少年と少女

 ころころと変化を繰り返す少女は、木々が青葉に包まれる頃、不意に一人の少年を連れて来た。少年は少女と似たような服を着ていたが、何処か真新しく、彼の身体にまだ馴染んでいないようだった。


「座って座って。教えてあげるから」


 私を挟んで置かれた二脚の椅子に少女はストンと、一方の少年はぎこちなく座った。少年は私の上に置かれた駒を見つめ、指で突いたり手の平で転がしたりした。


 この少年は、私の事を知らないのだ――私は彼の表情からすぐに悟った。


「前に住んでいた場所、カロム無いんでしょ?」


「うん、見た事も……聞いた事も無いよ」


「やっぱり。他の地域じゃマイナーらしいもんね。じゃあ、今日で遊び方を憶えちゃおうよ! そうしたら、皆ともすぐに馴染めると思うよ」


 そう言って少女は的駒を円状に並べ、「どっちの色が良い?」と少年に問うた。


 瞬間、私は停滞していた夢の成就が達成される事を確信した。


 少女よ、可憐な少女よ! 君は何処まで私を喜ばせてくれるのか!


 当然ながら、私の叫びは二人に届かない。嬉々とする私に構わず、少年は駒をガチンと弾いた。「痛っ」と呟く彼の眉間に皺が寄っている。


「爪が痛い……皆は痛くないのかな」


「弾く、っていうよりは押す、っていうのかな……こんな感じだよ」


 少女の細い指が弾く駒は、少年の時よりも滑らかに私の上を滑ると、見事自分の的駒を穴に弾き落とした。


「難しいな……」


 彼は酷く不器用だった。一〇回、二〇回と駒を弾いてみるのだが、駒は狙った方角に進まないばかりか、私の上から吹き飛んでしまう事も少なくなかった。


 少年の指が赤くなった頃、少女は「ちょっとごめんね」と立ち上がり、彼の後ろに移動した。すると少年の手を――少女の柔らかな手が包んだ。


「良い? まず指をこうして、狙いを定めて……」


 多分、彼女の指導を上の空で聞いていた事だろう。少年の頬は赤くなり、視線も駒と少女の横顔を行ったり来たりしていた。一方の少女は彼の狼狽など意にも介さず、熱心に「上手な弾き方」を教授した。


「はい、じゃあ一回やってみて」


 うん、と少年はくぐもった声で返事をする。赤い指が駒を弾く、弾かれた駒は――何とか的駒の方へ進み、カチリと軽やかな音が鳴った。


「やったじゃん! 上手上手!」


 照れたように俯く少年の口角が、微かに上がっているのを私は見逃さなかった。それからも少女は二度、三度と初心な少年の手を握り、「この感覚だよ」と熱心に指導した。


 私自身が駒を弾く事は出来ないが、もし、私に腕が生えてきたとしたら、すぐにでも的駒を落とす事が出来るだろう。実際に手を動かせない私ですらが、何らかのコツを掴めたのだ。


 それ程までに……少女は指導の得意な人間だった。


「そろそろ指が痛くなってきたでしょ」


 窓の外、街並みが橙色に染まり切った辺りで少女は笑った。やはり照れたように少年は頷き、酷使した指を大切そうに撫でていた。


「今日は打ち方を憶えたでしょ? 次はルールだね、明日の放課後……何か用事ある?」


「無い、無いよ。出来たらお願いしたいな」


 食い付くような素早さが少年にはあった。同時に――私は彼の心中をすっかり見抜いていたのだ。


 なるほど、彼は少女に惹かれているな……。


 快諾を受けた少女は満足げに頷き、努力家の少年に私の手入れの仕方を教え込んだ。このまま少女は彼に「手入れ」を引き継いでしまうのかと、若干の寂しさも覚えたが、興味深そうに学んでいる少年とも、きっと仲良くなれそうな気がした。


「後はよろしくね」と少女は笑顔で去った。残された少年は肌触りの良い布で私を磨き、一旦手を止め、習った技術を我が物としたいのか、再び駒を私の上で弾き始めた。


 優秀な指導者が帰ってしまい、彼の指は何処か覚束無い。時折私の隅へ駒がぶつかり、明後日の方向へ飛んで行った。


 この分だと、上達はまだまだ先だな――私は溜息を吐く。けれど、今までで一番、私は幸せだった。


 明日から待望の「私の使い方」を学べる事も勿論だが……何よりも、私で長く遊んでくれそうな人物が現れたからだ。


 少年達の会話を聴いていると、どうにも後輩達で遊ぶ者は須く、熟達している者ばかりらしい。少女曰く、「この土地で暮らす者達」は腕に自信がある者ばかりで、「別の土地で暮らしていた」少年は太刀打ち出来ないのだという。


 少女の話によって、私は私自身の背景を朧気ながら知る事が出来た。


 私、いわゆるカロム盤は、遠い遠い異国で誰かが考案したもので、様々な土地を渡り歩き、最終的に――大きな湖の畔で暮らす人間達に受け入れられた、らしい。私によく似た遊びも異国にはあるらしく(彼らは親族、になるのだろうか)、人間とは実に遊びたがりな生物であると思い知った。


 駒を弾き、四隅の穴に落とす行為を通じて――私は人間と交流を深める事が可能なのだ。決して意思は疎通しない。ただし、楽しい時間は共有出来た。


 不器用な少年と、教え上手な少女。


 二人の人間がいてくれたから、停滞していた「時間」が動き出した。私は再び……時間の流れに乗れたのだ。


 やがて少年は駒を片付け、もう一度私を拭いてから去って行った。この部屋に入って来た時と出て行く時で、表情は全く違っていた。私は彼の背中に語り掛けた。


 少年よ。君にはその顔が似合っている。何たって、人間は楽しい事が好きな生物なのだろう?

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