思考の終わり
果たして――不吉な予感は的中した。
二人の間に擦れ違いが生じた翌日も、少女は健気にも私の下へやって来た。少し遅れて少年も現れたが、彼の後ろに別の人間達がいた。以前の私なら、「常連が増える」と密かに喜んだだろうが、この時は全く逆で、「二人の邪魔をしてはいけない」と諫めたいぐらいだった。
少年の連れて来た人間達は、話を聴いていると彼の新しい「友人」らしく、皆が朗らかな笑みを浮かべて少女に挨拶をした。
「カロム、凄く強いんでしょう? 私もやってみたい!」
「俺もお願いするよ! 同じクラスなのに、全然一緒にやった事無かったもんな!」
矢継ぎ早に挑戦を申し込まれる少女は、やはり気立ての良さもあったのかニッコリと笑い返し、「勿論良いよ」と受諾した。私の上に手早く的駒を置き、ジャンケン、とかいう奇妙な手遊びをした後に……少女は私で遊び始めた。
遊戯が進む横で、問題の少年は幾度も少女を見やった。
別の少女と会話する事もあったが、どうしても「彼女」の存在が気になるらしかった。結局、その日は少年と少女が会話する場面は数える程で、何処かぎこちない様子が私の心を突いて回った。
その次の日も、更に次の日も、少年は新しい友人を連れて来ては、大勢で私を楽しんだ。
勿論、少女も人懐こい笑みで楽しんでいる素振りを見せたが、太陽がすっかり沈み切った後、私の下へ再度現れては、溜息交じりに駒を弾く事が多々あった。
当時の私は……少年の複雑な心境が理解が出来なかった。季節を幾度も巡った今の私ですら、本当に自分の推測が正しいのかどうか、自信がまるで持てない。
周囲からの視線が生み出す羞恥。少女と強く関わり合いたいという欲求。
二つが彼の中で激しくぶつかり合い、どちらを優先すべきかの判断力も持っていなかった為……結果として、少年は他の友人達を隠れ蓑にし、少女との交流機会を創出しようと画策したはずだ。
しかしながら――少年の計画が破綻したのは明らかだった。
次第に少年と少女は連れ合って私の下を訪ねて来なくなり、時折思い出したように少女が現れると、暗い表情で私の手入れをしてくれた。
そして……外界で吹き荒ぶ寒風が弱まり、眠くなるような陽光が差し込む季節に、少女は長く黒い筒を携えて来ると、私の身体に触れながら一瞬微笑み、「さようなら」と呟いた。
さようなら。別れの挨拶である事は知っていた。
少女は私に向かって、というよりは――私が置かれている部屋、その部屋を内包する建物全てに対して……別れを告げたように思えた。
それから少女は部屋を出て行くと、二度と私の下へやって来る事は無かった。
私はこの定位置から、憶え切れぬ程の少年少女達を見つめてきた。
既に親密な関係を結んでいる男女が部屋に入って来て、何やら密談をする事もあったし、坊主頭の少年が顔を真っ赤に火照らせ、狼狽する少女に「好きです」と告白する場面も見掛けた。
様々な人間が、より濃密で、より新鮮な光景を見せてくれたはずなのに――私は、私というおかしなカロム盤は、どうしてもあの少年と少女が気に掛かって仕方無かった。
少年は計画が破綻した後、めっきり姿を見せなくなったし、少女も「さようなら」と呟いた後、吸い込まれるように扉の奥へ消えた。それ切りだ。
私はというと……一層後輩達が増えているらしく、あの少年のような不器用極まりない人間がこの部屋を訪ねて来る事も、奇特な誰かが手入れに現れる事も無くなった。
私は、この建物の中で一番の孤独を味わっているに違い無い。
しかし、それも致し方無い事だと私は思う。
既に私の平べったい部分はでこぼこしているし、半月状の穴の縁はささくれ立っており、人間の柔らかな指を傷付けるだろう。駒は殆ど色褪せ、昔のような鮮やかさはとうに失われている。
駒が滑りにくく、怪我をしやすいカロム盤など、私が人間だとしても要らない。
それでも、まあ多少は辛いけども、待ち受ける運命を呪う程……私も若くないのだ。流れた年月はたっぷりの寂しさと共に、静かに結末を迎える強さをくれた。
たった一人の、否――一面の古いカロム盤の独白は今、終わった。
太陽はまだ空高い位置にあるが、きっと目を閉じれば……不思議と、長い長い眠りに就けるはずだ。
私の心は、結局向こう岸を見る事は叶わなかった、あの大きな湖のように、どんなものでも受け入れる事が出来そうだ。
とても、良い気分である。
うん、段々と微睡んできたぞ。
お休み、私。お元気で、お二人さん。
さようならは、こういう時に言うものか――。
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