第764話 青い花畑の中で

 チケットを買い、ゲートをくぐる。すると、目の前にはなだらかな丘陵地が広がった。そして、視界いっぱいを青い花が埋め尽くしている。

「凄い……!」

「綺麗、とっても綺麗」

 思っていた以上に大規模な花畑だ。見渡す限り、通路以外は花が咲き乱れているようにすら見える。遠くの山々が背景となり、まるで青空が地上にもあるようだ。

「向こうに売店もあるんだね。あ、展望台は向こうかな?」

「ゆっくり見ていこうぜ。幸い、あまり混んではいないようだ」

 リンの言う通り、花畑は広大だが観光客は少ない。ちらほらといるだけのため、まだまだ知名度は高くないのだろう。

 しかし、リンにとっては好都合だ。

 色々と考えることのあったリンは、少し考えに耽った。だから晶穂に腕を引かれた時、数秒気付くのが遅れた。

「……お?」

「ね、行こう。二人で写真も撮りたいなーって」

「写真は恥ずかしいんだけど……ああ、わかったわかった。晶穂と一緒なら、良いよ」

「そのつもり」

 わたしも一人は照れくさいよ。そう言うと、晶穂は朗らかに微笑んで歩き出す。それにつられるようにして、リンも花畑の間に通された通路を進んで行く。

 通路は決して広くなく、人が二人並んで歩ける程度だ。もしも前に人がいて追い抜いたりすれ違ったりする場合、複数ならば一列にならなければいけない。リンと晶穂も、途中で写生したり写真を撮ったりしている人々とすれ違い追い抜いて行く。

「何だか、のんびりだね」

「日々何だかんだと忙しないのが嘘みたいだよな」

 時折足を止め、花々を写真に収める。そして丘陵地の高い所に来て、二人は並んでベンチに腰掛けた。

 爽やかな風の中に、山のにおいが混じる。風を感じつつ伸びをした晶穂は、ふと隣を盗み見た。

(何か、元気ない……? わたし、引っ張り回してるかな)

 ぼんやりと花畑を眺めるリンの横顔は格好良い。それは、二人の前を通り過ぎる女性たちの反応を見ていてもわかる。小さな声でリンを褒める会話が聞こえて来るから。

 晶穂は「わたしの大切な人だから、あげません」と内心で呟く。声に出すのは気恥ずかしい。

 しかしただ格好良いだけではなく、リンから何となく違う空気を感じるのだ。思い悩むような、心ここにあらずというような。

(展望台からの景色を見たら、元気になるかな。喫茶もあるみたいだから、休憩して)

 折角の久し振りのまともなデートだ。片方だけが楽しいのではなく、一緒に楽しみたい。

 密かに深呼吸をして、晶穂はリンに話し掛けた。

「リンが行きたいって言ってた展望台、あそこだよね。喫茶店もあるみたいだし、景色見ながら休憩しない?」

「そうだな。ここからも綺麗だけど、見下ろしたらもっと綺麗だろう」

「うん」

 手に触れて、その熱さにドキリとする。晶穂がちらりと見上げると、顔を赤くしたリンと目が合った。

 ふいっと視線を逸らすリンだが、もう遅い。

「……慣れないね」

「見るな。今絶対変な顔してる」

「してないよ。わたしも……顔にやけてるもん」

 晶穂は空いた手のひらを頬にあて、熱を冷まそうとした。しかし手も熱く、効果はない。

「……」

「……」

「……行こう」

 リンが晶穂の手を引き、二人で展望台へ登った。


 階段を登り、視界が開ける。

「わぁ……」

 晶穂が先に展望台の手すりから身を乗り出し、リンを振り返る。その表情は、驚きと喜びをたたえていた。

「リン、こっちに来て! 青い絨毯だよ!」

「……本当だ。こんなに綺麗なんだな」

 感嘆を覚え、リンも手すりに腕を乗せた。

 展望台からは、花で青く染まった丘陵地を一望出来た。風に吹かれると波立つように花々が動くため、海の上のような錯覚に陥る。白い蝶が舞う姿も、青の中ではよく見えた。

「風も気持ちいいし、そこのベンチで休むのもありかもね」

 そう言った晶穂は、何かに気付いて階段の方へと歩いて行く。そちらにあったのは、階下の喫茶店の案内看板だ。

「あ、テイクアウトも出来るんだ。お花畑の方は飲食厳禁だったけど、展望台は大丈夫なんだね」

「そうらしいな。……晶穂はどっちがいい?」

「わたしは……リンとゆっくり出来たらそれで良いな。けど、この景色を堪能したいから、テイクアウトの気分!」

「丁度人もいないし、そうしようか」

 テンションの高い晶穂に同意し、リンは彼女と共に一旦喫茶店へ行って飲み物と何か食べるものをと買いに行くことにした。店内には穏やかな音楽が流れ、店内の席はほとんど埋まっている。

 二人はテイクアウト用で買い求め、再び展望台のベンチへ戻って来た。

「はぁ……あったかい」

 晶穂が選んだのは、温かなカフェオレとケーキドーナツ。リンは温かい紅茶とスティックタイプのチーズケーキを選び、青い花畑を眺めながら口にする。

「こんな景色の中でのんびり……晶穂と二人でいられる日が来るなんてな」

「リン……」

 温かな紅茶のカップを両手で包むように持ち、リンは穏やかに目を細める。戦ってばかりいた日々の中では、こんな風に花を眺める時間などなかった。

「勿論、これからも長い戦いが待っているかもしれない。だとしても、今は自警団の団長だっていうことは忘れたいな」

「どうしたの、リン。感傷的になってる……?」

 もしや、悩みがあるのだろうか。晶穂は案じてリンを間近からじっと見つめた。

「ど、どうかしたのか?」

「それはこっちの台詞だよ。今日、何か様子がいつもと違うから、気になってた。……もし、悩みとか不安とかがあるんだったら、聞くことしか出来ないかもしれないけど、わたしじゃ力不足かもしれないけど、聞かせて欲しいって思うよ」

「それは……」

 リンの目が泳ぐ。彼としては、心の準備が出来るまではと思っていた。しかし、自分の態度のせいで晶穂に気を遣わせるのは本意ではない。

「まいったな」

 頭を搔いて、苦笑いを浮かべる。そして、紅茶を一口飲んでから口を開いた。

「今日中にはちゃんと理由を言うから。それまで、待っていてくれないか?」

「……わかった。絶対だよ?」

「ああ」

 リンが首肯すると、晶穂は少々不服そうにだがドーナツを頬張った。そして、すぐにおいしそうに頬を緩ませる。

「ふわふわでおいしい。リンも食べてみて。絶対おいしいから」

「ん……。うん、甘すぎなくておいしいな」

「よかった、笑ってくれたね」

「――っ」

 リンは言葉に詰まり、紅茶を飲む。冷えて来ているが、体が熱を持ち始めていたから丁度良い。

 晶穂が隣でおいしそうにカフェオレを飲んだりドーナツを食べたりしているのを眺め、リンはようやく気持ちが落ち着いて来ていた。

(今日だって決めて来たんだ。だから、きっと大丈夫)

 どんな結果になっても、それが望むものではなかったとしても受け止め呑み込む。何度も頭の中で練習したし、ユキたちにも心配し過ぎだと笑われた。それでも、とリンはじんわりとやわらかな甘みを口の中に味わいながらケーキを食べ終える。

「……晶穂」

「ん? どうかした?」

 きょとんとした晶穂の顔が可愛くて、リンは抱き締めたい衝動を抑え込んだ。そして、改めて覚悟を決める。

「今日ここで、晶穂に渡したいものがあるんだ」

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