第770話 あちらとこちら

 午前十時三十分前。

 天也は一人、ソイルと美里の喫茶店の裏手に来ていた。路地となっているそこは、付近の住人くらいしか通らない道だ。更に朝となれば、人通りはないに等しい。

(約束の時間まで、あと三十分くらいか)

 昨晩の夢の中で、レオラが扉の開く時間と場所を教えてくれた。普段あまり見た夢を覚えていない天也だが、こればかりははっきりと覚えている。


 寝ていた時、突然ゆすり起こされた。目覚めるとそこは自分の部屋ではなく、何処かわからない真っ白な場所。そして目の前に、レオラが仁王立ちしていたのだ。

「レオラ……どうしてこんなところに!?」

「神だからな」

 至極当然のことのようにさらりと言い放つと、レオラはさっさと話を進めた。

「明日の午前十時、ソイルと美里の喫茶店の裏口を扉として開く」

「わ、わかりました」

「帰りはまた伝えよう。……あいつらも楽しみにしているようだから、一日過ごしてくれば良い」

「ありがとうございます」

「ああ」

 言いたいことだけ言うと、レオラはその場からすぐに姿を消した。そして天也自身も、間もなく再び眠りの中へと誘われたのだった。


 そして現在、扉が開くまで後二十分程。天也は早く来すぎたなと思いつつ、近くに放置されていた木箱を椅子代わりにしていた。

「あともう少し」

 腕時計を確認する頻度が増えても、時間が早く進むわけではない。わかってはいても、そわそわしてしまう。

「……何してるの、天也」

「あ、美里さん!」

 バッと顔を上げた天也の目に写ったのは、呆れ顔の美里だった。

「美里さん、来てくれたんですね」

「……店の裏で、一人にしておくわけにいかないだろ。治安が良いとはいえ、何処で何があるかなんてわからない」

「優しいですね、やっぱり」

「……。一般論だ」

 ふんっと顔を背けた美里だが、その場から動こうとしない。もしかして、と天也は思ったが、それを口にすると今後こそ彼女はいなくなってしまう気がした。

(晶穂さんに会って欲しいから、黙っておこう)

 それからしばらく、お互いに黙っていた。

「……」

「……」

「……何も言わないのか?」

「何がです?」

 きょとんと首を傾げる天也に、美里はため息をつく。ぼそりと「やっぱり、いい」と空を仰いだ。

 天也はあえて追及せず、喫茶店の裏口を見つめていた。そして、突然の変化に息を呑む。

「え……光った!」

「扉が、繋がる」

 二人の目の前で輝きを放った扉はひとりでに鍵が開き、ギギッと音をたてて開いていく。その先は白い光に包まれ、天也と美里は思わず目を閉じた。




 天也たちが、扉が現れるのを待っていた頃。リンたちも、ソディール側で同様に待ち構えていた。

 ソディール側で扉となるのは、リドアスのとある裏口だ。皆が集まる食堂が近く、天也を迎え入れるのにも、そして部外者が入り込み迷子を出すという不測の事態も避けられる。

「……にしたって、何で唯文たちじゃなくて俺たちなんだ?」

「なんだか、みんな忙しいからって言ってたけど」

 現在、扉の前にいるのはリンと晶穂の二人だけだ。他のメンバーは、天也を迎える準備だとかでこの場を離れている。

(手伝おうと言ったのに、お前はここにいろって克臣さんに言われてしまうし……。一体何なんだ?)

 首を傾げつつも、この場を離れるわけにもいかない。リンは腕時計を見て、後五分だと呟いた。

 その声が聞こえたのか、隣で椅子に腰かけていた晶穂がリンの方を向く。二人は壁際に並べられた椅子に座り、扉が開くのを待っていたのだ。

「でも、びっくりした。……あそこで報告するとは思ってなかったから」

「事前に相談もせずに、ごめん。ただ、あの場で言わないといけないような空気だったことは言い訳させて欲しい」

「うん、わかってるよ。むしろ、良いきっかけを貰ったと思ってる。……おめでとうってみんな言ってくれたしね」

「『ようやくか』って克臣さんには肩を竦められたけどな。でも、ちょっとほっとしたのも正直なところだ」

 リンは微苦笑を浮かべ、自分が晶穂にプロポーズしたことを話した時の仲間たちの様子を思い出していた。

 ジェイスと克臣は、「ようやくか」という安堵とも呆れともつかない言葉と共に祝福してくれた。ユキやジスターたちも「おめでとうっ」と目を輝かせてくれ,一気に騒がしくなったものだ。

「……式はどうするんだって言われたけど、晶穂はどういうのがやりたいとかあるのか?」

「ドレスを着て、みんなが楽しんでくれる式になったら良いな。……リンの隣で」

「そっか」

 誰も見ていないという安心感から、リンと晶穂はほぼ同時に隣に手を伸ばす。ちょこんと指先が触れ合い、お互いが何をしようとしていたのかを知るのだ。

「――ふふっ」

「ふっ……。手、貸してくれ。今だけ」

「うん」

 手を取り合い、恋人繋ぎにする。照れくさいが扉が開くまで、誰かが来るまでと言い合った。

 そして、その時は唐突に訪れる。突然目の前の扉が輝き始め、リンと晶穂は思わず腰を浮かせて裏口を凝視した。

「あれは……」

「天也くんに……美里!」

「こんにちは。リン団長、晶穂さん」

「……久し振り、かな」

 驚きの声を上げるリンと晶穂に、天也が嬉しそうに手を振り、美里は顔をしかめて扉をくぐって来た。四人の声を聞き付け、リドアスの四方八方からも足音が聞こえて来る。

「みんな何を?」

「天也たちを迎える準備だと聞いているんだ。みんな来ると思うから、少し待っていてくれるか?」

「わかりました」

 きっと、自分たちを迎える準備だけではない。リンと晶穂が手を繋いでいるのを見ながら、天也は何かを察して微笑んでいた。

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