ぶち込んだァーーーーッッ!! 猫柳は、地面を跳ねて! 跳ねて! そのまま壁へ激突ゥーーーーーッッ!! 立てるか!? 立てるのか猫柳!?》


 審判が駆け寄り、まおの状態を確認した。

 まおは、目を回して気絶している。

 誰が見ても、明らかだった。


《ね、ね、ね――――》


 審判が絶叫する。


《猫柳まお、ノックアウトォォオッ!! この瞬間、勝者が決定します!! 全日本カワイイカラテ選手権大会、第一〇七回の優勝者はッ!!》


 星衣羅が、ほっと息を吐いた。

 そして、にこりと微笑み、ドレスをつまんでお辞儀した。


《ビューティー・ロリータカラテの天才児、千条院星衣羅だァァアーーーーッッ!!》


「「「「アラマア~~~~~~~!!!!!!」」」」




     ◇◇◇




 同時刻。

 顔をフードで隠した黒いパーカーの子供が、アリーナの出入り口で試合の様子を眺めていた。

 巨大ディスプレイに『CHAMPION 千条院星衣羅』の文字が躍っているのを無感動に確認すると、何事かを呟いている。

 そこへ、通りすがりの淑女が声をかけた。


「ちょっと、そこのあなた! 立ち見は禁止のはずよ。観戦するならチケットを購入してから……、ちょっと、聞いていらっしゃる?」


 無視をする子供の肩を軽く叩く淑女。

 子供は、そんな彼女に、緩慢に視線を向ける。

 その表情はフードに隠れて見えないが、大人しく帰ることにしたらしい。

 無言で踵を返し、アリーナを去っていく。


「……何だったんだろう、あの子……、ん?」


 残された淑女は、自分の手に違和感を覚えた。

 先程、子供の肩を叩いた手に……

 


「な、何!? 嫌、嫌ぁぁあーっ!!」


 淑女の悲鳴は、今も鳴り止まぬ優勝者への歓声にかき消され、誰にも届かない……。

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