第760話 鍵を閉める

「お待たせ」

 同日夕方、日が陰り始めた頃合い。美里が少女三人と共に、昼過ぎに再会した扉の前に現れた。

 軽く汗をかいているのは、急いでくれたからだろうか。きっとそれを口にすれば、彼女は恥じて何も喋ってくれなくなる。そんな予感がして、晶穂は黙っていた。

 代わりに口を開いたのはリンだ。

「助かった、美里。アラストで開いた扉は、ここ以外全て閉じたようだ」

「もとの繋がり方に戻った、と喜ぶ声が幾つも届いたよ。ありがとう、美里」

「……別に。この子たちのためでもあるから」

 リンとジェイスに次々に礼を言われ、美里はふいっと目を逸らす。淡く赤らんだ頬が、彼女の照れを示していた。

 こほん。咳払いをして、美里は持っていた鍵を猫人の少女に手渡す。

「この子に渡すから、受け取って。さあ、あなたたちも帰る時間だよ」

「おねえちゃん、ありがと」

「ご飯、おいしかった!」

「また遊ぼうね」

 ぱたぱたと手を振る少女たちは、順番に扉を潜って行く。彼女らに手を振り返し、美里は少しだけ寂しそうに笑った。

「わーい!」

「わっ」

 晶穂がぽふんっと腕に飛び込んで来た猫人の女の子を抱き止めると、彼女は首だけ回して美里に手を振った。それに美里が恥ずかしそうに手を振り返す。

「三人共、送って行こうか? しばらく美里のところにいたんでしょう?」

「だいじょーぶ……かな?」

「じゃないよ!? おかあさんたちに怒られる!」

「ええっ……き、きてくれる?」

 不安そうに服の裾を握る女の子たちの目線に合わせるためにしゃがみ、晶穂は「わかった」と微笑む。

「もう一人、呼ぶから。そのお姉さんと一緒に、お家まで案内してくれる?」

「わかった」

「ありがとう」

 女の子たちにまとわりつかれたまま、晶穂は立ち上がって一香に連絡を取る。一香はすぐに通話に出て、これから行くと約束してくれた。

「これでよし」

「後は、こっちだけだな」

 リンが振り返ると、そこにはリドアスから来た天也たち四人が立っている。

「リン、迷惑をかけた」

「まあ色々あったけど、全員無事だ。向こうに帰っても、元気でな」

「ああ、きみたちも」

 玲遠が素直に扉をくぐり、彼に橙とデニアも続く。橙は立ち止まると、肩を竦めて笑った。

「異世界転移したら、最強になれるって思ってたんだよね。そういう物語、たくさんあるから」

「わたしも克臣さんも転移したけど、最強になんてなっていないよ。ただ、大切なものをたくさん見付けただけ」

「大事なものを守るために戦ったら、もしかしたらもっと強くなれるのかもな」

 橙の背中に、晶穂と克臣が言う。橙は軽く息を吐くと、くるりと二人を振り返った。

「アタシも、あんたたちみたいに強くなれる?」

「強さは、その意味はきっと違うと思う。だけど、なれるよ。きっと」

「俺もそう思う」

「……やってみるよ」

 じゃあね。橙は軽く片手を振ると、さっさと扉をくぐって行った。

 橙に続いたのはデニアだ。彼は相変わらず鷹揚に笑い、更にリンの頭を無遠慮に撫で回す。

「あんたらとの戦い、楽しかったぜ。こんなに思い切り力を出したのは、初めてかもしれないな」

「馴れ馴れし過ぎるだろ……。手をどけてくれ」

「不愛想だと見放されるぞ?」

「お前に心配される筋合いはない」

「はっはっは。バッサリだなぁ」

 冷えた声色でリンが突き放しても、全く堪えない。デニアは何が楽しいのか、ひとしきり笑うと「またな」と一言言い置いて扉をくぐってしまった。

 リンは髪を手櫛で整え、玲遠たち三人が向こう側で美里と合流したのを確かめ肩の力を抜いた。そして、年少組と楽しそうに話している天也へと体ごと向ける。

「天也、怪我はないか?」

「はい、大丈夫です。かすり傷くらいはありますけど、そんなの怪我の内に入りませんから」

 友だちが守ってくれたから。そう言って、天也は微笑んだ。

「しばらくのお別れですね。また五月に、みんなと会えるのを楽しみにしています」

「天也」

「唯文……」

 大親友の二人は、しばし向き合って無言になる。二度目の世界を隔てた別れは次を約束されたものではあるが、やはり寂しいものは寂しい。

「何か、変な感じだ」

「おれもそう思う。……五月に、必ず会おう」

「今回はゆっくり過ごせなかったからな。みんなとも、次は喋る倒してやる」

 ニッと笑った天也につられ、唯文も笑った。

「おれも、たくさん話したいことがある。それに、きっと次に会うまでにも増えているだろうな」

「楽しみだ。……みんなも、また今度な」

「うん、風邪ひくなよ!?」

「次はたくさん喋ろうね」

「待ってるね、天也さん」

「天也で良いよ、春直」

 年上には基本的に敬語で喋る春直に、天也はそう言って目を細めた。春直もハッとした顔をして、次いで照れた笑顔を見せる。

「……天也」

「そ。――お世話になりました。また」

 大きく手を振り、天也は扉に飛び込む。するりと向こう側に着地し、四人全員が日本へと戻ることが出来た。

「……じゃあ、閉めるよ」

「ああ、頼む」

 美里が鍵穴に鍵を差し込み、ゆっくりと扉を閉めていく。

「――待って」

 その時、晶穂が扉の前に走った。敷居ギリギリのところで立ち止まり、驚き固まる美里に向かって笑みを見せる」

「また会えて、言葉を交わせて嬉しかった。そっちは、楽しい?」

「楽しいかどうかは、正直わからない。だけど、義父さんと喫茶店をやってる。さっきの……天也もよく来るよ」

「そっか。また会おうね、美里」

「……機会があればね」

 塩対応だが、拒絶はされなかった。そのことを良しとして、晶穂は鍵がかけられ扉が元の扉に戻るまで、じっとその場に立ち尽くす。

 リンは何と声をかけるべきか迷い、結局月並みな言葉しか浮かんで来なかった。

「晶穂、大丈夫か?」

「……うん、大丈夫だよ。ほら、三人をおうちに送って来るね」

 丁度、一香が駆けて来た。彼女と共に、晶穂は一旦仲間たちとは別行動をとる。

 晶穂と一香、そして少女たちを見送り、リンは「帰りましょうか」と踵を返す。その頭と肩に、それぞれ克臣とジェイスが手を乗せる。

「お疲れさん」

「よく頑張ったね、リン」

「俺だけじゃないですよ。……みんなで、明日は寝坊しましょうか」

「兄さん、それ賛成!」

 弟の承諾を得て、リンは小さく笑った。


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