第767話 素直になれない

 一方、五月の初めから初夏のような暑さに襲われた日本。五月初旬のある日、天也は放課後にいつもの店へ向かった。取手を押して入ると、チリンチリンと鈴が鳴る。そのレトロな響きが、天也は好きだ。

「こんにちは」

「いらっしゃい、天也」

 カウンターの奥から顔を出したソイルが、席に着いた天也に笑いかける。

 店には丁度客が誰もおらず、静かなものだ。天也は珍しくカウンターの席を選び、ソイルと顔を合わせた。

「いつもので良いかい?」

「はい、お願いします」

「少し待っていてくれ」

 そう言い置くと、ソイルは早速カフェオレを入れ始めた。お湯が湧き、ひかれた豆と合わさると、香ばしくもいい香りが漂う。

「美里さんはいないんですか?」

「もうそろそろ戻って来ると思う。今、買い出しを頼んでいるんだ」

 出掛けたのは一時間ほど前だと言う。天也は出してもらったカフェオレを飲みながら、のんびりと彼女の帰りを待つことにした。

「美里に何か用事だったのか?」

「用事というか。この前のお礼、伝えるタイミングがなかったので」

 天也の言う「この前」は、数週間前に遡る。

 玲遠という青年の企みに乗せられ、まだ開くべきではなかった扉を通って向こうの世界に行ってしまった天也。彼がこちら側に戻るために協力したのが美里だった。

 美里にはその時礼を伝えようとしたが、借りを返しただけだからと取り合ってもらえなかったのだ。

 一部始終を知っているソイルに愚痴る天也。眉をひそめる彼に、ソイルは洗った食器を拭きながら微笑む。

「あのは素直ではないからな。銀の華に協力したこと、内心では喜んでいるはずだ」

「……俺にももう少し心を開いてくれたら良いんすけどね」

 カフェオレを飲みながら、天也の口から本音が漏れる。

 ソイルはそれを聞かないふりをしていたが、カランカランという鈴の音を聞いて顔を上げた。

「お帰り、美里。お使いご苦労様」

「ただいま帰りました、ソイルさん。……何だ、来ていたのか」

「お帰り、美里さん。カフェオレ頂いてますけど?」

 お客ですよ。そう言って天也が主張してみれば、美里は「そうだな」と素っ気ない。そのままカウンターの内側に入り、美里はエコバックをソイルに手渡す。そして手を洗い、エプロンを身に着けた。

 その流れを見つめていた天也に、美里は若干引き気味の顔で「何だ」と問う。

「別に何もないですよ? ただ、流石だなあって思っていただけです」

「……何か今日、不機嫌なのか?」

「まさか。俺の機嫌は良い方ですよ。もうすぐあいつらにも会えますしね」

「そうか。もうそんな時期なんだな」

 自分には関係ないとばかりに言う美里の前に移動し、天也は身を乗り出した。

「美里さん。俺と一緒に、あっちに遊びに行きませんか?」

「――何を」

「この前こっちに戻って来る前に、晶穂さんが言っていました。『また美里に会いたい』って。ああいう形で再会はしましたけど、晶穂さんは美里さんを『大事な友だち』だって言っていました」

「……でも、私は」

 真っ直ぐな天也の目から逃れようと、美里は目を逸らす。そんな美里を逃すまい、と天也はじっと真正面から彼女を見つめ続ける。

「でもでもだってでもないです。単純に、知り合いに会いに行くと思えば良いと思います。ただ故郷を見に行くっていうのでも良いんじゃないですか?」

「……今回はやけに突っかかって来るんだな」

「だって、もうすぐですから」

 美里と目が合い、天也はにやっと笑う。ようやく自分の方を見てくれた美里に、渡すタイミングを見計らっていたメモ用紙を押し付けた。

「これは?」

「向こうで、扉の開いている時間を聞いたんです。一日半くらいらしいですよ。……気が向いたら、会ってあげて下さい。次のチャンス、一年後ですから」

「……メモだけ貰っとく」

「はい」

 美里が穿いているパンツのポケットにメモ用紙を入れたのを目視し、天也は「よし」と内心で頷いた。あのメモは、美里に渡してくれるよう晶穂に頼まれたものだ。ようやく渡すことが出来、ほっとする。

「じゃあ、俺はそろそろ帰ります。美里さん、扉はこの喫茶店の裏で開くそうですから。覚えておいて下さいね」

「……知らない」

「じゃあ、またその時に!」

 めげない。天也は笑顔で手を振ると、数日後に控えた約束の日を楽しみに帰宅するのだった。


「言ってきたら良い、美里」

「何の話ですか?」

 営業時間を終え、後片付けをしていた美里は振り返る。そこにはテーブルを布巾で拭くソイルがいて、振り返った美里に穏やかに微笑みかけた。

「気になるんだろう、あちらの友だちのことが」

「友だちごっこをしていただけです」

「向こうはそうは思っていなかったようだ。それに、お前もずっと気にしていたじゃないか。何度か、夜中に一人で彼女のことを考えて起きていたのを知っているぞ?」

「……いつの間に。気付かなかった」

 美里は当時を思い出し、眉間にしわを寄せた。

 確かに一時期、レオラが自分の晶穂に関する記憶を消さなかったことに恨み言を言ったこともあった。しかし今は、消されなかったからこそ借りを返すことが出来たと思っている。

(……一度くらい、もう一度)

 扉が再び開くまで、あと数日。

 美里の表情が変わったことに気付き、ソイルは静かに見守っていた。

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