第765話 贈り物
「渡したいもの……?」
ケーキドーナツを食べ切り、カフェオレを飲み終わっていた晶穂はきょとんと目を丸くした。何かの日だったかなと思考を巡らせるが、何も思い付かない。
(リンの誕生日は、扉がまだ開いていないから先だし……。わたしの誕生日でも勿論ない。一体何だろう?)
晶穂が全く見当もつかず戸惑っているのが手に取るようにわかり、リンはふっと小さく吹き出した。
「ははっ。大丈夫だよ、晶穂。今までは何の日でもなかったから」
「う、うん。でも、だったらなおさら何が何だか……」
「これ」
そう言って、リンは持っていたショルダーバッグの中から小さな箱を取り出した。それを晶穂の手のひらに乗せる。
「やる」
晶穂の手のひらに乗せられたのは、青空の色をした小さな箱。それに純白のリボンがかけられていて、少し非日常の空気を醸し出す。
「これ……」
何となく、気付いてしまった。しかしそれが思い上がりかもしれない、と心がブレーキをかける。
渡してくれたリンを見れば、彼は小さく頷く。開けても良いのだと解釈し、晶穂は震える指でリボンを解いた。
「えっ」
それきり、言葉を失う。晶穂の目は、箱の中に入っていた小さな銀色のリングに釘付けになる。シンプルなデザインのそれに触れることさえ躊躇われ、晶穂は視線を彷徨わせた後にリンを見上げた。
「あの、これ……」
「晶穂」
「は、はい」
いつになく真剣なリンの目に、晶穂は動けなくなる。綺麗な深紅の瞳に自分が映り込み、思い切り目を見開いているのがわかった。
「り……」
「俺と結婚して下さい。今までみたいにたくさん不安にさせるかもしれない、心配させるかもしれない。それでも、俺は晶穂に対しては少し我儘らしい。晶穂がいない人生なんて、考えられない。俺の……俺の一番近くにいてくれませんか?」
「――っ!」
晶穂の手を大きな手が包み込み、真っ直ぐな瞳が晶穂を射抜く。赤面したリンにつられ、彼の言葉の意味を理解し、晶穂の心臓は壊れそうな程に高鳴った。
言葉を出したくても、先に感情が溢れ出す。
「うっ……うぁ……」
「えっ! ど、どうしたんだよ。突然泣き出して。何か、何か俺まずかったか?」
「そうじゃ……っ、なくて!」
ボロボロと大粒の涙を流し、晶穂は首を横に振る。手で懸命に拭うが、全く追いつかない。
「泣きたいんじゃ、ないの。嬉し、くてっ」
「晶穂……」
「笑って、笑ってありがとうって、言いたいだけなのに……! 止まんない」
晶穂はリングの入った箱を胸に抱くように持ち、嗚咽を堪えて笑おうと試みる。しかしどうにも歪んでしまい、うまくいかない。
「リン、わたし」
「うん」
「凄く、嬉しくて」
「うん」
「……っ。ずっと、ほんとは夢だったの。……うっ……リンの、お嫁さんになること」
「……うん」
「……ありがと、リン。わたしのこと、見付けてくれて。好きだって、言ってくれて」
「……」
「わたしも、だいすき、だよ。リンの……っ!?」
びっくりして、晶穂は固まった。同時に涙も止まり、リンは「止まったな」と微笑む。
「――俺の方が、たくさんの気持ちを貰ってるよ」
「え、り、リン。今、キ……」
「もう一回するか? 今度は目元じゃなくて、こっちに」
小さく笑って、リンが晶穂の顎に手を伸ばす。くいっと上げて、親指で唇の傍をなぞった。
思いがけないリンの行動に、晶穂の顔が真っ赤に染まり、目が泳ぐ。
「ふ、普段絶対しないのに!」
「他人がいる前でこんなこと出来るかよ……。ちょっとだけ、かっこつけたかったんだ。恥ずかしくないわけじゃない」
そう言ったリンも、耳まで真っ赤にしている。
僅かな時間、気まずい空気が流れた。しかし先に気を取り直したリンが、晶穂の手から小箱を受け取る。
「左手、出して」
「……はい」
おずおずと差し出した晶穂の左手を取り、リンはシルバーリングを彼女の左の薬指に嵌めた。小さくも大きくもない、丁度良いサイズで晶穂は目を丸くする。
「これっ」
「ぴったりだな、よかった」
「うん、ぴったり。いつ測ったの……?」
「……内緒」
ふいっと目を逸らし、答えを濁すリン。
実はサラに頼んで教えてもらったのだ。以前、晶穂と二人でアクセサリーを買いに行った時に知ったという。よく覚えているなと感心したが、サラには「団長、彼女の指輪のサイズは覚えておいてくださいね」と注意されてしまった。
口を割る様子のないリンから聞き出すことを諦め、晶穂は眉をひそめる。
「えぇ……誰か教えたのかな」
「探すのは後にしてくれ。じゃないと……ここでキスするからな?」
「うっ……いじわる」
「晶穂が煽るのが悪い」
リンはそう言って微笑み、鞄を探ってもう一つ同じ小箱を取り出した。
「それは?」
「中身は、サイズ違いで同じものなんだ。……本番のは別に用意するけど、これは約束みたいなものだから」
付けて欲しい。小箱を開き、リンはそれを晶穂に手渡した。中で光るのは、晶穂のものよりも大きなシルバーリング。
「わかった。リン、左手貸して?」
「ん」
差し出された手を取り、晶穂はそっと左の薬指にリングを嵌める。自分のよりもごつごつとして大きなリンの手に触れ、晶穂は妙に意識してしまう。
(この手が、いつも守ってくれる。何か、緊張する……)
ドキドキという心臓の音を聞きながら、晶穂はリングがついたリンの手をそっと指でなぞった。
「……あの、晶穂?」
「へ? あ、ああ! ごめんなさいっ」
「いや、大丈夫。……理性で抑えてるから」
「理性?」
「何でもない」
リンは晶穂に嵌めてもらったシルバーリングを眺め、嬉しそうに目を細めた。紅茶を飲み干し、チーズケーキも食べてしまう。プロポーズという大仕事を終え、異常な緊張感がようやく和らいだ。
「そろそろ行こうか。このままここにいたら、人目を忘れそうだ」
「……部屋に戻ってからなら、いいよ?」
「本当に止められなくなるから。ほら、行くぞ」
リンが差し伸べた手に、晶穂の手が触れる。指を絡め、ここに来た時よりも甘い雰囲気を漂わせながら、二人は手を恋人繋ぎにして展望台を後にした。
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