第776話 鵲の橋

 西の空が藍色に染まり始めた頃、リドアスにレオラがやって来た。町に出掛けていた天也たちも既に戻ってきており、全員が揃っていることを見越していたように。

「そろそろ扉を閉じるぞ」

「……玄関から入って来いよ」

「神だからな」

 リンの冷静な突っ込みをスルーし、レオラは天也と美里を見た。

「お前たち、今回の騒ぎでは迷惑をかけた。天也はこやつらを助け、美里は日本に迷い込んだ幼子らを助けてくれたそうだな。……恩に着る」

「まさか、神に頭を下げられる日が来ようとは」

「おれは、自ら首を突っ込んだだけです。……お礼を言いたいくらいですよ」

 美里は肩を竦め、天也は微笑んで見せた。

 更に美里は、ぼそりと呟く。その声は、本人は認めないが柔らかいものだった。

「……あの子たちにも今日会えた。笑顔を見せてくれたから、それで良い」

「三人共、美里に会えて嬉しそうだった。彼女たちのお母さまたちにも感謝されていたよね」

「別に、感謝されたくてしたわけじゃない。けど、気持ちはたくさん伝わって来た」

 晶穂に補足され、美里は頬を染めて目を逸らす。しかしその表情は隠し切れない喜びを含んでいて、レオラを安堵させるには充分だった。

「天也はどうだ? 一日過ごしてみて」

「俺は……凄く楽しかった。明日が来て欲しくないと思うくらいには」

 振り返れば、種族も住む世界も違う友人たち、仲間たちがいる。彼らと一緒ならば、きっと何でもできてしまうと思えるのだ。

「だけど、帰らないといけないんでしょう? 俺は地球の住人だし、美里さんは向こうに住むことを選んだ」

「その通りだ。その代わり、来年また扉は開く。お前たちが忘れても、毎年必ず。それがこの世界の約束事であり、運命の一つとなった」

 扉は一年に一度開き、再び閉じる。それは神の約束だ。

「……なんだか、七夕伝説みたいだね。鵲の橋が年に一度、七月七日に架かって、織姫と彦星が出会う」

「俺たちの場合は、世界と世界の邂逅だ。その事実を知るのは、きっと極わずかな人たちだけになるのだろうけどな」

 いつしか忘れ去られる約束になるだろう。それでもいつか、リンと晶穂たちのように運命がいたずらを施すこともあるかもしれない。

「また会おうな、天也」

「ああ。また来年」

 レオラを伴い、リンたちはリドアスの裏口へとやって来た。その扉は今、地球の日本に繋がっている。

 扉も前に立ち、天也と唯文たち年少組は握手を交わす。来年、また成長した姿でお互いに会えるように願いを込めて。

「……あ、義父さん」

 開いた扉の向こう側を見て、美里が苦笑する。扉の向こうには、喫茶店のマスターの格好をしたソイルが立っているのだ。彼もこちらに気付き、穏やかな顔で手を振ってくれる。

「あたしも帰らないと。義父さんが待っててくれているから」

「美里、来年もまた会える?」

 自分の前に進み出た晶穂を眺め、美里は軽く息をつく。

「……あんた、あたしが憎くないわけ?」

「憎いと思ったことはないよ。わたしは、例え美里が狩人でも、ずっと友だちだと思っていたから。……ううん、違うかも。またって思っていたんだ」

「そう」

 呆れた。そうかすれた声で囁くように言った美里は、くるりと扉の方へ体を向ける。そして扉の縁に手をかけると、首だけ晶穂を振り返った。

「……嬉しかった。あんたにまた友だちだって言われて」

「美里!」

「仕方がないから、来年も来てあげる。その時は、あんたの立場も変わっているかもしれないけれどね」

「何言って……!」

「あたし、何も明言していないけど?」

「――っ!」

 意味深な美里の言葉に、晶穂は顔を赤くして唇を引き結んだ。

 そんな晶穂の表情を見て、美里は目元を和ませる。そして「じゃあね」と軽く手を振ると、颯爽と日本へと戻って行った。

「……美里って」

「実は結構いたずら好きなのかもね」

 どんまい。サラにそう言われて肩を叩かれ、晶穂は微苦笑を浮かべた。

 そんなやり取りを見ていた天也も、くるりと仲間たちの方を向いて笑顔を作る。

「今日一日、凄く楽しかった。また来年、きっと来るから。その時また、俺と一緒に過ごして欲しい……です」

「勿論だ、天也。ずっと……ずっとおれたちは友だちだからな」

「ぼくらも待ってるよ。また会おうね、天也」

「さんきゅ。そうだ、リン団長」

「何だ?」

 自分に話を振られると思っていなかったリンは、瞬きして首を傾げる。すると天也は真っ直ぐにリンを見上げ、お願いを口にした。

「俺、何か武術を学ぼうと思っているんです。今回、願うことしか出来なかったから。勿論、願いは力になるってことも知ったけれど、俺は誰かを自分の手で守りたいんです」

「……そうか。きっと、天也なら強くなる」

「ありがとうございます。だから来年、俺と手合わせして欲しいです。……団長だけじゃなくて、ジェイスさんにも、克臣さんにも、みんなに相手をして欲しいです」

「――だってさ」

 克臣がちらりとジェイスを見ると、ジェイスは「良いんじゃないか」と微笑んだ。

「何できてくれても良い。真剣に相手をするよ」

「俺も。真っ直ぐかかって来い! な、ジスターもだろ?」

「オレもですか!?」

 突然話を振られたジスターは目を丸くしたが、頬を掻いて「オレでも良いなら」とぼそりと呟いた。

「――ってことだから、いつでもかかって来いよ。天也」

「ふふ。ありがとうございます。俺、唯文に負けないくらいになりますから!」

「言ったな? おれだって負けないから」

「あ、ずるい! ぼくだってすぐ追い越すから」

「兄さんを最初に追い越すのはぼくだよ」

「みんな……ま、負けないよ!」

 天也に負けじと、唯文も身を乗り出す。それに便乗し、年少組が自分も自分もと手を挙げた。

「こうなると、俺たちも負けてられねぇな? リン、ジェイス、ジスター」

「簡単に追い越させません。俺はまだ、ジェイスさんにも克臣さんにも勝っていませんから」

「わたしも更に先へと行かないとね」

「オレも、もっと強くなる」

 やる気をみなぎらせる男性陣を「熱いねー」と眺めていたが、ふと空を見て大きな目を瞬かせた。

「そろそろ、時間じゃない?」

「本当だね。天也、忘れ物はない?」

「ないです、晶穂さん。――みんな、またね!」

 完全に夜を迎えてしまうと、扉は閉じてしまう。そのタイムリミットギリギリで、天也は扉をくぐり抜けた。

 天也が向こう側に両足を置いた瞬間、二つの世界は再び道を閉ざす。同時に仕事を終えたレオラの姿も消え、静寂が訪れた。

「……さ、帰ろうか」

「はい」

 ジェイスの声に頷き、リンは裏口の扉の取手を回す。開いた向こう側は、いつものリドアスの廊下があるだけだった。

「また来年、だな」

「はい。ちょっと寂しいですけど」

 眉を寄せ、唯文が笑う。そんな彼に、年少組の面々が寄り添った。

「来年までに、やることはたくさんだよ」

「唯文兄のこと、すぐ追い越しちゃうから」

「……負けてたまるか」

「その意気だよ」

 早速廊下を駆け出した四人を見送り、リンは自分の手のひらを見つめてからそれを握り締めた。年少組に続き、ジェイスたちもリドアスの中に戻って行く。彼らに続かず、その場で立ち止まっていた。

 何か思いつめたような表情のリンを案じ、晶穂は彼の前に立って顔を覗き込む。

「リン?」

「晶穂。……今夜、俺の部屋に来てくれないか?」

「わ、わかった」

「ありがとう」

「――っ」

 ふっと微笑んだリンの表情があまりにも柔らかく、晶穂は頷くのが精一杯になる。その夜自分が何を聞かされるのか、考える余裕などなかった。


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