independence days

金田もす

第1話


ヤンゴンに向かい真っすぐのびるハイウェイ。冬だからか、いっちょまえに落葉した沿道の樹木に隔てられた荒野にミャンマ最後の夕陽が揺らいでいる。

「1週間にわたる滞在で最後ぐらいは観光地的なところにいきたい」ミヨコにせがまれタクシーを雇いゴールデンロックを訪れた。山の山頂付近、崖の上で落っこちそうで落ちない丸いその岩は、東南アジア乾季の容赦ない直射日光を研ぎ澄まし黄金色に輝いていた。男子しか触れることができないその岩に、ミヨコの代わりに金箔を貼りつけ、彼女が思うところの願い事を上申した。その帰り道。

夕暮れには起こせとせがんだミヨコは後部座席でバナメイ海老のように、ちぢこまり、横たわり、羽毛のような寝息をたてている。声をかけてもゆすってみても反応がない。後で見せてやろうとスマートフォンを構えると、小学生のころ所属した野球チームの監督によく似た長身ドライバーが停車することを申し入れた。

No just taking pictures but…

伝えようと試みたが、適当なフレーズが思いつかず、ドライバーは薄れ行く夕暮れのなかシンメトリーに口角をあげ、白い歯をのぞかせた。


「なんで起こしてくれなかったのよ、最後のチャンスだったのに」

彼女の今回の旅のテーマは日の出と日没をみること。広大な熱帯の彼方を切り裂き出現し、また、その偉大な大地に熔けるように沈んでいく太陽がつくりあげる壮大な瞬間に全身をさらす、そのために関空から3回もトランジットしやってきた彼女、そして勤務先のアモイから呼び出された自分。

「寝てただろ、起こすのも悪いと思って」

「なんで悪いってわかるのよ、私じゃないのに」

と、いつもの調子。エリートアスリートだった頃のプライドがうずいているのだろうか。なにしろ夕食をおごることになった。

ヤンゴン随一の観光スポット、スーレーパゴダ近くの屋台がぽつぽつと連なる路地。路上に並べられたテーブル席を確保し、指示通りフライドチキンとガパオを買い求める。席に戻るとビールが飲みたいというのであたりを見渡すが、行きかう人々、腰を据えて夕餉を楽しむ老若男女、盛り場のどこをみてもアルコール飲料らしきを手にしている人はいなかった。

「あれみてよ」

振り返ると、タピオカミルクティーを販売している店舗の横からフォーマルな装いの男女が登場した。同じく正装した数人のオーディエンスがコトバをかけ、握手やハグを求め、幸せの瞬間を留め置こうとスマートフォンをかざしている。

「祝い事かな」

「結婚式よ、裏がモスクだったわ」

彼らの服装はその昔NHKで見たことがある中央アジアの国の伝統衣装に似ていた。その国は魚が好きな人が日本人になり、そうでもない人が残って作ったという伝説を持ち、国民の9割がイスラム教徒だった。

「イスラム人街だからアルコールが売ってなかったのか、じゃあ無理だな、あきらめよう」

などという泣き言が通じるわけはなかった。


「よくみつけたわね、おりこうさん」

キングフィッシャーを煽りながら、ミャンマブランドのビールでないことに不満をもらし、酒に付き合わないことをなじる。

「下戸だってよくいうわね、それでも社会人なの?」

「職場でもよくいわれるよ、中国でビジネスマンやろうとする輩が、すすめられた酒を飲まないなんて有り得ないなんてな」

「というか人としてダメでしょ、なんのために体育大学に通ってたのよ」

別に酒量キャパを増やすために大金と20歳前後の貴重な4年間を費やしたわけではない。大学時代はアスリートの養成者になるコースを専攻した。所属したゼミの担当教授のはからいで、当時高校生中距離界で名を轟かせていたミヨコのサポートチームに属し、ほかメンバーより年齢が近いということもあり、主に生活面の支援に携わった。

「そもそも、私にお酒を教えたのはあんただからね、おかげでわたしの夢は頓挫しちゃったのよ」

正しくはない、圧倒的な潜在能力を周知されながらも高校最後の挑戦を地方大会でいち早く失念したミヨコ。ひといちばい負けん気の強い彼女の、負けてもなお緩めなかった負けん気をなだめるため、酒をすすめた。気持ちや心の弱さで壊されるものなど、たいしたものでないのかも知れない。彼女のような女子が弱くないがゆえにダメになってしまわないために他に方法はなかった、どうしようもない親密さをもてあまし、ふと交わしてしまった幼馴染のくちづけのように。


寝酒用も含め、買ってきたすべてのビールをイスラム街のど真ん中で飲み干した後、宿に向かう。路地は深夜だというのに、子供たちが往来で遊んでいた。ラメの入ったピンクやショッキンググリーンの衣装を着たちいさな女の子は路面に描かれたいくつかの円を飛びまわり、男子はよってたかってボールを蹴りあっている。ビールケースをひっくり返した簡単なステージではダンスパフォーマンスが披露され、傍らのスピーカーから歪んだ音でアナウンスや音楽が流されている。路地の両脇には5階層くらいの建物が通りの明るさとは対照的に暗くそびえ、月でもでているのだろうか、ささやかな夜空が青白く発光している。

「こっちは年末休みも終わって仕事が始まるというのに、まだ新年のお祭か」

「ミャンマの正月は1月じゃないわ、明日は独立記念日なの」

「なるほど、だからといって深夜だというのに、子供を遊ばせるのはどうかと...」

「まあ、私たちにはわからないかもしれないわね、そもそも独立記念日なんて日、日本にはないし」

沿道の建物は古めかしく暗く、よく見えないのだが年季の入ったコンクリート製。2本の急な階段が建物内部に続き、各階層ごと両脇に部屋が分かれている。階段の昇降口あたりには鉢が置かれ青や白の小さい花の植物やら花びらのないレンゲ草やらが植えられており、覗き込むことができる第1階層の奥行きは深く、奥にロフトのようなスペースがあり、もっとも奥まった場所に電飾に飾られた赤い道教神が祀られている。

「建国記念日なのか、日本で似た日っていうと」

「違う、独立記念は天皇誕生日らしいわよ」

「2月のやつ、それとも12月?」

「昔の天皇陛下だったかなゴールデンウィーク中、その日に日本大使館ではパーティーをやって赴任国の関係者や友好国大使殿を招いたりするらしいわ」


スーレーパゴダを中心とするロータリーでは深夜というのにたくさんの車が周回していた。その南側にある公園はすべての入り口にkeepooutのテープが貼りめぐらされ、あちこちに自動小銃を背負った兵士が詰めている。公園には大量の椅子が配置され、椅子が向かう先の威厳ある建物の手前には、歩道と車道の一部を閉鎖して巨大なステージが設営されていた。

「アウンサンスーチー来るかな」

威厳のある建物は政府関係の施設らしく、建物の一部にスローガンと深いまなざしで微笑むアウンサン女史の上半身が描かれた横断幕が掲げられている。。

「どこかの式典でスピーチはするだろうけど、ヤンゴンの式典に来るのかはわからないな、現在の首都はネピドーだし」

とにかく滞在中その国の独立記念式典に参加できるなど、そうそうない事なので、ぜひ見てみたいというミヨコ。自動小銃を抱えた兵士が散見される、ものものしい雰囲気なのに一般人の見学が許されるのか訝ったが、あたりに屯っていた、おじさんや兵士などに開催時間など訊いてみた。朝10時というのもあれば夕方、なかにはもう終わったという返答もあった。セキュリティーの関係もあり正確な時間は公表しないのだろう。

とりあえず明朝、ブランチを食べながら検討しようということになり、ミヨコを宿まで送り届けた。そう、一緒に過ごそうといったわりに、自分を誘った時点で、彼女はすでに宿を押さえていた。自分なんて所詮、こんな南国にやってきたとしてもそんな役まわりなのだろう。


翌日はまるで、この国を去ってしまう我々を咎めているかのごとくよい天気だった。公園は前日あれだけ並べられていた椅子が撤去され、大勢の人々が独立記念日のすがすがしい午前を満喫していた。公園のど真ん中には細長い独立記念塔がそそり立ち、園児がべた塗りしたような青空にのびている。見上げると数秒で立ちくらみ10秒で鼻血がほとばしるほど、まばゆい空の下20分遅れてミヨコはやってきた。

淡い紫色のTシャツに深く上品な紫を基調とし、金糸をほどこしたロンジーを腰に巻いている。アスリートなので当たり前なのだが、贅肉がそぎ落とされ、すらりとした肢体にその南国の民族衣装はよく似合っていた。手足はほどよく陽に焼け、わりと気をつかって白っちい丸顔はひたひたと吸い付くように涼しげで、肩までのびた猫毛のやわらかさはこの国の湿潤を抱き、異邦人でありながら、この日を特別な日にせしめていた。

「もういちど夏にきましょうよ」

ミヨコがいう。ヤンゴンの南にある川を渡り、さらに南にいくと水上に浮かぶパコダがあり、いってみたいらしい。なぜ、夏なのか、そしてなぜ今になっていうのだろうか。

「というか、東南アジアは一年中夏だろ」

そういうとミヨコはいつものように歯茎を下唇に押し当て眉をひそめた。

「あなたは夏って、いつだと思う?」

「そりゃ春が終わって秋が来るまでだろ、7月とか8月」

「雨があがって葉っぱが色づくまでが夏じゃないのよ」

「じゃあいつなんだよ」

「夏と思った時が夏なの、夏ってこうだよね、っていうイメージを失ってしまわない限り夏はやってくるのよ」

なるほど。

「旅の終わりがその場所の独立記念日なんて素敵じゃない、なんか旅は終わりだけど、はじまりの終わりって感じがするわ」

どっかできいたことがあるような台詞だが、彼女の屈託のないドヤ顔はいつものように、いやいつもよりまして活き活きとし、新しい季節の眩しさを撒き散らすように輝いていた。その表情は否が応でも彼女が水の上に立つパゴダがみたいという夏をイメージさせた。




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