最終第777話 銀の華は今日もまた

 日々は流れ、一年が経とうとしていた。

 何事もなく過ぎるということはなく、盗賊の出現や銀の花畑への不審者侵入、更に珍しい種を奪い取ろうと組織で動く者たちがいたりと忙しい毎日を送っている。それでも狩人やサーカス団のような、世界を揺るがすような企みや出来事はまだない。

「……それでも、いつ何があるかわからない」

 むしろ、強力な組織として名を知られるようになったことで面倒事は増えた。何度世界の危機が起ころうと立ち向かう覚悟はあるが、毎回予想を上回る危機にさらされている気がしている。きっと、これからもそれは変わらないのだろう。

 リンは、各地から送られて来る報告書を読みながら独り言た。穏やかな春の陽気の中、執務室で書類を読むのは何となく嫌だった。

 そんな気持ちで中庭に出て、自然光の中で書類を読んでいる。読むのは良いのだが、いかんせん眠くなるのだから困ったものだ。

「……少し寝るか」

 丁度今の時間、リドアスは静かだ。年少組は学校に行っていて、ジェイスや克臣たちも外に出ている。一香とジスター、シンは何処かにいるはずだが、騒がしいメンバーではない。

(晶穂も、確か買い出しに行くと行っていたからな。少しだけ……)

 書類の束を横に置き、上に重しとなる本を一冊置く。幸いベンチの背もたれは高く、リンの座高ならば頭が反ることはない。

「くぁ……」

 欠伸を噛み殺し、リンは目を閉じた。優しい風と陽射しが眠気を誘い、数分後には安らかな寝息をたてていた。


 リンが眠ってから数分後、買い出しに行っていた晶穂が帰宅する。冷蔵庫や棚に買ってきたものを入れて、リンを捜す。

「ちょっと相談したいことがあるんだけど……なぁ……?」

 リンの部屋や執務室、食堂等を捜すが見付からない。途中出会ったジスターも知らないということで、リドアスの中をうろうろと歩き回る。

「あ……いた」

 廊下を歩いていた晶穂は、中庭にリンの背中を見付ける。暖かい気候で、気分転換をしているのかもしれない。そう思って、晶穂は音をたてないようにそっと近付く。

(寝てる? 珍しい)

 目の前で手を振ったが、気付く気配はない。晶穂はリンを起こさないよう、そっと彼の隣に腰掛ける。そして風を感じつつ、いつしか晶穂自身も春の陽気の中で目を閉じる。

 静かな中庭を囲む建物の中は、夕刻にもなれば賑やかさを増していく。

「ただいまーって、兄さんは?」

「お帰り、ユキ。あそこで寝てるぞ」

「ほんとだ」

 克臣の指差す方を眺めたユキは、ふふっと笑って「なになに?」と身を乗り出すユーギに教えてやる。

「ほら」

「団長、起きないの?」

 首を傾げたユーギだが、自ら中庭に突撃する気はない。そのことは、ユキも克臣もよくわかっていた。

「飯までは寝かせてやれ。昨日まで、北の大陸で山賊討伐してたんだからな。クロザたちと協力したとはいえ、徹夜もしたんだ」

 克臣が手に持った報告書をひらひりと振り、ユキとユーギも頷いて駆けて行く。

「ただいま」

「お帰り、唯文兄」

「春直、ジスターさん居るか?」

「裏庭にいたよ。種の守りを強化するって言ってたから」

「そっか。水の力は種には不可欠だからな。……夕食の後、少しだけ鍛錬に付き合ってくれないかな」

「ぼくもやりたい。頼んでみよう」

 唯文の希望に春直が乗っかり、二人して裏庭へと向かう。その途中でリンたちに気付き、足音を忍ばせた。

 しばらくして、また別の足音が聞こえて来る。結界を張り直したジスターと、彼と偶然出会ったジェイスだ。

「お疲れ様、ジスター。調子はどうだい?」

「ありがとうございます。何とか、形にすることは出来るようになってきました」

「一香は、恋人だからという理由で手を緩めることはないだろうからね」

 ジスターと一香は、数か月前から恋人としてお付き合いをしている。ジスターはほぼ一目惚れだったが、一香も彼と過ごすうちに惹かれていたという。先に告白したのはジスターの方だった。

「オレも、真剣ですから。水の力が何かを守ることに向いているのなら、力になりたいと言ったのはこちらですし」

「そうだ。さっき、唯文と春直がきみを捜していたよ。手合わせしたいって」

「なら、飯の後ですね」

 彼らも廊下の窓から中庭を見たが、目を細めて歩き去った。

 それから再び静かになり、風が少しずつ冷たくなっていく。ぶるっと身を震わせ、リンは瞼を上げた。

「ん……っ。完璧に寝てたな……って」

 重さを感じ、視界の端に映ったグレーの髪に「まさか」と隣を見やる。するといつの間に来たのか、晶穂がリンの肩に寄りかかって眠っていた。

(……愛しいな)

 さらりと顔にかかっていた髪を指で流してやると、無垢な寝顔が覗く。リンはしばらくそのまま見ていたかったが、風邪をひく可能性を考えて起こすことにした。

「晶穂、起きろ。そろそろ中に入るぞ」

「うん? ……あ、リン。ごめんね、重かったよね」

 目元をこすり、晶穂がゆっくりと覚醒する。そして、自分がリンに寄り掛かっていたことに気付いてさっと離れようとした。

 リンは咄嗟に晶穂の腕を取り、肩を抱いて自分の腕の中に引き寄せる。晶穂がびくりと肩を震わせるのを感じたが、離す気はない。

「嫌だなんて思わないから、もっと近くにいてくれ」

「うっ。……リン、あの……け、結婚してから何か……」

 左手の薬指には、お互いにシルバーのリングが嵌められている。リンと晶穂は、去年の七月二十五日に入籍を果たした。ようやくかと散々仲間たちに言われつつも、新婚夫婦として試行錯誤の日々だ。

 顔を真っ赤にして俯く晶穂の左手に自分の左手を重ね、リンは「別に変わったつもりはないぞ」と苦笑した。

「ぶっちゃけ、晶穂に触れるのもまだ緊張する。……す、きだって言うのも照れるからなかなか言えないのは、申し訳ないとは思っているんだ」

「それは、わたしも。……リンのこと、世界で一番大好きだよ」

「……ありがとう。俺もだ」

 指を絡め、寄り添う。暖かくて、くすぐったい。

 もう少ししたら、きっと誰かが夕食だと呼びに来る。晶穂はその前にと話を切り出した。

「銀の華のみんなは、命の恩人でもあるから。だから、結婚式こそはわたしたちがみんなを喜ばせたいよ。みんなみたいには豪華にはならないかもしれないけど」

「俺も賛成。式は俺たちが計画するってジェイスさんたちには宣言したし、今度こそはサプライズをし返したいよな」

 これまで何度も、仲間たちのサプライズに驚かされてきた二人だ。自分たちの結婚式で、仲間に感謝を伝えるつもりでいる。

「……そのことは、夕食後にでも部屋で話そう。そろそろ」

 何かの気配を察したリンが、くるりと中庭の出口へと目を向ける。晶穂もつられれば、ジェイスがユキを伴って扉を開けて二人を眺めていた。

「リン、晶穂。そろそろ夕食だか……お邪魔だったかな?」

「兄さんたち、いちゃつくのは後にしてよね。一緒にご飯食べよう」

「邪魔なんかじゃないですよ。すぐに行きます」

「うん。あ、わたしもお手伝いしないと」

 ジェイスとユキに続いて行こうとした晶穂の手首に、熱を持った何かが触れた。その正体を知ろうと振り返った直後、彼女の唇にやわらかいものが触れる。

「――っ!?」

「――愛してる、晶穂。続きは、また後でな」

 晶穂が自分の唇に触れたものがリンの唇だったと気付いた時、リンは既にユキたちと共にリドアスの中へと入っている。カッと頬をほてらせた晶穂は激しく拍動する心臓をなだめすかしつつ、リンたちを追って扉を閉めた。

 誰もいなくなった中庭では、青々とした葉を茂らせた大木が枝を風に揺らしている。建物の中からは賑やかな声が絶えず聞こえ、風を震わせた。




 ――これは、扉を通じて結びついた者たちの戦いと愛情、宿命の物語。


 了

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