第768話 何も知らない二人の時間

 いよいよ明日、ソディールと日本を繋ぐ扉が開く。リンは一人、書類整理のために倉庫にいた。

「これは……まだ要るな。こっちはもう捨てても良いか」

「こんな時間まで仕事?」

「晶穂」

 顔を上げると、スイッチを消したランプを持った晶穂が立っていた。いつの間にやら、日が落ちていたらしい。部屋の照明は付けているため、リンは気付かなかった。

「夜になったのに気付かなかった」

「ジェイスさんたちに聞いたら、まだ戻って来ないって呆れてたよ? 明日もあるから、もう切り上げたら良いって伝えてくれって」

「そっか。ありがとな」

 確かに、早く終わらせなければならない仕事ではない。リンはそう結論付け、整理し廃棄することにした書類の山を移動させる。晶穂も手伝いを申し出てくれたため、倉庫で散乱した書類を整えて欲しいと依頼した。ファイリングはしたままのため、書棚に戻さなければならない。

「俺はこれを片付けてくる。終わったら戻ってくるから」

「わかった」

 二人は手分けして片付け、再び倉庫で集まった。リンが倉庫に入ると、晶穂は最後のファイルを書棚に仕舞うところだった。振り返り、リンを見て微笑む。

「お帰りなさい」

「ただいま。晶穂、助かったよ。ありがとう」

「どういたしまして。さ、リンの分のご飯ちゃんとあるよ。行こう」

「ああ」

 開けていた窓を閉じ、倉庫に鍵をかける。それから食堂へ行くと、リンを追い越した晶穂がキッチンへと入って行く。

「ユキたち、明日のこと凄く楽しみにしてたよ。眠れないって言ってたけど、克臣さんたちに諭されてた」

「前のはアクシデントだったからな」

 まさか、あんな形で天也に再会するとは思わなかった。新たな騒動と共に。リンが苦笑気味に言うと、夕食を持ってきた晶穂も頷く。

「玲遠たちがどうしたかも気になるけど……。まずは、天也が元気なら良いかな」

「美里も来てくれると良いけどな。会いたいって言ってただろ?」

「そうだけど……。来ないかな、多分」

 肩を竦め、晶穂は窓の外を見る。既に月が昇っており、星も綺麗に見えている。明日もきっと晴れるだろう。

「月が綺麗、だね……」

 何となく呟いたその言葉が別の意味を持つことを、晶穂はこの時忘れていた。

「……」

 リンは同じ月を見上げると、わずかに視線を彷徨わせる。それから意を決し、彼女の隣に立って呟いた。

「……月は、ずっと前から綺麗だったよ」

「そうだよね。そう……ん? え!?」

「……頂きます」

 パンッと手を合わせ、リンは箸を取って食べ始める。今晩は親子丼と味噌汁等のメニューだったため、夜遅くに食べるリンのために少し量を減らして置いておいたのだ。

 その親子丼と味噌汁を黙々と食べるリンを見つめ、晶穂は先程の言葉の真意を尋ねることが出来ないでいた。

 ようやく思考が動き始めたのは、リンがほとんど皿を空にする頃。自分がリンの隣に立ちっぱなしだったことなど、一切気にならない。

(『月はずっと綺麗だった』って……本当に?)

 その意味は。晶穂は日本での知識を思い出し、赤面した。

「わ、わたしっもう一回キッチンに……」

「晶穂」

「――っ」

 腕を掴まれて、晶穂は動きを止める。「こっち向いて」とリンに頼まれるが、今この顔を見られるわけにはいかない。きっと真っ赤で、どう表現したら良いかわからない顔をしているから。

「だ……だめ、離して」

「嫌だ。……俺だって、答えるのは凄く照れくさいんだ。こんなセリフ、お前相手じゃなきゃ言わない」

「待って。……顔が熱くて、見せられな――っ」

 晶穂の言葉が止まる。ぐいっとリンに手を引かれて背中に腕を回され、今自分が何処にいるのかを自覚せざるを得ない。突然抱きすくめられ、心臓が暴れる。

「り、リン……」

「俺は、ずっと晶穂のことが好きだ。多分、この世界に連れて来た頃から。……だから、ああ言った」

「あ、改めて言われると……は、恥ずかしいよ」

 上から降って来るのは、リンの晶穂への想い。晶穂はその真っ直ぐな言葉に悶え、嬉しくて顔がにやけ、同時に泣きそうになる。

 しかし、リンは晶穂を解放してはくれない。強く抱き締め、真っ赤になった晶穂の耳付近の髪を梳く。リンの指先が耳たぶに触れ、晶穂は思わず声を上げた。

「ふぇっ」

「ふっ。何だよ、その悲鳴」

「だ、だって……。わたしも、リンのこと大好きだよ。……あ、愛してるか」

「――ストップ」

「むぐっ」

 口を手で塞ぐ代わりに、リンは晶穂の体を自分に押し付ける。すると、晶穂の顔はリンの胸に埋まってしまった。

「――っ」

「……それ以上言われたら、手加減出来なくなる。もう少しだけ、待ってて」

「ん……」

 こくっと頷く。晶穂のそれにリンは胸を撫で下ろし、ようやく彼女を解放した。

「この前言ったけど……あれ、本気だから」

「うん」

「……みんなにも、ちゃんと伝えないとな。明日、必ず」

「うん」

 何を、とは聞かない。晶穂はリンにしがみついたまま、自分の背中に回された手を感じつつ目を閉じた。

(もう少しだけ、甘えさせて)

 リンと晶穂が人知れずいちゃついていた頃、他のメンバーたちはそれぞれの準備に余念がない。リンと晶穂は眠くなり、ようやくそれぞれの自室に引き上げることにした。

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